2025.3.12 ヨハネ福音書
ヨハネの福音書の一つの言で,
私たちは救われ,永遠の命が与えられ,
救いの確信が与えられます。
○
言(ことば)
(ヨハネ1:1)新共同訳
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」
(ヨハネ1:12)新共同訳
「言は,自分を受け入れた人,
その名を信じる人々には
神の子となる資格を与えた。」
(ヨハネ1:14)新共同訳
「言は肉となって,
わたしたちの間に宿られた。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての
栄光であって,
恵みと真理とに満ちていた。」
(聖書の)言とは,イエスです。(1:14)
「その名」(イエス)を受け入れるなら,
神の子となります。(1:12)
○
カナの婚姻
(ヨハネ2:7-9)新共同訳
「イエスが,
「水がめに水をいっぱい入れなさい」
と言われると,
召し使いたちは,
かめの縁まで水を満たした。
イエスは,
「さあ,それをくんで
宴会の世話役のところへ持って行きなさい」
と言われた。
召し使いたちは運んで行った。
世話役は
ぶどう酒に変わった水の味見をした。
このぶどう酒がどこから来たのか,
水をくんだ召し使いたちは知っていたが,
世話役は知らなかったので,
花婿を呼んで,」
(ヨハネ2:11)新共同訳
「イエスは,
この最初のしるしを
ガリラヤのカナで行って,
その栄光を現された。
それで,弟子たちはイエスを信じた。」
「しるし」とは,
主イエスが神の子(1:18),
「神の子キリスト」
(ヨハネ20:30,31)
であることを示すものです。
イエスの弟子たちは,
この「しるし」(奇跡)によって,
イエスを信じました。
(2:11)
救いに与りました。
○
ニコデモ
(ヨハネ3:2)新共同訳
「ある夜,イエスのもとに来て言った。
『ラビ,わたしどもは,
あなたが神のもとから来られた
教師であることを知っています。
神が共におられるのでなければ,
あなたのなさるようなしるしを,
だれも行うことはできないからです。』」
(ヨハネ3:14-16)新共同訳
「モーセが荒れ野で蛇を上げたように,
人の子も上げられねばならない。
それは,信じる者が皆,
人の子によって永遠の命を得るためである。
神は,その独り子をお与えになったほどに,
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
ニコデモは,
イエスが「しるし」を行っていることを
知っていました。
(ヨハネ3:2)
信じるものは永遠の命を持ちます。
「しるし」を信じるものが救われます。
○
サマリヤの女
(ヨハネ4:14)新共同訳
「わたしが与える水を飲む者は
決して渇かない。
わたしが与える水は
その人の内で泉となり,
永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネ4:15)新共同訳
「女は言った。
『主よ,渇くことがないように,
また,
ここにくみに来なくてもいいように,
その水をください。』」
(ヨハネ4:18)新共同訳
「あなたには五人の夫がいたが,
今連れ添っているのは夫ではない。
あなたは,
ありのままを言ったわけだ。」
サマリアの女は,
イエスを「主」と呼びます
そして,「ありのまま」を
イエスに言います。(4:18)
イエスは、
信じる者に「水」である聖霊を与えます。
○
べテスダの38年間の病人
(ヨハネ5:5)新共同訳
「さて,そこに三十八年も
病気で苦しんでいる人がいた。」
(ヨハネ5:8,9)新共同訳
「イエスは言われた。
『起き上がりなさい。
床を担いで歩きなさい。』
すると,その人はすぐに良くなって,
床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。」
この男はイエスの言葉に従って
立ち上がりました。
イエスの言葉を受け入れ,
従うことによって, 救われます。
○
命のパン
(ヨハネ6:35)新共同訳
「イエスは言われた。
『わたしが命のパンである。
わたしのもとに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決して渇くことがない。』」
イエスは命のパンです。
パンを食べること,すなわち。
イエスを信じるなら,
決して「飢えること」なく,
「渇くこと」がありません。
すなわち,救いにあずかります。
○
生きた水の流れ
(ヨハネ7:37,38)新共同訳
「祭りが最も盛大に祝われる
終わりの日に,
イエスは立ち上がって大声で言われた。
『渇いている人はだれでも,
わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その人の内から生きた水が
川となって流れ出るようになる。』」
イエスを信じる者は,
生ける水である聖霊を受け,
内から流れ出ます。
救いにあずかるのです。
○
わたしはある
(ヨハネ8:24)新共同訳
「あなたたちは自分の罪のうちに
死ぬことになると,
わたしは言ったのである。
『わたしはある』ということを
信じないならば,
あなたたちは
自分の罪のうちに死ぬことになる。」
(ヨハネ8:28)新共同訳
「そこで,イエスは言われた。
「あなたたちは,
人の子を上げたときに初めて,
『わたしはある』ということ,
また,わたしが,自分勝手には何もせず,
ただ,父に教えられたとおりに
話していることが分かるだろう。」
「わたしはある」(28)(〈ギ〉エゴー・エイミ)
ということは,
人の子が上げられて
初めて知られるようになります。
イエスがキリストであることは,
十字架と復活と昇天を通してのみ
正しく理解され得る事柄です。
この「人の子を上げたとき」イエスこそ
神の子であると信じることが,
罪からの解放と永遠の命をもたらすのです。
(8:24)
○
姦淫の女
(ヨハネ8:11)新共同訳
女が,「主よ,だれも」と言うと,
イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。
これからは,
もう罪を犯してはならない。」
この女はイエスを主よと呼びます。
イエスは,女に罪に定めないと言います。
私たちはイエスを主と呼ぶならば,
罪の赦しを救いにあずかります。
(ローマ10:13)新共同訳
「『主の名を呼び求める者は
だれでも救われる』のです。」
(ヨエル3:5)新共同訳
「主の御名を呼ぶ者は皆,
救われる。
主が言われたように,
シオンの山,
エルサレムには逃れ場があり
主が呼ばれる残りの者はそこにいる。」
○
生まれつきの盲人
(ヨハネ9:7)新共同訳
そして,「シロアム
――『遣わされた者』という意味――
の池に行って洗いなさい」と言われた。
そこで,彼は行って洗い,
目が見えるようになって,帰って来た。
この男はイエスの言葉を受け入れ,
従いました。
すると癒されました。
○
良い羊飼い
(ヨハネ10:11)新共同訳
「わたしは良い羊飼いである。
良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
(ヨハネ10:14)新共同訳
「わたしは良い羊飼いである。
わたしは自分の羊を知っており,
羊もわたしを知っている。」
イエスは 「良い羊飼いです。」
私たちはこの羊です
羊飼いであるイエスを受け入れるならば,
イエスの「命」,
すなわち,
永遠の命を受け入れることができます。
○
ラザロの復活
(ヨハネ11:24―27)新共同訳
マルタは,
「終わりの日の復活の時に
復活することは存じております」と言った。
イエスは言われた。
「わたしは復活であり,命である。
わたしを信じる者は,死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも,
決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」
マルタは言った。
「はい,主よ,
あなたが世に来られるはずの神の子,
メシアであるとわたしは信じております。」
マルタは,
「終わりの日の復活の時に
復活することは存じております」
と言いました。(11:24)
イエスは次のように言います。
「わたしは復活であり,命である。
わたしを信じる者は,死んでも生きる。
(11:25)
「生きていてわたしを信じる者はだれも,
決して死ぬことはない。
このことを信じるか。」(11:26)
(ヨハネ11:43,44)新共同訳
「こう言ってから,
『ラザロ,出て来なさい』
と大声で叫ばれた。
すると,死んでいた人が,
手と足を布で巻かれたまま出て来た。
顔は覆いで包まれていた。
イエスは人々に,
『ほどいてやって,行かせなさい』
と言われた。」
イエスを信じる者には 復活(11:24) と
永遠の命(11:25,26)が
与えられます
イエスが ラザロをよみがえらせた奇跡は
イエスのしるしです。
信じるなら 永遠の命を受け取れます。
○
一粒の麦
(ヨハネ12:23-25)新共同訳
「はっきり言っておく。
一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,
一粒のままである。
だが,死ねば,多くの実を結ぶ。
自分の命を愛する者は,それを失うが,
この世で自分の命を憎む人は,
それを保って永遠の命に至る。
わたしに仕えようとする者は,
わたしに従え。
そうすれば,わたしのいるところに,
わたしに仕える者もいることになる。
わたしに仕える者がいれば,
父はその人を大切にしてくださる。」
イエスご自身が,「一粒の麦」です。
信じるものもまたそうなります
パウロは次のように言います。
(ガラテア2:19,20)新共同訳
「わたしは神に対して生きるために,
律法に対しては律法によって死んだのです。
わたしは,
キリストと共に十字架につけられています。
生きているのは,
もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に
生きておられるのです。
わたしが今,肉において生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのために
身を献げられた神の子に対する
信仰によるものです。」
○
洗足
(ヨハネ13:10)新共同訳
「イエスは言われた。
『既に体を洗った者は,
全身清いのだから,足だけ洗えばよい。
あなたがたは清いのだが,
皆が清いわけではない。』」
洗いは,
罪と罪悪からきよめる霊的な清めを
示しています。
この清めは十字架でのイエスの死によって,
信じる者が受け取れます。
(ヨハネ13:15)新共同訳
「わたしがあなたがたにしたとおりに,
あなたがたもするようにと,
模範を示したのである。」
イエスが私たちのしもべと
なってくださいました。
弟子たちの足を
洗い清めてくださったことにより,
救いに預かります。
○
父の家
(ヨハネ14:1,2)新共同訳
「心を騒がせるな。
神を信じなさい。
そして,わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には
住む所がたくさんある。
もしなければ,
あなたがたのために場所を用意しに
行くと言ったであろうか。」
イエスキリストを信じるならば
父の家である神の国に入ります。
○
ぶどうの木
(ヨハネ15:5)新共同訳
「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており,
わたしもその人につながっていれば,
その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては,
あなたがたは何もできないからである。」
私たちがイエス・キリストを信じるならば,
キリストは「ぶどうの木」となり,
私たちは枝となります。
そして,多くの実を結びます。
もっとも大きな実は
イエス・キリストにあって,
罪が赦され,
救いにあずかることです。
○
弁護者(聖霊)
(ヨハネ16:7,8)新共同訳
「実を言うと,
わたしが去って行くのは,
あなたがたのためになる。
わたしが去って行かなければ,
弁護者はあなたがたのところに
来ないからである。
わたしが行けば,
弁護者をあなたがたのところに送る。
その方が来れば,
罪について,義について,
また,裁きについて,
世の誤りを明らかにする。」
イエス・キリストは,
信じる者に弁護者である聖霊を
与えてくださいます。
○
イエスの祈り,内なるキリスト
(ヨハネ17:23)新共同訳
「わたしが彼らの内におり,
あなたがわたしの内におられるのは,
彼らが完全に一つになるためです。
こうして,
あなたがわたしを
お遣わしになったこと,
また,わたしを愛しておられたように,
彼らをも愛しておられたことを,
世が知るようになります。」
イエスを信じる者の内には,
キリストがいます。
○
ダビデの子
(ヨハネ18:37)新共同訳
「そこでピラトが,
『それでは,やはり王なのか』と言うと,
イエスはお答えになった。
『わたしが王だとは,
あなたが言っていることです。
わたしは真理について
証しをするために生まれ,
そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆,
わたしの声を聞く。』」
イエスは,ダビデの子として王であります。
また,神の国の王でもあります。
イエスは私たちの心の中の支配者であり,
救い主であります。
そして,イエスご自身が真理です。
○
イエスの死
(ヨハネ19:28,30)新共同訳
「この後,イエスは,
すべてのことが
今や成し遂げられたのを知り,
『渇く』と言われた。
こうして,聖書の言葉が実現した。
(19:28)
そこには,
酸いぶどう酒を満たした器が
置いてあった。
人々は,
このぶどう酒をいっぱい含ませた
海綿をヒソプに付け,
イエスの口もとに差し出した。
(19:29)
イエスは,このぶどう酒を受けると,
『成し遂げられた』と言い,
頭を垂れて息を引き取られた。」
(19:30)
イエスが「渇く」(19:28)とは,
十字架で私たちの すべての苦しみ,
罪と罰を受けてくださったためです。
「成し遂げられた」(19:30)とは,
イエスが私たちのために,
身代わりの死を,成し遂げたことです。
○
「わたしの主,わたしの神よ」
(ヨハネ20:28,29)新共同訳
「トマスは答えて,
『わたしの主,わたしの神よ』
と言った。
イエスはトマスに言われた。
『わたしを見たから信じたのか。
見ないのに信じる人は,
幸いである。』」
トマスは,復活のイエスにあいました。
「私の主,私の神よ」と言います。
本当の救いに与かりました。
「幸い」とは,罪が赦され,
神の救いにあずかることです。
○
本書の目的
(ヨハネ20:30)新共同訳
「このほかにも,
イエスは弟子たちの前で,
多くのしるしをなさったが,
それはこの書物に書かれていない。」
もっとも大きい「しるし」とは,
イエスキリストが復活し,
イエスが神であるということを
示したことです。
命とは 永遠の命であります。
信じることにより,
罪が許され義とされ,
神の国に入れられ。
永遠の命を受け,
復活の体の約束を得ることです。
イエスを信じる者に与えられます。
○
ヨハネのあかし
(ヨハネ21:24)新共同訳
「これらのことについて証しをし,
それを書いたのは,
この弟子である。
わたしたちは,
彼の証しが
真実であることを知っている。」
ヨハネがこの福音書を書きました。
真実の言葉であり,神の言葉です。