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朝の光(聖書の言葉)

ヨハネの手紙 第一 解説  2021.1.18

ヨハネの手紙 第一 解説


ヨハネの手紙は,

ヨハネの福音書を書いた

使徒ヨハネによって書かれています。


これらの書物が

使徒ヨハネから同じ人々に

宛てて書かれたようです。


1ヨハネが書かれたのは

西暦85-95年の間です。


ヨハネの手紙第1(1ヨハネ)は

その読者が

ヨハネの福音書の内容を

知っていたようです。


キリストにある信仰を

確認させるために書いています。





いのちの言

(1ヨハネ1:1)口語訳

「初めからあったもの,
わたしたちが聞いたもの,
目で見たもの,
よく見て手でさわったもの,
すなわち,いのちの言について― 



「いのちの言」とは,

イエス・キリストのことです。


ヨハネは,

このイエスにあっていました。

そして,交わっています。


この交わりを,伝えるといいます。


☆彡


(1ヨハネ1:1ー3)

「初めからあったもの,
わたしたちが聞いたもの,
目で見たもの,
よく見て手でさわったもの,
すなわち,いのちの言について― 
このいのちが現れたので,
この永遠のいのちをわたしたちは見て,
そのあかしをし,かつ,
あなたがたに告げ知らせるのである。
この永遠のいのちは,
父と共にいましたが,
今やわたしたちに現れたものである― 
すなわち,わたしたちが見たもの,
聞いたものを,
あなたがたにも告げ知らせる。
それは,あなたがたも,
わたしたちの交わりに
あずかるようになるためである。
わたしたちの交わりとは,
父ならびに御子イエス・キリストとの
交わりのことである。」






イエスの血,罪のきよめ


(1ヨハネ1:7)

「もし神が光の中におられるように,
私たちも光の中を歩んでいるなら,
私たちは互いに交わりを保ち,
御子イエスの血は
すべての罪から私たちをきよめます。」


キリストの血が,

わたしたちの罪をきよめます。


(ヘブル9:14)

「まして,
キリストが傷のないご自身を,
とこしえの御霊によって
神におささげになったその血は,
どんなにか私たちの良心を
きよめて死んだ行いから離れさせ,
生ける神に仕える者と
することでしょう。」




罪の赦しときよめ 


(1ヨハネ1:9)

「もし,
私たちが自分の罪を言い表わすなら,
神は真実で正しい方ですから,
その罪を赦し,
すべての悪から
私たちをきよめてくださいます。」


ありのままの自分を主の前に出し,

罪を告白するなら,

神はその罪を取り去ってくださいます。



☆彡


(1ヨハネ1:5-10) 

「神は光であって,
神のうちには暗いところが少しもない。
これが,私たちがキリストから聞いて,
あなたがたに伝える知らせです。
もし私たちが,
神と交わりがあると言っていながら,
しかもやみの中を歩んでいるなら,
私たちは偽りを言っているのであって,
真理を行なってはいません。
しかし,
もし神が光の中におられるように,
私たちも光の中を歩んでいるなら,
私たちは互いに交わりを保ち,
御子イエスの血はすべての罪から
私たちをきよめます。
もし,罪はないと言うなら,
私たちは自分を欺いており,
真理は私たちのうちにありません。
もし,
私たちが自分の罪を言い表わすなら,
神は真実で正しい方ですから,
その罪を赦し,
すべての悪から
私たちをきよめてくださいます。
もし,罪を犯してはいないと言うなら,
私たちは神を偽り者とするのです。
神のみことばは
私たちのうちにありません。」




キリストのように歩む


(1ヨハネ2:6)

「神のうちに
とどまっていると言う者は,
自分でもキリストが歩まれたように
歩まなければなりません。」




世と世の欲


(1ヨハネ2:15-17)

「世をも,世にあるものをも,
愛してはなりません。
もしだれでも世を愛しているなら,
その人のうちに
御父を愛する愛はありません。
すべての世にあるもの,
すなわち,肉の欲,目の欲,
暮らし向きの自慢などは,
御父から出たものではなく,
この世から出たものだからです。
世と世の欲は滅び去ります。
しかし,神のみこころを行なう者は,
いつまでもながらえます。」




聖霊の注ぎ,反キリストの現れ


(1ヨハネ2:18,19)

「彼らはわたしたちから出て行った。
しかし,
彼らはわたしたちに属する者では
なかったのである。
もし属する者であったなら,
わたしたちと一緒に
とどまっていたであろう。
しかし,出て行ったのは,
元来,
彼らがみなわたしたちに
属さない者であることが,
明らかにされるためである。 
しかし,あなたがたは
聖なる者に油を注がれているので,
あなたがたすべてが,
そのことを知っている。」


反キリストとは,

イエスがキリストであることを

否定する者です。


(1ヨハネ2:22)

「偽り者とは,だれであるか。
イエスのキリストであることを
否定する者ではないか。
父と御子とを否定する者は,
反キリストである。」





イエス・キリストの約束


(1ヨハネ2:24-25)

「初めから聞いたことが,
あなたがたのうちに,
とどまるようにしなさい。
初めから聞いたことが,
あなたがたのうちにとどまっておれば,
あなたがたも御子と父とのうちに,
とどまることになる。 
これが,彼自らわたしたちに
約束された約束であって,
すなわち,永遠のいのちである。」




聖霊


(1ヨハネ2:27)

「あなたがたのうちには,
キリストからいただいた
油がとどまっているので,
だれにも教えてもらう必要はない。
この油が,
すべてのことをあなたがたに教える。
それはまことであって,
偽りではないから,
その油が教えたように,
あなたがたは
彼のうちにとどまっていなさい。」


ここでの「油」は聖霊です。

この聖霊はわたしたちに

真理を教えます。


聖霊の内にとどまりなさいと言います。




キリストの再臨のとき


(1ヨハネ3:2,3)

「愛する者たち。
私たちは,今すでに神の子どもです。
後の状態は
まだ明らかにされていません。
しかし,キリストが現われたなら,
私たちはキリストに
似た者となることがわかっています。
なぜならそのとき,
私たちはキリストの
ありのままの姿を見るからです。
キリストに対する
この望みをいだく者はみな,
キリストが清くあられるように,
自分を清くします。」


キリストが再臨するとき,

キリストの姿を見ることが出来ます。


そして,キリストに似た者となり,

栄光ある姿に変わります。


イエス・キリストの再臨の

わたしたちが受ける恵みといえます。


パウロは次のように言います。

(1コリント13:12)

「今,私たちは鏡にぼんやり
映るものを見ていますが,
その時には顔と顔とを合わせて
見ることになります。
今,私は一部分しか知りませんが,
その時には,
私が完全に知られているのと
同じように,
私も完全に知ることになります。」


ペテロは再臨については

次のように言います。


(1ペテロ1:7)

「信仰の試練は,
火を通して精練されても
なお朽ちて行く金よりも
尊いのであって,
イエス・キリストの現われのときに
称賛と光栄と栄誉に
至るものであることがわかります。」





互いに愛し合いなさい


(1ヨハネ3:16)

「キリストは,私たちのために,
ご自分のいのちをお捨てになりました。
それによって
私たちに愛がわかったのです。
ですから私たちは,兄弟のために,
いのちを捨てるべきです。」


イエス・キリストが

「ぶどうの木」のたとえの中で

話された内容と同じです。


(ヨハネ15:17)

「あなたがたが互いに愛し合うこと,
これが,
わたしのあなたがたに
与える戒めです。」





行いと真実をもって愛する


(1ヨハネ3:18)

「子どもたちよ。
私たちは,
ことばや口先だけで愛することをせず,
行いと真実をもって
愛そうではありませんか。」



愛するとは,

その人の存在を喜ぶことです。


人は愛されて初めて,

愛されるにふさわしいものになります。


愛されることによって,

何かが出来,積極的になります。


愛されることによって

この世で何かが出来るのです。





人となって来たイエス・キリスト


(1ヨハネ4:2,3)

「人となって来た
イエス・キリストを告白する霊はみな,
神からのものです。
それによって神からの霊を知りなさい。
イエスを告白しない霊は
どれ一つとして
神から出たものではありません。
それは反キリストの霊です。
あなたがたは
それが来ることを聞いていたのですが,
今それが世に来ているのです。」


聖書はイエス・キリストは,

神であり,人であるといいます。


ヨハネも,

イエスは神の子

(人間の姿をとった神)であり,

完全な人間であると言います。


ここで,イエスを告白しない霊は

偽キリストだといいます。


偽キリストは,

イエス・キリストの受肉を否定し,

神は肉や血をもった肉体には

宿ることはできないといいます。





「ここに愛がある」


(1ヨハネ4:9,10)

「神はそのひとり子を世に遣わし,
その方によって私たちに,
いのちを得させてくださいました。
ここに,
神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく,
神が私たちを愛し,
私たちの罪のために,
なだめの供え物としての御子を
遣わされました。
ここに愛があるのです。」


十字架で神の愛が現されました。


「私たちの罪のために,

なだめの供え物としての

御子を遣わされ」

とは,

罪人である私たちの上に

下されるはずの

神の怒りをなだめるために,

ご自分の「ひとり子」である

イエス・キリストを

「なだめの供え物」

とされたということです。


罪過と罪との中に死んでいた私たちに,

いのちを得させてくださいました。


ここに,神の愛があるのです。





互いに愛しましょう


(1ヨハネ4:7-9)

「愛する者たち。
私たちは,互いに愛し合いましょう。
愛は神から出ているのです。
愛のある者はみな神から生まれ,
神を知っています。
愛のない者に,神はわかりません。
なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし,
その方によって私たちに,
いのちを得させてくださいました。
ここに,
神の愛が私たちに示されたのです。」





神の愛


(1ヨハネ3:14,15)

「私たちは,
自分が死からいのちに
移ったことを知っています。
それは,兄弟を愛しているからです。
愛さない者は,
死のうちにとどまっているのです。
兄弟を憎む者はみな,人殺しです。
いうまでもなく,
だれでも人を殺す者のうちに,
永遠のいのちが
とどまっていることはないのです。」


(1ヨハネ4:16)

「私たちは,
私たちに対する神の愛を知り,
また信じています。
神は愛です。
愛のうちにいる者は神のうちにおり,
神もその人のうちにおられます。」



              
全き愛


(1ヨハネ4:18,19)

「愛には恐れがありません。
全き愛は恐れを締め出します。
なぜなら恐れには
刑罰が伴っているからです。
恐れる者の愛は,
全きものとなっていないのです。
私たちは愛しています。
神がまず私たちを
愛してくださったからです。」


わたしたちは,不安,恐れから

エゴイズムにとらわれています。


この思いと取り除いてくださるのが,

神の愛です。


神に対する愛は恐れを締め出します。


(ヨハネ3:16)

「神は,実に,
そのひとり子をお与えになったほどに,
世を愛された。
それは御子を信じる者が,
ひとりとして滅びることなく,
永遠のいのちを持つためである。」




イエス・キリストについての証


(1ヨハネ5:5-8)

「世に勝つ者はだれか。
イエスを神の子と信じる者ではないか。 
このイエス・キリストは,
水と血とをとおって
こられたかたである。
水によるだけではなく,
水と血とによってこられたのである。
そのあかしをするものは,御霊である。
御霊は真理だからである。 
あかしをするものが,三つある。 
御霊と水と血とである。
そして,この三つのものは一致する。」


「水」は洗礼と関係しています。

イエスは洗礼者ヨハネから,

洗礼を受けました。

(マタイ8:13-17)


「血」は十字架上での

イエスの死を想起します。

(ヨハネ9:34,35)



「霊」は聖霊のことです。

イエスが弟子たちから取り去られた後,

わたしたちのところに送られました

(ヨハネ16:5)




永遠のいのち


(1ヨハネ5:12,13)

「御子を持つ者はいのちを持っており,
神の御子を持たない者は
いのちを持っていません。
私が神の御子の名を
信じているあなたがたに
対してこれらのことを書いたのは,
あなたがたが
永遠のいのちを持っていることを,
あなたがたに
よくわからせるためです。」


著者のヨハネは,

イエスからイエスご自身が復活であり,

命であることを聞いていました。


(ヨハネ11:25-27)

「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。 
また,生きていて,
わたしを信じる者は,
いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか』。 
マルタはイエスに言った,
『主よ,信じます。
あなたがこの世にきたるべきキリスト,
神の御子であると信じております』。


ヨハネは弟子たちと共に

復活のイエスに会いました。



(ヨハネ20:19,20)

「その日,すなわち,
一週の初めの日の夕方,
弟子たちはユダヤ人をおそれて,
自分たちのおる所の戸を
みなしめていると,
イエスがはいってきて,
彼らの中に立ち,
『安かれ』と言われた。 
そう言って,手とわきとを,
彼らにお見せになった。
弟子たちは主を見て喜んだ。」




神への願い


(1ヨハネ5:14-15)

「何事でも神のみこころにかなう
願いをするなら,
神はその願いを
聞いてくださるということ,
これこそ神に対する私たちの確信です。
私たちの願う事を
神が聞いてくださると知れば,
神に願ったその事は,
すでにかなえられたと知るのです。」


イエス・キリストは

次のようにいっています。


(ヨハネ15:7)

「あなたがたが
わたしにつながっており,
わたしの言葉が
あなたがたにとどまっているならば,
なんでも望むものを求めるがよい。
そうすれば,与えられるであろう。」




イエスはまことの神 


(1ヨハネ5:20)

「神の御子が来て,
真実な方を知る理解力を
私たちに与えてくださったことを
知っています。
それで私たちは,真実な方のうちに,
すなわち御子イエス・キリスト
のうちにいるのです。
この方こそ,まことの神,
永遠のいのちです。」


イエス・キリストは神であり,

人でもあります。


ヨハネは,

教会の誤まった教えにたいして

書きました。


「神の子」とは,

イエス・キリストが父なる神に

たいしての関係として

あらわしています。


イエス・キリストが

神性を備えていることを

あらわしています。


2021-01-18


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