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朝の光(聖書の言葉)

第10問 「一切を捨てる」 無門関から

第10問「一切を捨てる」無門関から


趙州和尚に厳陽善信(げんようぜんしん)が尋ねた。

「私は,一切を捨てて何ももっていません。私は,どうするべきでしょうか」

「捨ててしまえ!」

「捨ててしまえといわれても,もう何ももっていないのです」

「その,捨てるものは何もないというものを,捨てるのだ!」

-趙州録-





「私はキリストとともに十字架につけられました。

もはや私が生きているのではなく,キリストが私のうちに生きておられるのです。

いま私が,この世に生きているのは,

私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

(ガラテヤ2:20)


捨てることはキリスト教でも言います。

すべてを捨てることがイエス・キリスト,またパウロの教えです。

それは,自分が十字架につかられることです。

しかし,すべてを捨てて,何にも依存しなかったら,これまたどうにもなりません。

カルトの餌食になるでしょう。

パウロは偉大です。

捨てて,得なければならないものを知っていました。


禅宗では,捨て切ったとき悟りとするでしょうが,

このとき真理を得てしまわないとどうにもなりません。

捨て切らないと得ることが出来ません。

この公案では,答えの半分しかえられません。



木から飛び降りなければ,

木の枝から一歩歩み出さなければ悟れません。

しかし,真理をつかまなければなりません。



賛美歌に

「飛びこめ 飛び込め イエスの愛に いま 主の愛に」

というのがあります。

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