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朝の光(聖書の言葉)

ローマ書 聖霊の力  2020. 04.30

ローマ人の手紙


きよめの霊


(ローマ1:1-4)

「神の福音のために選び分けられ,
使徒として召された
キリスト・イエスのしもべパウロ,
──この福音は,
神がその預言者たちを通して,
聖書において前から
約束されたもので,
御子に関することです。
御子は,
肉によれば
ダビデの子孫として生まれ,
聖い御霊によれば,
死者の中からの復活により,
大能によって
公に神の御子として示された方,
私たちの
主イエス・キリストです。」


今は,イエス・キリストは

「御霊の領域」に

現われてくださいます。


それは,

死者から復活された方として

現れてくださっています。


そして,

信じる者に栄化されるからだを

与えてくださる方としてです。





ペンテコステ 

→ 聖霊のバプテスマ 

→ 異言を伴う御霊を受ける 

→ イエスの証人


 



真のユダヤ人


(ローマ1:16,17)

「私は福音を恥とは思いません。
福音は,
ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも,
信じるすべての人にとって,
救いを得させる神の力です。
なぜなら,
福音のうちには
神の義が啓示されていて,
その義は,
信仰に始まり
信仰に進ませるからです。
『義人は信仰によって生きる』
と書いてあるとおりです。」




(ローマ2:26)

「もし割礼を受けていない人が
律法の規定を守るなら,
割礼を受けていなくても,
割礼を受けている者と
みなされないでしょうか。」


(ローマ2:28,29)

「外見上のユダヤ人が
ユダヤ人なのではなく,
外見上のからだの割礼が
割礼なのではありません。
かえって人目に隠れたユダヤ人が
ユダヤ人であり,
文字ではなく,
御霊による,
心の割礼こそ割礼です。
その誉れは,
人からではなく,
神から来るものです。」



真のユダヤ人は

割礼による

外見上それらしく

見える人ではない。


真のユダヤ人は,

聖霊による心に割礼

を受けた内なる人です。




信仰によって義とされる


聖霊の内的働きは,

信仰により,

恵みによってなされます。


(エペソ2:8)

「なたがたの救われたのは,
実に,恵みにより,
信仰によるのである。
それは,
あなたがた自身から
出たものではなく,
神の賜物である。」



(ローマ5:2)

「またキリストによって,
いま私たちの立っているこの恵みに
信仰によって
導き入れられた私たちは,
神の栄光を望んで
大いに喜んでいます。」



(ローマ5:8-10)

「しかし
私たちがまだ罪人であったとき,
キリストが私たちのために
死んでくださったことにより,
神は私たちに対する
ご自身の愛を
明らかにしておられます。
ですから,
今すでにキリストの血によって
義と認められた私たちが,
彼によって
神の怒りから救われるのは,
なおさらのことです。
もし敵であった私たちが,
御子の死によって
神と和解させられたのなら,
和解させられた私たちが,
彼のいのちによって
救いにあずかるのは,
なおさらのことです。」



(ローマ8:37-39)

「しかし,私たちは,
私たちを
愛してくださった方によって,
これら
すべてのことの中にあっても,
圧倒的な勝利者となるのです。
私はこう確信しています。
死も,いのちも,
御使いも,権威ある者も,
今あるものも,後に来るものも,
力ある者も,
高さも,深さも,
そのほかのどんな被造物も,
私たちの
主キリスト・イエスにある
神の愛から,
私たちを
引き離すことはできません。」




聖霊と聖化


(ローマ 5:5)

「希望は
わたしたちを
欺くことがありません。
わたしたちに与えられた
聖霊によって,
神の愛がわたしたちの心に
注がれているからです。」



(ローマ 9:1)

「わたしは
キリストに結ばれた者として
真実を語り,
偽りは言わない。
わたしの良心も聖霊によって
証ししていることですが,」



(ローマ  14:17)

「 神の国は,飲み食いではなく,
聖霊によって与えられる
義と平和と喜びなのです。」



(ローマ  15:13)

「希望の源である神が,
信仰によって得られる
あらゆる喜びと平和とで
あなたがたを満たし,
聖霊の力によって
希望に満ちあふれさせて
くださるように。」



(ローマ 15:16)

「異邦人のために
キリスト・イエスに
仕える者となり,
神の福音のために
祭司の役を務めているからです。
そしてそれは,異邦人が,
聖霊によって聖なるものとされた,
神に喜ばれる供え物となるために
ほかなりません。」








御霊の法則


(ローマ7:6)

「今は,
私たちは自分を捕らえていた
律法に対して死んだので,
それから解放され,
その結果,古い文字にはよらず,
新しい御霊によって
仕えているのです。」


私たちは,律法に従ってではなく

御霊に従って

キリストに仕えています。




キリストの勝利にあずかる


(ローマ8:1,2)

「こういうわけで,今は,
キリスト・イエスにある者が
罪に定められることは
決してありません。
なぜなら,
キリスト・イエスにある,
いのちの御霊の原理が,
罪と死の原理から,
あなたを解放したからです。」





御霊に生きる


私たちは

肉によって生きるのではなく,

御霊によって生きているのです。


(ローマ8:8ー11)

「肉にある者は
神を喜ばせることができません。
けれども,
もし神の御霊があなたがたのうちに
住んでおられるなら,
あなたがたは肉の中にではなく,
御霊の中にいるのです。
キリストの御霊を持たない人は,
キリストのものではありません。
もしキリストが
あなたがたのうちに
おられるなら,
からだは罪のゆえに死んでいても,
霊が,義のゆえに生きています。
もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに
住んでおられるなら,
キリスト・イエスを
死者の中からよみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。」






(ローマ8:10)

「もしキリストが
あなたがたのうちに
おられるなら,
からだは
罪のゆえに死んでいても,
霊が,
義のゆえに生きています。」






(ローマ8:11ー13)

「もしイエスを死者の中から
よみがえらせた方の御霊が,
あなたがたのうちに
住んでおられるなら,
キリスト・イエスを
死者の中からよみがえらせた方は,
あなたがたのうちに
住んでおられる御霊によって,
あなたがたの死ぬべきからだをも
生かしてくださるのです。
ですから,兄弟たち。
私たちは,肉に従って歩む責任を,
肉に対して負ってはいません。
もし肉に従って生きるなら,
あなたがたは死ぬのです。
しかし,もし御霊によって,
からだの行いを殺すなら,
あなたがたは生きるのです。」


もしイエスを死人から
よみがえらせた神の霊が
私たちのうちに住み続けるなら,

イエスをよみがえらせた神は
その中住の御霊によって
私たちの死ぬべきからだをも


生かして
(いのちを与える,復活させる)
くださいます。






キリストの相続にあずかる


(ローマ8:17,18)

「もし子どもであるなら,
相続人でもあります。
私たちがキリストと,
栄光をともに受けるために
苦難をともにしているなら,
私たちは神の相続人であり,
キリストとの
共同相続人であります。
今の時のいろいろの苦しみは,
将来私たちに
啓示されようとしている
栄光に比べれば,
取るに足りないものと
私は考えます。」



わたしたちは

神の相続人であるばかりでなく

キリストの共同の相続人であり,

彼の相続の栄光の全体にあずかり,

彼のみ座にさえ与るのです。




からだのあがない


(ローマ8:24,25)

「私たちは,
この望みによって
救われているのです。
目に見える望みは,
望みではありません。
だれでも目で見ていることを,
どうしてさらに望むでしょう。
もしまだ見ていないものを
望んでいるのなら,
私たちは,
忍耐をもって熱心に待ちます。」



体の贖い=霊の初穂

新しいからだは

御霊にある命を表すことのできる

完全な器となります。


聖霊は,

体の贖いの保証になっています,



(1コリント15:43,44)

「卑しいもので蒔かれ,
栄光あるものによみがえらされ,
弱いもので蒔かれ,
強いものによみがえらされ,
血肉のからだで蒔かれ,
御霊に属するからだに
よみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから,
御霊のからだもあるのです。」





(1ヨハネ3:2,3)

「愛する者たち。
私たちは,
今すでに神の子どもです。
後の状態は
まだ明らかにされていません。
しかし,キリストが現れたなら,
私たちはキリストに似た者と
なることがわかっています。
なぜならそのとき,
私たちは
キリストのありのままの姿を
見るからです。
キリストに対する
この望みをいだく者はみな,
キリストが清くあられるように,
自分を清くします。」




パウロの悲しみ,ユダヤ人の救い


(ローマ9:1-3)

「私はキリストにあって
真実を言い,
偽りを言いません。
次のことは,私の良心も,
聖霊によってあかししています。
私には大きな悲しみがあり,
私の心には絶えず痛みがあります。
もしできることなら,
私の同胞,
肉による同国人のために,
この私が
キリストから引き離されて,
のろわれた者となることさえ
願いたいのです。」






啓発された良心


(ローマ11:8)

「こう書かれているとおりです。
『神は,彼らに鈍い心と
見えない目と
聞こえない耳を与えられた。
今日に至るまで。』」



パウロはユダヤ人に

絶えず深い関心を抱いていました。







霊的礼拝


(ローマ12:1)

「そういうわけですから,
兄弟たち。
私は,神のあわれみのゆえに,
あなたがたにお願いします。
あなたがたのからだを,
神に受け入れられる,
聖い,生きた供え物として
ささげなさい。
それこそ,
あなたがたの霊的な礼拝です。」





霊の賜物の使用


(ローマ12:3-8)

「私は,
自分に与えられた恵みによって,
あなたがた
ひとりひとりに言います。
だれでも,
思うべき限度を越えて
思い上がってはいけません。
いや,むしろ,
神がおのおのに
分け与えてくださった
信仰の量りに応じて,
慎み深い考え方をしなさい。
一つのからだには
多くの器官があって,
すべての器官が
同じ働きは
しないのと同じように,
大ぜいいる私たちも,
キリストにあって
一つのからだであり,
ひとりひとり互いに器官なのです。
私たちは,与えられた恵みに従って,
異なった賜物を持っているので,
もしそれが預言であれば,
その信仰に応じて預言しなさい。
奉仕であれば奉仕し,
教える人であれば教えなさい。
勧めをする人であれば勧め,
分け与える人は
惜しまずに分け与え,
指導する人は熱心に指導し,
慈善を行う人は
喜んでそれをしなさい。」







御霊と御国


(ローマ14:17)

「なぜなら,
神の国は飲み食いのことではなく,
義と平和と聖霊による
喜びだからです。」




異邦人の従順

(ローマ15:18,19)

「私は,
キリストが異邦人を
従順にならせるため,
この私を用いて
成し遂げてくださったこと以外に,
何かを話そうなどとはしません。
キリストは,ことばと行いにより,
また,
しるしと不思議をなす力により,
さらにまた,御霊の力によって,
それを成し遂げてくださいました。
その結果,
私はエルサレムから始めて,
ずっと回ってイルリコに至るまで,
キリストの福音を
くまなく伝えました。」




(テトス 3:5)

「神は,
私たちが行った
義のわざによってではなく,
ご自分のあわれみのゆえに,
聖霊による,
新生と更新との洗いをもって
私たちを救ってくださいました。」


(テトス3:5)新共同

「神は,
わたしたちが行った
義の業によってではなく,
御自分の憐れみによって,
わたしたちを
救ってくださいました。
この救いは,
聖霊によって新しく生まれさせ,
新たに造りかえる洗いを
通して実現したのです。」




2020-04-30


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