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朝の光(聖書の言葉)

イザヤ書 まとめ 2023.1.3

イザヤ書 まとめ 2023.1.3




神の呼びかけ


(イザヤ1:18)

「論じ合おうではないか,

と主は言われる。

たとえ,

お前たちの罪が緋のようでも

雪のように白くなることができる。

たとえ,紅のようであっても

羊の毛のようになることができる。」



イザヤに神から与えられた預言です。


イザヤは,

紀元前八世紀のユダ王国で

活動した預言者です。



北方に勢力を伸ばした

アッシリア帝国が,

ユダ王国をはじめ近隣の小国を圧迫し,

緊迫した国際情勢が続きました。



「論じ合おうではないか。」

これが神の呼びかけです。


論じ合うべきはユダの罪であり,

罪の赦しです。



幾重にも塗り込められた緋色の罪を

神はそれを雪のような純白に

変えることができます。



神はすべてを

新たに,そして罪のない清いものに

することができます。






槍をかまに打ち直す


(イザヤ2:4)
    
「主は国々の間をさばき,

多くの国々の民に,判決を下す。

彼らはその剣を鋤に,

その槍をかまに打ち直し,

国は国に向かって剣を上げず,

二度と戦いのことを習わない。」



キリスト待望の預言です。


世界の審判のために,

終末にキリストが来る,

世界平和についての預言しています。



☆彡



終末の平和


(イザヤ2:1-5 口語訳)

「アモツの子イザヤが
ユダとエルサレムについて
示された言葉。
終りの日に次のことが起る。
主の家の山は,
もろもろの山のかしらとして堅く立ち,
もろもろの峰よりも高くそびえ,
すべて国はこれに流れてき,
多くの民は来て言う,
『さあ,われわれは主の山に登り,
ヤコブの神の家へ行こう。
彼はその道をわれわれに教えられる,
われわれはその道に歩もう』と。
律法はシオンから出,
主の言葉は
エルサレムから出るからである。
彼はもろもろの国のあいだに
さばきを行い,
多くの民のために仲裁に立たれる。
こうして彼らは
そのつるぎを打ちかえて,
すきとし,
そのやりを打ちかえて,かまとし,
国は国にむかって,つるぎをあげず,
彼らはもはや戦いのことを学ばない。
ヤコブの家よ,
さあ,われわれは主の光に歩もう。」


「終わりの日」(2)とは,

この世界の終りの時を指します。


それは

キリスト・イエスの再臨の時です。



その時に,

エルサレムの神殿があった場所を中心に

イスラエルの民が

神の祝福を受けて

平和裏に繁栄することを

預言しています。



また,聖書全体の啓示,

特に救済史的観点から

メシヤ預言という視点で見るなら,

救い主キリスト・イエスの

福音の恵みにより

神の民とされた

新しいイスラエルとしての

キリスト者に与えられる

祝福の預言です。





聖霊


(イザヤ4:4,5)


「主が,

さばきの霊と焼き尽くす霊によって,

シオンの娘たちの汚れを洗い,

エルサレムの血を

その中からすすぎ清めるとき,

主は,シオンの山のすべての場所と

その会合の上に,

昼は雲,夜は煙と燃える火の輝きを

創造される。」




わたしたちの内に聖霊が宿ることは,

旧約の預言者たちが

預言していたことでした。


イザヤとゼカリヤは,

次のように預言していました。





(ゼカリヤ12:10)

「わたしは,

ダビデの家とエルサレムの住民の上に,

恵みと哀願の霊を注ぐ。」




新約聖書では,

聖霊(御霊)について

パウロが次のように言います。


「御霊の実」

(ガラテヤ5:22,23a)

「御霊の実は,愛,喜び,平和,

寛容,慈愛,善意,忠実,

柔和,自制であって,

これらを否定する律法はない。」



信仰を持ち,聖霊を受けた者は,

聖霊に導かれます。


そして,「御霊の実」が与えられます。




ぶどう園の歌


(イザヤ5:1) 

「さあ,

わが愛する者のためにわたしは歌おう。

そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。

わが愛する者は,

よく肥えた山腹に,

ぶどう畑を持っていた。」

 

「愛するもの」とは,

 ぶどう畑の所有者である神です。


「ぶどう畑」とは,

イスラエルの民です。

 

神は,イスラエルの民を愛しています。

 

しかし,

イスラエルの民の裏切りに対しての

神の怒りは大きいのです。

 

わたしたちは,

唯一の神に答えて生きたいと思います。





 ☆彡


ぶどう園の歌


(イザヤ5:1-7)


「さあ,

わが愛する者のためにわたしは歌おう。

そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。

わが愛する者は,

 よく肥えた山腹に,

ぶどう畑を持っていた。

彼はそこを掘り起こし,

 石を取り除き,

そこに良いぶどうを植え,

その中にやぐらを立て,

酒ぶねまでも掘って,

甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。

ところが,

酸いぶどうができてしまった。

そこで今,

エルサレムの住民とユダの人よ,

 さあ,

わたしとわがぶどう畑との間をさばけ。

わがぶどう畑になすべきことで,

 なお,

何かわたしが

しなかったことがあるのか。

 なぜ,

甘いぶどうのなるのを待ち望んだのに,

酸いぶどうができたのか。

さあ,今度はわたしが,

あなたがたに知らせよう。

わたしが

わがぶどう畑に対してすることを。

その垣を除いて,

荒れすたれるに任せ,

その石垣をくずして,

踏みつけるままにする。

わたしは,

これを滅びるままにしておく。

枝はおろされず,草は刈られず,

いばらとおどろが生い茂る。

わたしは雲に命じて,

この上に雨を降らせない。

まことに,

万軍の主のぶどう畑はイスラエルの家。

ユダの人は,

主が喜んで植えつけたもの。

主は公正を待ち望まれたのに,

見よ,流血。

正義を待ち望まれたのに,

見よ,泣き叫び。」



農夫とぶどう畑のたとえによって,

神の愛と,

 イスラエルの反逆を表わしています。





イザヤの預言者としての召命


(イザヤ6:1-3)

「ウジヤ王が死んだ年に,

私は,高くあげられた王座に

座しておられる主を見た。

そのすそは神殿に満ち,

セラフィムがその上に立っていた。

彼らはそれぞれ六つの翼があり,

おのおのその二つで顔をおおい,

二つで両足をおおい,

二つで飛んでおり,

互いに呼びかわして言っていた。

『聖なる,聖なる,聖なる,万軍の主。

その栄光は全地に満つ。』」



「万軍の主」とは,

天地万物を統轄している

神に対する呼称です。


ウジヤ王が死んだ年は,

前740年です。


北王国イスラエルの腐敗が

南王国ユダに激しく浸透しているとき,

イザヤは危機感を覚えます。


そのとき,

イザヤに神の幻が示されました。






新約聖書のヨハネの福音書には

次のように書いています。


(ヨハネ12:41)


「イザヤがこう言ったのは,

イザヤがイエスの栄光を見たからで,

イエスをさして言ったのである。」





イザヤの召し


(イザヤ6:6-8 口語訳)

「この時
セラピムのひとりが火ばしをもって,
祭壇の上から取った
燃えている炭を手に携え,
わたしのところに飛んできて,
わたしの口に触れて言った,
『見よ,
これがあなたのくちびるに触れたので,
あなたの悪は除かれ,
あなたの罪はゆるされた』。
わたしはまた主の言われる声を聞いた,
『わたしはだれをつかわそうか。
だれがわれわれのために
行くだろうか』。
その時わたしは言った,
『ここにわたしがおります。
わたしをおつかわしください』」。






処女受胎


(イザヤ7:14)

「それゆえ,主みずから,

あなたがたに

一つのしるしを与えられる。

見よ。

処女がみごもっている。

そして男の子を産み,

その名を

『インマヌエル』と名づける。」


処女がみごもるという奇跡が,

ユダの国民に与えるといいます。


この奇跡は,

新約聖書のイエスの降誕によって

成就します。


(マタイ1:23)

「見よ,処女がみごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。
(訳すと,
神は私たちとともにおられる,
という意味である。)」






主を待ち望む者


(イザヤ40:31 口語訳)

「主を待ち望む者は新たなる力を得,

わしのように翼をはって,

のぼることができる。

走っても疲れることなく,

歩いても弱ることはない。」


イスラエルの神は永遠の神であり,

創造主であり,

力ある全知全能のお方です。


その神に信頼する者には

新しい力が与えられ,

元気に満ちあふれるという約束が

あたえられました。





わたしはあなたを愛している


(イザヤ書43:4)

「わたしの目には,

あなたは高価で尊い。

わたしはあなたを愛している。」   



神は「わたしはあなたを愛している。」

と言ってくださっています。
 



新約聖書では,

この愛はイエス・キリストを

とおして現わされました。


イエス・キリストの十字架の業によって,

私たちの罪を赦してくださいます。


十字架は,神の私たちの愛の現れです。




受難の僕


(イザヤ53:3-5)


「彼はさげすまれ,

人々からのけ者にされ,

悲しみの人で病を知っていた。

人が顔をそむけるほどさげすまれ,

私たちも彼を尊ばなかった。

まことに,彼は私たちの病を負い,

私たちの痛みをになった。

だが,私たちは思った。

彼は罰せられ,神に打たれ,

苦しめられたのだと。

しかし,彼は,

私たちのそむきの罪のために

刺し通され,

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが

私たちに平安をもたらし,

彼の打ち傷によって,

私たちはいやされた。」


この預言は,

イエスの受難と十字架の死によって

成就しました。


イエスの弟子のペテロは,

次のように言います。



(1ペテロ2:21-24)

「あなたがたが
召されたのはこのためです。
というのは,
キリストもあなたがたのために
苦しみを受け,
その足跡に続くようにと,
模範を残されたからです。
『この方は,罪を犯したことがなく,
その口には偽りがなかった。』
ののしられてもののしり返さず,
苦しめられても人を脅さず,
正しくお裁きになる方に
お任せになりました。
そして,十字架にかかって,
自らその身にわたしたちの罪を
担ってくださいました。
わたしたちが,罪に対して死んで,
義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって,
あなたがたはいやされました。」




新天新地


(イザヤ65:25)

「狼と子羊は共に草をはみ,

獅子は牛のように,わらを食い,

蛇は,ちりをその食べ物とし,

わたしの聖なる山のどこにおいても,

これらは害を加えず,そこなわない」

と主は仰せられる。


神の国の到来の預言です。

キリストの再臨の時に来る,

新天新地を預言しています。

ペテロも次のように預言しています。


(2ペテロ3:13)

「私たちは,神の約束に従って,

正義の住む新しい天と新しい地を

待ち望んでいます。」





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