3.誘惑を受ける(福音の初め)
マルコ1:12,13
「それから,
“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。
イエスは四十日間そこにとどまり,
サタンから誘惑を受けられた。
その間,野獣と一緒におられたが,
天使たちが仕えていた。」
(マルコ1:12,13)
Ⅰ
今日の福音書の箇所は
「誘惑を受ける」という箇所です。
荒れ野に導かれたイエスさまが
サタンから誘惑をお受けになりました。
このサタンの誘惑は,
イエスさまが洗礼をお受けになると
“すぐ”に起きています。
しかし,マルコによる福音書では,
誘惑がどんなものであったか
全く書かれていません。
ただ,「サタンから誘惑を受けた」
(マルコ1:13)
とだけ書かれています。
サタンから誘惑を受けたということが,
神の子イエス・キリストの福音と
どう関わっているのでしょうか。
もう一度,
この誘惑と言う事が書かれている文章を,
この福音書が書かれた
初めから吟味してみたいと思います。
この「誘惑を受ける」という箇所は
1章1節から15節まで続く
マルコによる福音書の序説,
初めの箇所です。
初めの箇所ですから,
この福音書全体のテーマや
これから起きる事について
紹介する文章が書かれていると共に,
これから起きる事への
準備がなされています。
テーマは,
「神の子イエス・キリストの福音」
(マルコ1:1)です。
この福音を宣べ伝えられるイエスさまは,
神様がお遣わしになられた方であることを
ヨハネの証言が明らかにします。
神様御自身もイエスさまが,
愛する子であり,
御心に適う方であることを
明らかにしてくださいます。
それと共に,
イエスさまご自身が
宣教をお始めになる準備として,
ヨハネから洗礼を受け,
誘惑を受けたことを示します。
Ⅱ
(マルコ1:9-11)
(イエス,洗礼を受ける)
ヨハネから洗礼を受けるということは,
イエスさまのこれからの活動は,
人として,
人の立場での活動であることを,
はっきりさせる出来事です。
この人の立場に立っての洗礼を
お受け入れになりなったことを,
ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けます。
「水の中から上がると“すぐ,
”天が裂けて
“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを,
御覧になった」(マルコ1:10)
ことで,
イエスさまご自身も神様から愛され,
御心に適っているということを
確認されます。
Ⅲ
(マルコ1:12-13 誘惑を受ける)
また,この御霊が降ってきたという事が,
次の「誘惑を受ける」
ということのつながりを示します。
洗礼を受け,
人の立場に立って,
福音を宣べ伝えられることと,
イエスさまが誘惑を
お受けになるということが
関係していることが示されます。
しかし,誘惑の内容を全く書きません。
マタイによる福音書では40日間の断食で,
空腹になられたイエスさまに悪魔は,
これらの石がパンになるようにと
命じたらどうかと誘惑します。
つぎに,神殿の屋根の端に立たせて,
ここから飛び下りて見よと誘惑します。
最後に,また非常に高い山に連れて行き,
世のすべての国々とその繁栄振りを見せて,
「もしひれ伏してわたしを拝むなら,
これをみんな与える」(マタイ4:9)
と誘惑します。
ところがマルコによる福音書は
全くこのような誘惑の内容は
書いていません。
イエスさまが,神の御子だからです。
マルコによる福音書にとっては,
荒れ野での出来事は誘惑として
受け取る出来事ではなかったのです。
新共同訳聖書では,
ほかの福音書に合わせて
誘惑という言葉を使っています。
マルコによる福音書では,
荒れ野での出来事は誘惑としてではなく,
神の御子に対する「試み」であり,
試練なのです。
イエスさまは荒れ野で
試練をお受けになりました。
神の御子は
福音を宣べ伝えるために人の立場に立って,
人と同じ試練を
お受けになったことを伝えようと
マルコによる福音書はしています。
そうすると,
イエスさまが御霊によって
導かれた荒れ野とは,
わたしたちが生きている世界,
すなわちイエスさまが
福音を宣べ伝えようといておられる
世界を示しています。
この世界には悪魔の誘惑もあり,
わたしたちに害をもたらす
野獣も棲んでいます。
この世界で福音を宣べ伝えるために,
イエスさまは御霊によって
荒れ野へと導かれ,
サタンと戦われます。
イエスさまにとって,
荒れ野は「サタンとの戦い」
が起きるところです。
そこにはサタンと組んで戦いを挑む
「野獣」(マルコ1:13)もいます。
しかしイエスさまに仕える
「天使たち」(マルコ1:13)
もいるのです。
荒れ野では
「サタンと野獣の連合軍」と
「イエスさまと天使たち」との戦いが,
繰り広げられたのです。
勝利は,神の御子にある事は明らかです。
「天使たちが仕えていた」
(マルコ1:13)という言葉で,
マルコによる福音書は
「イエスさまの勝利」を伝えています。
Ⅳ
(詩篇130)
詩編130編には,
この世界で助けを求めている人の祈りが
次のように始まります。
「深い淵の底から,
主よ,あなたを呼びます。
主よ,この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に
耳を傾けてください。」
(詩篇130:1,2)
そして,
主の助けをいかに待ち望んでいるかを
次のように祈ります。
「わたしは主に望みをおき,
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つのにもまして,
見張りが朝を待つにもまして。」
(詩篇130:5,6)
その祈りに
イエスさまの荒れ野での出来事は
勝利をもって答えてくださいます。
御霊に導かれているわたしたちも
この勝利に与かりましょう。
祈り
苦難の時にもサタンとの戦いに勝利された
イエスさまを仰ぎ,
その勝利に与からせてください。
☆彡
詩篇 130 (都に上る歌。)
「深い淵の底から,
主よ,あなたを呼びます。
主よ,この声を聞き取ってください。
嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
主よ,
あなたが罪をすべて心に留められるなら,
主よ,誰が耐ええましょう。
しかし,赦しはあなたのもとにあり,
人はあなたを畏れ敬うのです。
わたしは主に望みをおき,
わたしの魂は望みをおき,
御言葉を待ち望みます。
わたしの魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして,
見張りが朝を待つにもまして。
イスラエルよ,主を待ち望め。
慈しみは主のもとに,
豊かな贖いも主のもとに。
主は,イスラエルを,
すべての罪から贖ってくださる。」
(松隈貞夫牧師)
2021-02-28
2009年3月1日