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朝の光(聖書の言葉)

ヨハネの福音書 2021.3.4

「ヨハネの福音書」の中のことばを

各章から,数節ずり取り上げました。




(ヨハネ1:1−3)

「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。
この言は,
初めに神と共にあった。
万物は言によって成った。
成ったもので,
言によらずに成ったものは
何一つなかった。」
(ヨハネ1:1−3)


「初めに」は

創世記1:1に使われている言葉です。

「言」とは,イエス・キリストのことです。

創造には三位一体の神が働かれました。


(創世記1:1−3)

「初めに,
神は天地を創造された。
地は混沌であって,
闇が深淵の面にあり,
神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。
『光あれ。』こうして,
光があった。」






(ヨハネ2:11)

「イエスは,
この最初のしるしを
ガリラヤのカナで行って,
その栄光を現された。
それで,
弟子たちはイエスを信じた。」


カナの婚礼で,イエス・キリストは,

水をぶどう酒に変える奇跡をなさいました。

栄光とは,神があらわれることです。

この奇蹟によって,

弟子たちはイエス・キリストを信じました。




(ヨハネ3:16)

「神は,
その独り子を
お与えになったほどに,
世を愛された。
独り子を信じる者が
一人も滅びないで,
永遠の命を得るためである。」


イエスが,ニコデモに話された言葉です。

イエスはニコデモにまず,

次のように言いました。


(ヨハネ3:3)

「イエスは答えて言われた。
『はっきり言っておく。
人は,新たに生まれなければ,
神の国を見ることはできない。』」





(ヨハネ4:14)

「わたしが与える水を飲む者は
決して渇かない。
わたしが与える水は
その人の内で泉となり,
永遠の命に至る水がわき出る。」



イエスが,

井戸に水を汲みに来た

サマリヤの女に話しました。




(ヨハネ5:8,9)

「イエスは言われた。
『起き上がりなさい。
床を担いで歩きなさい。』
すると,
その人はすぐに良くなって,
床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。」


イエスはべテスダの病人をいやしました。

この後,イエスは次のように話さします。


(ヨハネ5:17)

「イエスはお答えになった。
『わたしの父は
今もなお働いておられる。
だから,
わたしも働くのだ。』」






(ヨハネ6:48)

「わたしは命のパンである。」



イエスは,5つのパンと2匹の魚から,

5千人の人々を満腹させます。

その後に話しました。




(ヨハネ7:37,38)

「祭りが
最も盛大に祝われる終わりの日に,
イエスは立ち上がって
大声で言われた。
『渇いている人はだれでも,
わたしのところに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その人の内から生きた水が
川となって
流れ出るようになる。』」



仮庵の祭りで,

イエス・キリストが言いました。




イエス・キリストは

姦淫の女に次のように言います。


(ヨハネ8:11)

「わたしも
あなたを罪に定めない。
行きなさい。
これからは,
もう罪を犯してはならない。」

このあと,
次のように言います。


(ヨハネ8:12)

「わたしは世の光である。
わたしに従う者は
暗闇の中を歩かず,
命の光を持つ。」





(ヨハネ9:1−3)

「さて,イエスは通りすがりに,
生まれつき目の見えない人を
見かけられた。
弟子たちがイエスに尋ねた。
『ラビ,
この人が生まれつき目が
見えないのは,
だれが罪を犯したからですか。
本人ですか。
それとも,両親ですか。』
イエスはお答えになった。
『本人が罪を犯したからでも,
両親が罪を犯したからでもない。
神の業が
この人に現れるためである。』」



弟子たちが

生まれつきの盲人について

質問をします。

そして,イエスが答えました。

この後,

盲人は目が見えるようになります。




(ヨハネ10:11)

「わたしは良い羊飼いである。
良い羊飼いは
羊のために命を捨てる。」


イエスの言葉です。

旧約聖書では,羊飼いは救い主,

イスラエルの指導者のことを

表すわしました。


(詩編23:1)

「主は羊飼い,
わたしには
何も欠けることがない。」





(ヨハネ11:25)

「イエスは言われた。
『わたしは復活であり,
命である。
わたしを信じる者は,
死んでも生きる。』」



イエスが,

マルタとマリヤの兄弟ラザロを

死から生き返らせたとき,

言いました。





(ヨハネ12:23,24)

「イエスはこうお答えになった。
『人の子が栄光を受ける時が来た。
はっきり言っておく。
一粒の麦は,
地に落ちて死ななければ,
一粒のままである。
だが,死ねば,
多くの実を結ぶ。』」


イエスがエルサレムで

ギリシャ人に話しました。

十字架につけられる週の火曜日,

宮の中での出来事です。

この後,イエスは十字架につけられ,

3日の後復活します。

イエスの生涯を

現している言葉でもあります。





(ヨハネ13:34)

「あなたがたに新しい掟を与える。
互いに愛し合いなさい。
わたしが
あなたがたを愛したように,
あなたがたも
互いに愛し合いなさい。」



最後の晩餐のときに,

イエスが弟子に言いました。

イエスの愛は,

弟子たちへの模範でした。





(ヨハネ14:1)

「心を騒がせるな。
神を信じなさい。
そして,
わたしをも信じなさい。」


イエスが十字架につけられる前,

最後の晩餐のときに,

弟子に話しました。

このつぎに,

次のように言われます。


(ヨハネ14:6)

「イエスは言われた。
『わたしは道であり,
真理であり,命である。
わたしを通らなければ,
だれも父のもとに
行くことができない。』」



(ヨハネ15:5)

「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。」




最後の晩餐の後,

イエスがゲッセマネの園に

行く途中に弟子たちに話します。

(ヨハネ16:33)

「これらのことを話したのは,
あなたがたがわたしによって
平和を得るためである。
あなたがたには世で苦難がある。
しかし,勇気を出しなさい。
わたしは既に世に勝っている。」



この後,

イエスは十字架につけられますが,

世に勝っていることは

復活によって証明されました。




(ヨハネ17:24)

「父よ,
わたしに与えてくださった人々を,
わたしのいる所に,
共におらせてください。
それは,
天地創造の前からわたしを愛して,
与えてくださったわたしの栄光を,
彼らに見せるためです。」



イエスが十字架につけられる前の祈りです。

次のように祈って終わります。


(ヨハネ17:26)

「わたしは
御名を彼らに知らせました。
また,これからも知らせます。
わたしに対するあなたの愛が
彼らの内にあり,
わたしも彼らの内に
いるようになるためです。」






(ヨハネ18:37)

「そこでピラトが,
『それでは,やはり王なのか』
と言うと,
イエスはお答えになった。
『わたしが王だとは,
あなたが言っていることです。
わたしは真理について
証しをするために生まれ,
そのためにこの世に来た。
真理に属する人は皆,
わたしの声を聞く。』



イエスが逮捕され,

ピラトに尋ねられた答えです。

ピラトはユダヤのローマ総督です。




(ヨハネ19:30)

「イエスは,
このぶどう酒を受けると,
『成し遂げられた』と言い,
頭を垂れて息を引き取られた。」



イエスが十字架につけられたときの

最後の言葉です。

イエスの生涯は,

人の罪のために身代わりとなって

死ぬことでした。

この業を「成し遂げられた」のです。




(ヨハネ20:22,23)

「そう言ってから,
彼らに息を吹きかけて言われた。
『聖霊を受けなさい。
だれの罪でも,
あなたがたが赦せば,
その罪は赦される。
だれの罪でも,
あなたがたが赦さなければ,
赦されないまま残る。』」



イエスが復活し弟子たちに現れ,

言いました。




(ヨハネ21:7)

「イエスの愛しておられた
あの弟子が
ペトロに,
『主だ』と言った。
シモン・ペトロは
『主だ』と聞くと,
裸同然だったので,
上着をまとって湖に飛び込んだ。」


「イエスの愛しておられた
あの弟子」とは,
この福音書を書いた
ヨハネだと言われています。

ペテロが復活のイエスに
会ったときのことです。

ペテロは
なぜ湖に飛び込んだのでしょう。


当時,泳ぐときは服を着て
泳ぐ習慣があったようです。


2021-03-04

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