ヤコブ2章
行いのない信仰
(ヤコブ2:14)
「私の兄弟たち。
だれかが自分には
信仰があると言っても,
その人に行いがないなら,
何の役に立ちましょう。
そのような信仰が
その人を
救うことができるでしょうか。」
ヤコブは,
行いを伴わない信仰は口先だけのもので
役に立たないものであると言います。
ここで言う信仰とは,
単なる知識としての信仰,
あるいは言葉や儀式としての信仰です。
「何の役に立ちましょう」は,
最後の審判の時にその人を救うことが
出来ないという意味です。
○
(マタイ7:21)
「わたしに向かって,
『主よ,主よ』と言う者が
みな天の御国に入るのではなく,
天におられるわたしの父のみこころを
行う者が入るのです。」
○
(ローマ10:9,10)
「なぜなら,
もしあなたの口でイエスを主と告白し,
あなたの心で
神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら,
あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ,
口で告白して救われるのです。」
信仰は行いによって完成する
○
行いの伴う信仰
(ヤコブ2:22)
「アブラハムの信仰が
その行いと共に働き,
信仰が行いによって
完成されたことが,
これで分かるでしょう。」
パウロの「義と認める」とは,
「義であることを宣言する」
ということです。
ヤコブの「信仰による義」とは,
「義の実現」を示しています。
(ヤコブ2:23)
「『アブラハムは神を信じた。
それが彼の義と認められた』
と言う聖書の言葉が実現し,
彼は神の友と呼ばれたのです。」
○
行いを欠く信仰は死んだもの
(ヤコブ2:14-23)
わたしの兄弟たち,
自分は信仰を持っていると
言う者がいても,
行いが伴わなければ,
何の役に立つでしょうか。
そのような信仰が,
彼を救うことができるでしょうか。
もし,兄弟あるいは姉妹が,
着る物もなく,
その日の食べ物にも
事欠いているとき,
あなたがたのだれかが,
彼らに,
「安心して行きなさい。
温まりなさい。
満腹するまで食べなさい」
と言うだけで,
体に必要なものを
何一つ与えないなら,
何の役に立つでしょう。
信仰もこれと同じです。
行いが伴わないなら,
信仰はそれだけでは
死んだものです。」
しかし,
「あなたには信仰があり,
わたしには行いがある」
と言う人がいるかもしれません。
行いの伴わない
あなたの信仰を見せなさい。
そうすれば,
わたしは行いによって,
自分の信仰を見せましょう。
あなたは「神は唯一だ」と信じている。
結構なことだ。
悪霊どももそう信じて,
おののいています。
ああ,愚かな者よ,
行いの伴わない信仰が
役に立たない,
ということを知りたいのか。
神がわたしたちの父アブラハムを
義とされたのは,
息子のイサクを祭壇の上に献げる
という行いによってではなかったですか。
アブラハムの信仰がその行いと共に働き,
信仰が行いによって完成されたことが,
これで分かるでしょう。
「アブラハムは神を信じた。
それが彼の義と認められた」
という聖書の言葉が実現し,
彼は神の友と呼ばれたのです。
2023-01-26