悔改めと赦し
(詩篇32:5)
「私のそむきの罪を
主に告白しよう。』
すると,
あなたは私の罪のとがめを
赦されました。」
これは7つの悔い改めの詩篇
(6,32,38,51,102,
130,143篇)
の中の1つです。
この詩篇の背景には
ダビデとバテ・シェバ事件が
あったと考えられます。
詩編51篇の悔い改めに続く,
罪赦された喜びの中での
決意の歌であるとされています。
8節の「わたし」とは,
ダビデが神の教えを
語っていると考えます。
罪の告白によって,
わたしたちの罪が赦されることは,
イエス・キリストによって
成し遂げられました。
十字架で血を流した命との
引き換えでした。
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イエス・キリストの弟子のヨハネは,
次のように言います。
(1ヨハネ1:6-10)
「わたしたちが,
神との交わりを持っていると言いながら,
闇の中を歩むなら,
それはうそをついているのであり,
真理を行ってはいません。
しかし,神が光の中におられるように,
わたしたちが光の中を歩むなら,
互いに交わりを持ち,
御子イエスの血によって
あらゆる罪から清められます。
自分に罪がないと言うなら,
自らを欺いており,
真理はわたしたちの内にありません。
自分の罪を公に言い表すなら,
神は真実で正しい方ですから,罪を赦し,
あらゆる不義から
わたしたちを清めてくださいます。
罪を犯したことがないと言うなら,
それは神を偽り者とすることであり,
神の言葉は
わたしたちの内にありません。」
○
詩篇32
幸いなことよ
(詩篇32:1,2)
「 幸いなことよ。
そのそむきを赦され,
罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。
主が,咎をお認めにならない人,
心に欺きのないその人は。」
パウロは,信仰による義認として,
この詩篇32:1,2を
取り上げています。
パウロはこの箇所を引用して
ローマ書に引用されています。
(ローマ4:6-8)
「ダビデもまた,
行ないとは別の道で神によって
義と認められる人の幸いを,
こう言っています。
『不法を赦され,
罪をおおわれた人たちは,
幸いである。
主が罪を認めない人は幸いである。』」
2020-05-01