私は今や注ぎの供え物となります。
(2テモテ4:6-8)
「私は今や注ぎの供え物となります。
私が世を去る時はすでに来ました。
私は勇敢に戦い,
走るべき道のりを走り終え,
信仰を守り通しました。
今からは,
義の栄冠が私のために
用意されているだけです。
かの日には,
正しい審判者である主が,
それを私に授けてくださるのです。
私だけでなく,
主の現われを慕っている者には,
だれにでも授けてくださるのです。」
注ぎの供え者とは殉教の死です。
2テモテは,
パウロ最後の手紙だといわれています。
「主の現われ」とは再臨のことです。
パウロは,手紙の最後に
主の再臨の喜びを伝えています。
☆彡
(2テモテ4:6-8 新共同訳)
「わたし自身は,
既にいけにえとして献げられています。
世を去る時が近づきました。
わたしは,戦いを立派に戦い抜き,
決められた道を走りとおし,
信仰を守り抜きました。
今や,義の栄冠を受けるばかりです。
正しい審判者である主が,
かの日にそれをわたしに
授けてくださるのです。
しかし,わたしだけでなく,
主が来られるのを
ひたすら待ち望む人には,
だれにでも授けてくださいます。」
2023-07-13