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朝の光(聖書の言葉)

2コリント 2024.8.28 H.K

2コリント 2024.8.28 





神に頼む者


(2コリント1:9)

「ほんとうに,
自分の心の中で死を覚悟しました。
これは,もはや自分自身を頼まず,
死者をよみがえらせてくださる神に
より頼む者となるためでした。」


神は死者を

復活させてくださる方です。


神の真理を学ぶには,

わたしたちは

御言葉を聞くだけでなく,

従うことが必要です。


パウロは,

自分の力は

頼れないことをとおして,

神に希望を見出しました。


パウロの言葉はイエスの生涯,

聖霊の働きを

自分の体験で確認しました。


☆彡


(2コリント1:8-10)

「兄弟たちよ。
私たちが
アジヤで会った苦しみについて,
ぜひ知っておいてください。
私たちは,非常に激しい,
耐えられないほどの圧迫を受け,
ついにいのちさえも危くなり,
ほんとうに,
自分の心の中で死を覚悟しました。
これは,もはや自分自身を頼まず,
死者をよみがえらせてくださる
神により頼む者となるためでした。
ところが神は,
これほどの大きな死の危険から,
私たちを
救い出してくださいました。
また将来も
救い出してくださいます。
なおも
救い出してくださるという望みを,
私たちは
この神に置いているのです。」



 ○



心に聖霊を受ける


(2コリント1:22)

「神はまた,
わたしたちに証印をおし,
その保証として,
わたしたちの心に
御霊を賜わったのである。」


神が与える証印は聖霊です。


イエス・キリストを信じる人は

すべて聖霊を受けています。


信じる者の心にある聖霊は

 
救いの保証となります。

 

☆彡


使徒行伝を読むと,

当時のキリスト者は

異言を伴う聖霊のバプテスマを

受けていました。


そして,

聖霊を受けた体験を

持ち続けることができました。


それは

救いの確信となっていました。






赦し,慰める


(2コリント2:7-9)

「あなたがたはむしろ彼をゆるし,
また慰めてやるべきである。
そうしないと,
その人はますます深い悲しみに
沈むかも知れない。
そこでわたしは,
彼に対して愛を示すように,
あなたがたに勧める。
わたしが書きおくったのも,
あなたがたがすべての事について
従順であるかどうかを,
ためすためにほかならなかった。」


教会を困らせた人を

赦しなさいといいます。





心に刻まれた言葉


(2コリント3:3)

「あなたがたが私たちの
奉仕によるキリストの手紙であり,
墨によってではなく,
生ける神の御霊によって書かれ,
石の板にではなく,
人の心の
板に書かれたものであることが
明らかだからです。」


モーセに

与えられた言葉である十戒は,

石の板に書かれました。

イエス・キリストから

与えられた言葉は,

信仰をもつ

すべての人の心に刻まれます。






新しい契約 


(2コリント3:6)

「神は私たちに,
新しい契約に仕える者となる
資格をくださいました。
文字に仕える者ではなく,
御霊に仕える者です。
文字は殺し,
御霊は生かすからです。」


イエス・キリストを信じる者は,

聖霊によって生きます。


☆彡


(2コリント3:1-8)

「私たちは
またもや自分を推薦しようと
しているのでしょうか。
それとも,ある人々のように,
あなたがたにあてた推薦状とか,
あなたがたの推薦状とかが,
私たちに必要なのでしょうか。
私たちの推薦状はあなたがたです。
それは
私たちの心にしるされていて,
すべての人に知られ,
また読まれているのです。
あなたがたが私たちの奉仕による
キリストの手紙であり,
墨によってではなく,
生ける神の御霊によって書かれ,
石の板にではなく,
人の心の板に
書かれたものであることが
明らかだからです。
私たちはキリストによって,
神の御前で
こういう確信を持っています。
何事かを自分のしたことと
考える資格が
私たち自身に
あるというのではありません。
私たちの資格は神からのものです。
神は私たちに,
新しい契約に仕える者となる
資格を下さいました。
文字に仕える者ではなく,
御霊に仕える者です。
文字は殺し,
御霊は生かすからです。
もし石に刻まれた文字による,
死の務めにも栄光があって,
モーセの顔の,
やがて消え去る栄光のゆえにさえ,
イスラエルの人々が
モーセの顔を見つめることが
できなかったほどだとすれば,
まして,御霊の務めには,
どれほどの栄光が
あることでしょう。」






「新しい契約」とは,
キリストの血によって,
救われるという福音です。


(マタイ26:27,28)

「また杯を取り,
感謝して彼らに与えて言われた,
『みな,この杯から飲め。
これは,
罪のゆるしを得させるようにと,
多くの人のために
流すわたしの契約の血である。』」



「新しい契約」とは,
わたしたちが
イエス・キリストを信じるなら
神は罪を赦し,罪から救うという
契約です。






御霊によって歩む


(2コリント3:17,18 口語訳)

「主は霊である。
そして,
主の霊のあるところには,自由がある。
わたしたちはみな,顔おおいなしに,
主の栄光を鏡に映すように見つつ,
栄光から栄光へと,
主と同じ姿に変えられていく。
これは霊なる主の働きによるのである。」


イエス・キリストを信じると

聖霊を受け取ります。


そして聖霊によって,

自由にされます。






4章


土の器

(2コリント4:6)

「私たちは,この宝を,
土の器の中に入れているのです。」


パウロが宣べ伝えたのは,

「土の器」-すなわち自分-ではなく,

「宝」-すなわちキリスト自身また福音-

です。


旧約聖書では,

神殿に神が宿りました。


新約聖書では,

わたしたちのからだに

聖霊が宿るのです。






イエスのいのち


(2コリント4:11)

「私たち生きている者は,
イエスのために
絶えず死に渡されていますが,
それは,
イエスのいのちが
私たちの死ぬべき肉体において
明らかに示されるためなのです。」


神のために生きるには,

自分に死ななければなりません。


この世に迎合しないで,

神のために生きることが,

この世のためになることでした。






イエスと共に復活


(2コリント4:14)

「主イエスをよみがえらせた方が,
私たちをもイエスとともによみがえらせ,
あなたがたといっしょに御前に立たせて
くださることを知っているからです。」


わたしたちの「死の体」は

永久に生きることは出来ません。


キリストは死を滅ぼし,

永遠のいのちを与えてくださいました。


イエス・キリストの再臨のとき,

わたしたちの体はよみがえります。






内なる人,永遠の栄光


(2コリント4:16-18)

「ですから,私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても,
内なる人は日々新たにされています。
今の時の軽い患難は,
私たちのうちに働いて,
測り知れない,
重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは,見えるものにではなく,
見えないものにこそ目を留めます。
見えるものは一時的であり,
見えないものは
いつまでも続くからです。」


「外なる人」とは,

生まれながらの人間です。


「内なる人」とは,

キリストによって

新しくなった人間のことです。


勇気のなくなったとき,

患難のとき,

神を見上げたいと思います。


そこに永遠の栄光があるからです。






御霊によって歩きなさい


(ガラテヤ5:16,17)口語訳

「わたしは命じる,
御霊によって歩きなさい。
そうすれば,
決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら,
肉の欲するところは御霊に反し,
また御霊の欲するところは
肉に反するからである。
こうして,
二つのものは互に相さからい,
その結果,
あなたがたは自分でしようと思うことを,
することができないようになる。」






6章


パウロの体験

(2コリント6:8-10)

「また,ほめられたり,
そしられたり,悪評を受けたり,
好評を博したりすることによって,
自分を神のしもべとして
推薦しているのです。
私たちは人をだます者のように見えても,
真実であり,
人に知られないようでも,よく知られ,
死にそうでも,見よ,生きており,
罰せられているようであっても,
殺されず,
悲しんでいるようでも,
いつも喜んでおり,
貧しいようでも,多くの人を富ませ,
何も持たないようでも,
すべてのものを持っています。」


パウロは死,病気の問題があり,

迫害を受け貧乏をしました。


しかし,パウロは信仰によって,

富む者となることを教えています。


イエスを信じる者は,

福音の豊かさを持つことができます。


この世が与えるもの以上のものです。


わたしたちは,所有する土地,

財産以上のものです。


主を信じるものには全宇宙が与えられ,

神御自身が

聖霊として心の内にやどってくださいます。



 ○



生ける神の宮


(2コリント6:18)

「神の宮と偶像とに,
何の一致があるでしょう。
私たちは生ける神の宮なのです。
神はこう言われました。
『わたしは彼らの間に住み,
また歩む。
わたしは彼らの神となり,
彼らはわたしの民となる。』」


旧約聖書に示された「神の宮」は,

イエス・キリストを信じる者です。


それは,心に神が宿っているからです。


その神は,天地を造った神です。




 7章


みこころに添った悔い

(2コリント7:10)

「神のみこころに添った悲しみは,
悔いのない,
救いに至る悔い改めを生じさせますが,
世の悲しみは死をもたらします。
ご覧なさい。
神のみこころに添ったその悲しみが,
あなたがたのうちに,
どれほどの熱心を
起こさせたことでしょう。
また,弁明,憤り,恐れ,慕う心,
熱意を起こさせ,
処罰を断行させたことでしょう。
あの問題について,あなたがたは,
自分たちがすべての点で
潔白であることを証明したのです。」


パウロは以前,「ある問題」について,

コリントの教会のある人に批判しました。


それを悔い改め,

教会は熱心を起こさせました。



 ○



キリストの富み


(2コリント8:9)

「主は富んでおられたのに,
あなたがたのために貧しくなられました。
それは,あなたがたが,
キリストの貧しさによって
富む者となるためです。」


イエス・キリストは,

父なる神から

すべてを与えられたお方でした。


しかし,イエス・キリストは

すべてを放棄して,

十字架に架かって下さいました。


それは私たちが,

心の内が富むものとなるためでした。



(マタイ20:28)

「人の子が,
仕えられるためではなく仕えるために,
また,多くの人の身代金として
自分の命を献げるために
来たのと同じように。」



☆彡



キリストの富み


(2コリント8:7-9)

「あなたがたは,すべてのことに,
すなわち,信仰にも,ことばにも,
知識にも,あらゆる熱心にも,
私たちから出てあなたがたの間にある
愛にも富んでいるように,
この恵みのわざにも
富むようになってください。
こうは言っても,
私は命令するのではありません。
ただ,他の人々の熱心さをもって,
あなたがた自身の愛の真実を
確かめたいのです。
あなたがたは,
私たちの主イエス・キリストの恵みを
知っています。
すなわち,主は富んでおられたのに,
あなたがたのために貧しくなられました。
それは,あなたがたが,
キリストの貧しさによって
富む者となるためです。」






喜んで与える


(2コリント9:7)

「ひとりひとり,
いやいやながらでなく,
強いられてでもなく,
心で決めたとおりにしなさい。
神は喜んで与える人を
愛してくださいます。」


献金の勧めですが,

いろいろなことに当てはまりそうです。



 ○


賜物に感謝


(2コリント9:15)

「ことばに表せないほどの賜物のゆえに,
神に感謝します。」


パウロはコリントから受けた

献金について感謝しています。






従順


(2コリント10:3-6)

「わたしたちは,
肉にあって歩いてはいるが,
肉に従って戦っているのではない。 
わたしたちの戦いの武器は,
肉のものではなく,
神のためには要塞をも破壊するほどの
力あるものである。
わたしたちはさまざまな議論を破り, 
神の知恵に逆らって立てられた
あらゆる障害物を打ちこわし,
すべての思いをとりこにして
キリストに服従させ, 
そして,
あなたがたが完全に服従した時,
すべて不従順な者を処罰しようと,
用意しているのである。」



従順はイエス・キリストへの信仰を,

積極的に行うことです。






主を誇る


(2コリント10:17,18)

「『誇る者は主を誇れ。』
自己推薦する者ではなく,
主から推薦される人こそ,
適格者として受け入れられるのです。」






教会に偽使徒が入る


(2コリント11:12-15)

「しかし,わたしは,
現在していることを今後もしていこう。
それは,わたしたちと同じように誇りうる
立ち場を得ようと
機会をねらっている者どもから,
その機会を断ち切ってしまうためである。
こういう人々はにせ使徒,
人をだます働き人であって,
キリストの使徒に擬装しているに
すぎないからである。
しかし,驚くには及ばない。
サタンも光の天使に擬装するのだから。
だから,たといサタンの手下どもが,
義の奉仕者のように擬装したとしても,
不思議ではない。
彼らの最期は,
そのしわざに合ったものとなろう。」


コリント教会に,

にせ使徒が入っていました。


にせ使徒は,

パウロが偽の使徒だといいます。


2コリントを書いたのは,

パウロ自身が使徒であるということの

弁明のためでした。






第三の天


(2コリント12:1-4)

「わたしは誇らざるを得ないので,
無益ではあろうが,
主のまぼろしと啓示とについて語ろう。
わたしはキリストにある
ひとりの人を知っている。
この人は十四年前に
第三の天にまで引き上げられた
―それが,からだのままであったか,
わたしは知らない。
からだを離れてであったか,
それも知らない。
神がご存じである。
この人が
―それが,からだのままであったか,
からだを離れてであったか,
わたしは知らない。神がご存じである―
パラダイスに引き上げられ,
そして口に言い表わせない,
人間が語ってはならない
言葉を聞いたのを,
わたしは知っている。」


この体験は,

パウロ自身の体験であるように思えます。


使徒行伝にあるパウロの

回心の時ではないかと思えます。


単なる思い過ごしでなく,

この体験の後,

人生が変わり,

不思議な才能を生涯持ち続けました。


パウロは回心の時,

聖霊に満たされています。


パウロの人生と手紙が

この体験によっていると考えると,

わかりやすいと思われます。






弱さの内に現れる主 


(2コリント12:9)

「しかし,主は,
『わたしの恵みは,
あなたに十分である。
というのは,
わたしの力は,
弱さのうちに
完全に現われるからである。』
と言われたのです。
ですから,私は,
キリストの力が私をおおうために,
むしろ大いに喜んで
私の弱さを誇りましょう。」


パウロは「肉体に一つのとげ」

(2コリント12:7)が

与えられました。


それは,視力が弱かったこととか,

顔形が見苦しかったのでは

ないかと言われています。


パウロは,この「弱さのうち」にこそ

主があらわれるのだといいます。




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