「コミュニケーション」。この言葉は、「会話をする」「交流する」といった意味合いで、使用されているように思います。
1970年代半ば、ダンス&ラーソンという研究者が当時の論文をチェックして、「コミュニケーション」という言葉がどのような定義で使用されているか調べています。その際に整理され、分類された定義は、126種類ありました。例えば、「(ひとが)他者を理解し、かつ他者からも理解されようとする過程」といった相互作用の過程として定義したり、「一人の個人から一人の個人に意味を移す過程」といった意味付与説と呼ばれるものなどなど。さらには、「機能的物体間の相互作用」として自然や動物、コンピュータ、通信、運輸など広範囲な物体を範囲に含めるものなど、ずいぶんとたくさんの定義で使用される言葉でした。
ここでは、「ひとが意味を伴うメッセージを解釈し、伝達し、交換する行為」としておきましょう。語源を考えると、どこかに「共有」「分かち合う」「共通認識を持つ」といった意味をいれたいところですが、それらは行為の結果なので、まずは、よりシンプルに設定をしておきます。あくまでひとが主語。ヒューマンコミュニケーションのお話です。そして、メッセージには、言葉もありますが、表情や音、色彩といった非言語の要素も含みます。
ちなみに、コミュニケーションを日本語にすると、「伝達」「通信」「意思疎通」となり、ひとつの言葉には置き換えられないようです。日本という国は、言語を同じくする国民の比率が高く、また、島国であるために、高コンテキスト(コミュニケーションが価値観、感覚といったコンテクスト(文脈、背景)に大きく依存すること)の社会、察しの文化(相手の曖昧な言語表現や態度・表情を推測して相手のために思いやる行動や言動)であると言われます。ある程度閉鎖的な環境で、同じような言語、文化の中で長い時を過ごしてきましたから、日常のコミュニケーション行為自体に関心を寄せる必要がなかったのかもしれません。
参考文献
Frank E.X. Dance, Carl E. Larson「Functions of Human Communication: A Theoretical Approach」, Holt McDougal, 1976.
Edward Twitchell Hall「Doubleday」, Doubleday ,1976.
日本語訳『文化を超えて』岩田慶治・谷泰共訳、阪急コミュニケーションズ、1993年。