当たり前のように使用している「ことば」ですが、それぞれのことばのもつ意味は初めから固定されているわけではありません。ことばは、象徴(シンボル)そして記号です。恣意的(論理必然性がない)で、意図的で、人為的なものです。例えば、AIということばは、それを使うひとにとってAIが指すものとの関係を示しています。そのひとがAIについて脳のなかに持っている情報やイメージ、その時々の感情などを恣意的に表現するときに個々人が選び、使うのが「ことば」です。「ことば」そのものに意味はなく、それを使うひとのなかに意味が存在しています。
ひととことば(=記号)、そしてそのひとにとってのことばが指し示すものとの関係、意味について、哲学者、数学者であるC.S.パースは、「三項図式」を提示しています。
図1 記号の三項図式
石田,2003,64ページを参考に、作図。
参考文献:Peirce ,C.H.,内田種臣編訳,1986,134ページ。
ここでは、AIということばが、記号です。対象は、そのことばが指し示すものやこと。そして、AIの持つ解釈項(明確化された記号の意味、観念)を示しています。「対象は、記号によって意味を付与されますが、記号の意味はそれを解釈する体系(=解釈項)と不可分に結びついており、解釈作用として対象に意味を与えるのです」(石田,2003)。
わたしたちは、常に記号とその対象、そして解釈項という三項から成る「記号作用」を行いながら、「ことば」を使っているわけです。(図1参照)
ことば、対象、そして解釈項は、固定されたものではありません。そのため、ことばは極めて曖昧な存在となり、使うひとによって異なる記号作用が行われ、おのずとズレが生じます。
記号論をかじると、「言葉尻に反応すること」が激減します。ことばは、単なる記号、あいまいな存在と自覚するためです。むしろ、背後で働く「解釈項」に意識が向かいます。
参考図書
C・S・パース 内田種臣編訳『パース著作集2』, 勁草書房,2000。
石田英敬『記号の知、メディアの知』東京大学出版会,2003。
宮原哲『入門コミュニケーション』松柏社,2007。
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