「日本の医療費の無駄遣いだ!もう治療は要らない」
病室があるフロア全体に響くように、そう大きな声で叫んだ。
マコちゃんには、医療の知識があった。自分が逝く日を自分で決めた。
一切の治療を拒否し、一切の食事を拒絶した。それから2週間後、マコちゃんは静かに息を引き取った。
彼には、大好きな孫がいた。幼いころは、見えない目の代わりになって、手をつなぎ、釣り道具屋さんへでかけたり、釣りへも一緒にでかけてくれた孫だった。青年となり、逞しく成長した彼が、海外赴任から戻る日を心待ちにしていた。彼に会ってから、マコちゃんは逝こうと決めていた節がある。最後に、大好きな孫とスーちゃん、3人で写った笑顔の写真を残して、逝ってくれた。ずいぶんと小さくなったからだで、嬉しそうに笑っている。
その2か月ほど前だったろうか。危篤状態に陥ったこともあった。その日、娘は、大阪に居て、会議中であった。スーちゃんから電話が入る。もうひとりの娘もいた。
「今晩、もたないかもしれない。来なくてよい。仕事を全うしろ。ただし、お父さんに会えない可能性があることを覚悟しろ」。
ふたりは、そう言った。
マコちゃんもマコちゃんなら、スーちゃんもスーちゃんである。娘もだ。
おぼろげに覚えていた谷川俊太郎さんの詩を思い出した。
「あなたが死にかけているときに
あなたについて考えないでいいですか
あなたから遠く遠くはなれて
生きている恋人のことを考えても
それがあなたを考えることにつながる
とそう信じてもいいですか
それほど強くなっていいですか
あなたのおかげで」
今、その時、目の前にいるひとの役に立つことで、自身の親のこころを穏やかにし、満たすことができる。自分の親はふたりともそういう人間だったのだ。
北九州から遠く離れた大阪の地でひとひとりの覚悟と逝き方を教えてもらえた瞬間でもあった。
子が親を選べないのと同様に、親もまた子を選べない。
しかし、ふたりのもとにいのちをいただいて、幸せであったと思える。子どもから見ると、いのちある最後の最後まで、甘えることなく、筋が通ったぶれないふたりであった。
逝く日の数日前、せん妄が起きていたのだろう。マコちゃんが娘の目を見てこう言った。
「もうじき水が来るから、君から先に逃げろ」。
どうやら、船にいるらしい。娘は、答えた。
「わかった。逃げるから、すぐにお父さんも逃げて。後ろに居てよ」。
マコちゃんは、首を縦に振りながら、微笑んだ。
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