これは、生活をゆたかに、多少楽にする処方箋として、幾多の研究者のちからを借りて、綴るコミュニケーションをテーマにしたノートです。
タイトルのCommunisは、「公共の、全体で共有されている(共有する)」といった意味を持つラテン語。コミュニケーションという言葉の語源です。
「ソファに少女が座っている」
かつて、短大生40名に、この言葉を絵にしてもらったことがあります。当然のことですが、誰一人同じかたちを描く人はいません。
ソファといってもパーソナルソファもあれば三人掛けもあります。少女となると、姿かたちは千差万別。座る、という行為一つとっても座り方、足の置き方など想像は広がるばかりです。
さきほど、「当然のことながら」と書きました。しかし、わたしたちは普段この当然のことを忘れて生きています。恋人の気持ちがわからないと不安になり、また、子どもが自分の思い通りにならないと苛立つ。時には、陰惨な事件にまで発展するケースがあります。
コミュニケーション論を手掛かりに、ひととひととの関りややりとりを考えていくと他人の気持ちはわからなくて当たり前、まして他人が思い通りになることなどほぼありえない。したがって、不安を感じても致し方なく、また、苛立つことも回数が減るように思います。ずいぶんと”こころ“が、楽になれるように思うのです。しかし、コミュニケーション論という学問領域があることすら、国内ではあまり知られていません。コミュニケーション研究自体は長い歴史を持っているのですが、セオリーと言えるかどうかはまた別問題でもあります。
以前から、コミュニケーションに関する知見を自然に楽しく知ることができる絵本を描きたいと思ってきました。何度か挑戦するものの、なかなか難しい。説教臭くなるのです。
(この文章も、かもしれません)
まずは、先人たちの教えを基礎にして、普段わたしたちが何気なくやっているコミュニケーション行為について、ノートとして書いていきます。
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