「勉強してくれて、ありがとう」
マコちゃんが逝く少し前に、娘に言った。
意外な言葉であった。なにしろ、物心ついてから「勉強しなさい」などと言われたことは一度もない。ただ、或る人の葬儀の席上でたまたま隣同士に座ったことがあった。
大学院に在籍していた当時、京都から出向いた娘を見て、「君は、勉強が好きだねぇ。そうやって、自分が関心を持てること、勉強し続けるといいよ。そうしたら、なにかしら、ずっとひとの役に立てるよ」
そう言われたことはあった。
マコちゃん自身が、勉強熱心なひとではあった。患者さんの症状を理解するのに
納得のいく答えが見つからない場合は、夜が更けてなお、いつまでも治療室で書籍をめくっていた。点字を追っていたこともあった。本人を襲った病についても、「説明がつかない」「わからない点がある」と言いながら、その原因や対処法をずっと考えていた。
振り返ると、マコちゃんもスーちゃんも地頭の良いひとだった。しかし、ふたりとも早くに両親を失い、自立する必要があった。十分な教育を受ける機会には恵まれなかった。学校教育、とりわけ高等教育機関への進学は難しく、望みつつ、あきらめたことがあったのだろう。そのためだろうか。娘二人には、存分にチャンスを与えた。
しかし、決して、なにかを押し付けることやどこかへ誘導するようなことはなかった。娘たちが自発的に関心を持ったこと、学びたいと言い出したことにだけ、賛同し、笑顔で機会を与えてきた。
お習字や英語教室、絵画教室、そろばん塾といった習い事、進学先の選定や決定、殊、学びという行為に関しては、娘には、なにかを諦めたという記憶はない。さしずめ娘にとっては、マコちゃんとスーちゃんが、精神的、経済的なサポーターであり、スポンサーだったように思える。ただし、見返りをなにひとつ要求しない稀有なスポンサーであった。
なにかを学びたい。なにかをしたい。そういった子どもたちのWantの部分をふたりは上手に掬い取り、実現していくようにバックアップをしてくれた。子どもにしてみるとノビノビとやりたいことをやっているだけとなる。見えないところで、バックアップをしてもらっているため、当の娘たちは意識すらせずに、やりたいことができて、愉しいばかりであった。
そんな子どもたちの姿を静かに喜んでいてくれたこと、80歳を優に過ぎたマコちゃんに教えられた。
「マコちゃん、こちらこそ、ありがとう」。
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