梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

こぼれたミルクは戻らない。けれど、学べます。

2022-01-24 07:41:41 | 雑記 Communis2022

わたしたちが日常行っているコミュニケーション行為は、9つの要素[i]から構成されるプロセスです。このプロセスには、大切な2つの特徴があります。ひとつは、「不可逆性」。言葉にする、表情にする。送り手は、メッセージを発信したら、もう取り消すことはできません。こぼしたミルクがもとに戻れないのと

一緒です。政治屋(政治家?)さんたちの舌禍事件をいくつか覚えています。

しかし、どうも上手くいかない。自身が送り手である場合、受け手の反応が想定しているものと異なる。その時、9つのプロセスのどこがうまくいっていない原因なのか、と考えると、次に生かせます。「先行学習性」です。

コミュニケーション行為には、「あれ?間違えた!」「どこが?」「次は、気をつけよう」という3つのポジティブな動きをつけることができるわけです。たいがいのひとは、この動きを知りません。実は、チューニングできるのに、意識していないひとが多いのです。自身の意識によって、プロセスの結果を変えることができます。

 

[i] (1) 送り手(2)記号化能力(3)メッセージ(4)チャネル(5)受け手(6)解読能力(7)フィードバック(8)ノイズ(9)文脈


モデルをひとつ覚えましょ。

2022-01-23 11:18:14 | 雑記 Communis2022

コミュニケーションは、「ひとが意味を伴うメッセージを解釈し、伝達し、交換する行為」。この動き、しくみを幾多の研究者が、コミュニケーション・モデルとして図式化しています。 必ず出てくるのが、ベル研究所に居た数学者クロード・シャノンとワレン・ウィーバー(1948)のモデルです。情報をいかに迅速かつ正確に伝えることを実現するか。通信工学をもとにしたコミュニケーション・モデルでした。戦争宣伝に関する研究をもとにした政治学者ハロルド・ドワイト・ラスウェルやイリノイ大学コミュニケーション学部博士号取得者第一号となったD・ K・バーロのモデル(SMCRモデルと呼ばれています)などなど、先人たちは、通信、マスメディア、そして人間行動といった多彩な領域において多様なモデルを開発しています。 ここでは、ひとが日常生活を送るうえで、覚えやすく、使いやすいという極めて私的かつ感覚的な視点から、ひとつのモデルを紹介します。 心理学分野の研究者、ベンジャミンによるものです。 覚えていただくとなにかと重宝します。モデルでは、わたしたちのコミュニケーション行為が、9つの要素によって構成されています。 (1) 送り手(2)記号化能力(3)メッセージ(4)チャネル(5)受け手(6)解読能力(7)フィードバック(8)ノイズ(9)文脈です。

 コミュニケーションプロセスモデル  図は、Benjamin,1996,訳書,5ページをもとに筆者作成

 

以下に、それぞれの要素を簡単に説明していきます。

(1) 送り手 メッセージを発信する人

2)記号化能力 考えをメッセージに翻訳する力

(3)メッセージ 送り手により生成された概念(なんらかの表現)

(4)チャネル  メッセージを送るための媒体

5)受け手 メッセージを受信する人

(6)解読能力 受け取ったメッセージを翻訳する、解釈する

(7)フィードバック 受け手から送り手への反応

(8)ノイズ コミュニケーションを妨害するもの  例えば、電波障害など物理的なもの、送り手の持つ偏見など心理的なもの、言語が異なるなど言語的なものを含む

(9)文脈(コンテクスト) コミュニケーションが行われる際の物理的、社会的、心理的、文化的状況

これら9つの要素は、すべて、コントロールもしくはデザインの対象になります。ひとつが変化すれば、すべてが変化します。 わたしたちは、普段からずいぶんと複雑な行為をなにげなく行っていて、その積み重ねを想像すると無意識の怖さをふと感じることがあります。一方、近年「コミュニケーションが苦手」という青年に複数出会いましたが、このプロセスを考えると「そうよね、ややこしくて、難しいよね」とも思います。

 

 

 

参考図書

C.E.シャノン、W.ウイーバー、長谷川淳・井上光洋訳『コミュニケーションの数学的理論』明治図書,1969年。

大石裕『コミュニケーション研究 社会の中のメディア』慶應義塾大学出版会,1998年。

D・ K・バーロ著、布留武郎・阿久津喜弘訳『コミュニケーション・プロセス——社会行動 の基礎理論』協同出版,1972年。

ジェームズ,B.ベンジャミン著、西川 一廉訳『コミュニケーション―話すことと聞くことを中心に』, 二瓶社,1990年


そもそも、コミュニケーションって何でしたっけ?

2022-01-22 11:36:59 | 雑記 Communis2022

「コミュニケーション」。この言葉は、「会話をする」「交流する」といった意味合いで、使用されているように思います。

1970年代半ば、ダンス&ラーソンという研究者が当時の論文をチェックして、「コミュニケーション」という言葉がどのような定義で使用されているか調べています。その際に整理され、分類された定義は、126種類ありました。例えば、「(ひとが)他者を理解し、かつ他者からも理解されようとする過程」といった相互作用の過程として定義したり、「一人の個人から一人の個人に意味を移す過程」といった意味付与説と呼ばれるものなどなど。さらには、「機能的物体間の相互作用」として自然や動物、コンピュータ、通信、運輸など広範囲な物体を範囲に含めるものなど、ずいぶんとたくさんの定義で使用される言葉でした。

ここでは、「ひとが意味を伴うメッセージを解釈し、伝達し、交換する行為」としておきましょう。語源を考えると、どこかに「共有」「分かち合う」「共通認識を持つ」といった意味をいれたいところですが、それらは行為の結果なので、まずは、よりシンプルに設定をしておきます。あくまでひとが主語。ヒューマンコミュニケーションのお話です。そして、メッセージには、言葉もありますが、表情や音、色彩といった非言語の要素も含みます。

ちなみに、コミュニケーションを日本語にすると、「伝達」「通信」「意思疎通」となり、ひとつの言葉には置き換えられないようです。日本という国は、言語を同じくする国民の比率が高く、また、島国であるために、高コンテキスト(コミュニケーションが価値観、感覚といったコンテクスト(文脈、背景)に大きく依存すること)の社会、察しの文化(相手の曖昧な言語表現や態度・表情を推測して相手のために思いやる行動や言動)であると言われます。ある程度閉鎖的な環境で、同じような言語、文化の中で長い時を過ごしてきましたから、日常のコミュニケーション行為自体に関心を寄せる必要がなかったのかもしれません。

 

 

参考文献

Frank E.X. Dance, Carl E. Larson「Functions of Human Communication: A Theoretical Approach」, Holt McDougal, 1976.

Edward Twitchell Hall「Doubleday」, Doubleday ,1976.

日本語訳『文化を超えて』岩田慶治・谷泰共訳、阪急コミュニケーションズ、1993年。

 


プロローグ

2022-01-21 10:36:12 | 雑記 Communis2022

これは、生活をゆたかに、多少楽にする処方箋として、幾多の研究者のちからを借りて、綴るコミュニケーションをテーマにしたノートです。

タイトルのCommunisは、「公共の、全体で共有されている(共有する)」といった意味を持つラテン語。コミュニケーションという言葉の語源です。

 

「ソファに少女が座っている」

かつて、短大生40名に、この言葉を絵にしてもらったことがあります。当然のことですが、誰一人同じかたちを描く人はいません。

ソファといってもパーソナルソファもあれば三人掛けもあります。少女となると、姿かたちは千差万別。座る、という行為一つとっても座り方、足の置き方など想像は広がるばかりです。

さきほど、「当然のことながら」と書きました。しかし、わたしたちは普段この当然のことを忘れて生きています。恋人の気持ちがわからないと不安になり、また、子どもが自分の思い通りにならないと苛立つ。時には、陰惨な事件にまで発展するケースがあります。

コミュニケーション論を手掛かりに、ひととひととの関りややりとりを考えていくと他人の気持ちはわからなくて当たり前、まして他人が思い通りになることなどほぼありえない。したがって、不安を感じても致し方なく、また、苛立つことも回数が減るように思います。ずいぶんと”こころ“が、楽になれるように思うのです。しかし、コミュニケーション論という学問領域があることすら、国内ではあまり知られていません。コミュニケーション研究自体は長い歴史を持っているのですが、セオリーと言えるかどうかはまた別問題でもあります。

以前から、コミュニケーションに関する知見を自然に楽しく知ることができる絵本を描きたいと思ってきました。何度か挑戦するものの、なかなか難しい。説教臭くなるのです。

(この文章も、かもしれません)

まずは、先人たちの教えを基礎にして、普段わたしたちが何気なくやっているコミュニケーション行為について、ノートとして書いていきます。