HMRSのヘタレ趣味ブログ

鉄道模型など、へたれ趣味ブログ版です。

駆逐艦 汐風

2009年07月20日 13時21分45秒 | その他の趣味


昨日、平機関区さんのサイトで知った護衛艦しらゆきを早速家族で見に行きました。
ふだんは見ることのない護衛艦、娘たちは最初圧倒されてか見学も拒んでいましたが、質素ながらも自衛官さんの生活感が漂う船内、双眼鏡をのぞくことができた艦橋などに次第に慣れ、十分に楽しめたようでした。


しらゆき艦橋から見た対岸の小名浜港第一埠頭です。実はこの埠頭に先の大戦で幸運にも生き延びた、旧日本海軍駆逐艦、汐風が眠っています。
現在は、ちょうど私が引いた赤い線あたりに埋まってしまいましたが、35年前、私が小学生だった頃にはまだ船主部分がはっきりと残っていまして、軍艦だとは聞いていましたが実際どんなものかは知りませんでした。
 
 
国土地理院の電子国土 簡単地図作成サイトで作った地図です。(編集画面では表示したのですが本画面では表示されないようなので画像化しました。)


青い部分が今回しらゆきが接岸した場所、赤井部分が駆逐艦汐風が眠っている場所です。実は小名浜港にはもう一隻漁港部にも駆逐艦が眠っておりまして、それが同型艦の澤風、三崎公園のタービンはこの澤風のものと言われています。


駆逐艦汐風の現在の様子です。
ここ、ララミュウの南側の広場には、汐風の船尾部分がタイル舗装で再現されておりまして、少し汚れてしまいましたが汐風の説明のモニュメントが置かれています。これはそのモニュメントに上がって撮影したもの、この先は工事中のため入れないのですが、ちょうど赤い線の部分が汐風が埋まっている場所です。もしかするとこの先端部分の草むらの中にまだ見ることができるかもしれません。



これは平成13年、今から8年前に撮影したこの場所の様子です。コンクリートブロックの下、岸壁より一段低い場所が汐風です。
 
 
 
潮が引くと、中・後部甲板を見ることができました。
 
 


かろうじて残っているボラード



南に移動していくと満潮時でも見ることができた船首楼甲板が見えてきます。35年前はまだ腐食が進んでおらず、写真手前に見える骨組みが甲板すれすれまでしっかり残っていました。
 
 

船首楼甲板、丸いところが1番砲跡。
 
 

船首部分、船首の傾斜が腐食して落ちた甲板部分を通して見ることができました。錨のホースパイプもはっきりと残っていました。






1番砲砲座、12センチ単装砲が載っていたそうです。澤風は戦争末期、対潜墳進砲(ロケットランチャー)が載っていたとか。想像するとなにかわくわくする世界です。
 


砲座を覗くとこんな感じ。砲への通路でしょうか、今行ってきたしらゆきもこんな感じでした。思わず飛び降りてみたくなったのですが止めたことを思い出します。

駆逐艦汐風 (出典 光人社 日本海軍艦艇写真集より)

大正10年  峯風型8番艦として舞鶴工廠にて竣工。
昭和20年  回天搭載艦に改造。
        主に船団護衛任務に従事。呉で敗戦を迎える。
復員輸送船として活躍後、宮城県女川港の防波堤となる。

女川? しかし元汐風に乗っていた方もこれは汐風! と言い切っているので間違いはないでしょう。
峯風型駆逐艦は全15隻中4隻が残存し、その内2隻が小名浜港の礎として防波堤となり、現在の小名浜港を見守ってきたというわけですね。

しらゆき乗船に際し、思い出しましたので掲載した次第です。


2015/10/7
現在の汐風の様子GoogleMap
コメント (17)    この記事についてブログを書く
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17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
父の記憶 (中野 健)
2017-05-26 09:43:57
すでに他界しましたが、父が上海事変後に海南島、高尾から帰還、その後舞鶴で教官していたと聞いています、終戦前の写真がたくさん出てきます。降船後、教官時期の学徒の方々の手記も終戦直前のものが何名かのものを預かっておおり、お返ししたいと思っております。当時の汐風の乗務員の方もご高齢となり、体験談もお聞きできなくなるとおもいます、記録に残すだけでも、お手伝いしたいと思っています。
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補足 (kasa-hmrs)
2015-10-07 11:49:53
リンクが登録されなかったようなので、本文にGoogle mapのリンクを張っておきますね。
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Re:小名浜に行ってきました。 (kasa-hmrs)
2015-10-07 11:48:19
平成13年ごろでしたか、公園に整備するあたってこの汐風をどのようにしていくかの協議がありました。
その当時はまだ元乗組員の方々がご健在でその方々からもなんとかして残せないものかということで、いろいろな案が出されたようですが、写真を見たいただくとお分かりのとおりかなり腐食が激しく、公園の舗装に汐風の艦尾跡の位置を描くことと、モニュメントを作成する妥協案でまとまったようです。
東日本大震災前には埋め立てが完了し、きれいな岸壁となっていたと記憶していますが、たぶん今の荒れようは震災の影響かと思われます。
航空写真の中心が舗装で描かれた汐風の艦尾位置です。その右下にモニュメントがあります。

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小名浜に行ってきました。 (汐風の娘)
2015-10-06 21:27:49
先日 両親とともに「汐風」に会いに(姿は見れませんが)行ってきました。
港の整備開発工事中との事で、想像以上に汐風の埋められている場所が荒れていたことに父はたいそうなショックを受けておりましたが、お神酒を撒き父なりの供養をしてまいりました。

あの工事が完成すると「汐風」はどのようになってしまうのでしょうか?
せめてモザイクのような形で「汐風」の船体が目でも分かるようにしてくださるといいのですが…
もし何かご存知でしたら教えていただけますか?
私事で申し訳ありません。
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記事の要訂正箇所発見 (kasa-hmrs)
2015-08-24 21:40:48
当ページ掲載の地図にある澤風の正確な位置が判明しました。

澤風として記入した防波堤は実は全く新しいもので、実際には岸壁側に数十メートルほど離れた位置だったようです。

国土地理院の地理情報ライブラリーにある古い航空写真に澤風が写っている写真があります。それを元に作り直した地図を掲載したいなー。
と考えているところです。
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コメントありがとうございます。 (kasa-hmrs)
2015-08-24 21:32:48
汐風の娘様。コメントありがとうございます。

お父様がご健在なのですね。
残念ながら汐風の船体はすっかり埋まってしまいましたが、船尾の影がモニュメントとして残されていますし、みねゆき乗組員さん作成の模型も必見ですので是非いらしてください。

ここ小名浜もあと数年でがらりと変わってしまうようです。
汐風はこの激動の70年の歳月をずっと見守ってきたのですね。
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父が乗組員でした (汐風の娘)
2015-08-20 16:31:35
戦後70年の節目に父から初めて汐風の話を聞き、ネットで調べておりました。
大変貴重なお写真や情報をありがとうございます。
同じように乗組員だった方も見ていらっしゃるのですね。
父を連れて小名浜の汐風に会いに行きたいと思っております。
ありがとうございました。
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是非 (kasa-hmrs)
2013-03-07 21:29:36
機関科兵の孫さま。

是非いらしてください。汐風の模型はなんとなく人の暖かさを感じる仕上がりとなっていて作られた自衛官さんたちの思いが伝わってきます。

だんだん良い季節になってきますし、まだまだ復興途中ですが、ららミュウやアクアマリン福島など、そこそこ楽しめると思います。
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Unknown (機関科兵の孫)
2013-03-06 17:13:16
汐風のことをふと思い出して覗かせていただきました。
自衛官の方々の手づくりの汐風なんですね。ららミュウ!行ってみたいですU+203C
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Re:「汐風」について (kasa-hmrs)
2013-01-20 20:18:22
がんばっぺ福島様
情報ありがとうございます。汐風は現役の自衛官の皆様にも語り継がれているんですね。1/100というと大きさもかなりのものと思います。

是非見に行かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

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「汐風」について (がんばっぺ福島)
2013-01-20 08:16:39
おはようございます。

「汐風」についてです。

昨年12月に海上 自衛隊の「みねゆき」という護衛艦が小 名浜港に寄港した際、乗員さんが作成し た1/100の「汐風」の模型が小名浜のら・ らミュウ1階、遊覧船の待合室に展示され てました。

「汐風」が舞鶴海軍工廠で建造された艦 で、その艦が小名浜に沈んでおり、 舞鶴を定係港とする「みねゆき」が小名 浜に行くので、記念に「汐風」の模型を 作成し、「みねゆき」の一般公開の際、 展示して見学者の方に見て頂き、「汐風 」のことを偲んでもらおうという趣旨で 作成した模型を、いわき市に寄贈し、ら ・らミュウに展示されることになったそ うです。

この模型は「みねゆき」の艦内にあった 廃材を利用して作成されたそうで、船体 などは発泡スチロール、煙突は缶詰めの 空き缶だそうです。ですので、実物に比 較すると作りが雑な感じは否めませんが 、駆逐艦の雰囲気は出ている思います。

ら・らミュウに行かれることがあれば御 覧になれると思います。

長文失礼しました。
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遅くなりました (kasa-hmrs)
2009-11-13 23:55:05
機関科兵の孫さま。

遅くなりまして申し訳ございません。ご覧いただきありがとうございます。
おじいさまが乗っていらしたということ。私は軍艦の機能美というものが好きという理由でしかありませんが、親族の方が実際に体験されているとなれば感慨も一入でしょうね。
お役に立てたことをうれしく思います。ありがとうございました。
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Unknown (機関科兵の孫)
2009-11-11 10:12:15
私の祖父が汐風の乗組員でした。
小名浜で防波堤になっている事実を知り、2004年に訪れ感慨深かったことを思い出します。
興味深く写真を拝見させていただきました。
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保存の目はあるかな? (kasa-hmrs)
2009-07-23 20:10:31
Brass_Solder様
爆沈の運命をたどらなかったのでなんとか後世に残してやりたいですね。
この写真の撮影当時は元乗組員さんたちの なんとか保存を! の声があったらしいです。
現場の様子から完全に埋没していないのでは?と思えるだけに少しでも現物の形が残ればと願うところです。
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ぜんぜん知らなかった・・・ (Brass_Solder)
2009-07-22 06:48:10
貴重な写真をありがとうございます。
平機関区さんのブログを拝見するまで、ここに軍艦が埋まってるなんてぜんぜん知りませんでした。
埋まってるというよりは、座礁させて埠頭の一部(あるいは土台)にしてしまったのでしょうね。
そうでなければ沖で爆破沈没の運命だったかもしれません。
今度行ったら見てみます。
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ありがとうございました。 (kasa-hmrs)
2009-07-21 22:08:02
平機関区様。おかげさまでとても楽しめました。子供たちは最初は怖がって 記念写真を と言っても船の前に立とうともしなかったのですが見学が終わったら躊躇なく立ってくれました。
本当によい記念になりました。
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汐風の艦体 (平機関区)
2009-07-21 20:50:57
現在は案内板が無いとどこに埋まっているのか分かりませんが、8年前はこんなにはっきり残っていたのですね。
砲塔の穴まで見えていたとは知りませんでした。

1枚目の写真は、良い記念になりましたね。
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