今日は、大阪市営の渡船をご紹介致します。私の地元と大正区を結ぶ渡し船。現在は8航路あるそうで、その内の7航路が大正区を結んでいる。今回はその内の一つをご紹介しましょう。
落合下渡船場(おちあいしもとせんじょう)
~ユリカモメと一緒に木津川を渡る~
概要
大正区平尾1丁目と西成区津守2丁目を結ぶ(岸壁間138m)落合下渡線船は、開設時期は明確ではないものの、天保10年(1839年)の「大坂湊口新田細見図(おおさかみなとぐちしんでんさいけんず)」にも「ワタシ」の表示があります。
対岸の「津守(つもり)」には、津守新田の産土神を祀る、「津守神社」があります。津守の名称は古く「万葉集」にも見えます。
また、大正区側の「平尾(ひらお)」の町名は明和8年(1771年)に開発された「平尾新田」に由来します。
このあたりは、毎年10月から翌年4月にかけて、数百羽のユリカモメが飛来します
写真右は待ちあい室になります。
ミラーに映った景色と青空をかけてみました。こう言う画は面白いです。
中から西区の方面を撮っています。
向こう岸を標準レンズで撮ってます。
この辺りは、工場が密集している地域です。
南津守方面です。とりあえずどんな所なのか?周りの風景を撮りました。
上の写真の反対方向を撮ってます。
こちらに向かって出港です。望遠で捉えてます。
距離が短いので、あっという間に到着です。
下船される方の準備もテキパキと!
此方側からは、幼い子供さんを連れたお母さんが乗船されて行かれました。
何やら、仲良くお話をされている様子にみえました。こう言う画は、ほのぼのしますね。
アッと言う間に向こうに到着です。
こんな場所があと7か所あります。時々、時間を見つけてご紹介したいと思います。この渡船事業も、一部が民間に委ねられて経営されているようです。道路や橋が掛かれば、廃止と言われていますが、こう言う風情は是非、残して欲しいですね。私も中学時代は頻繁に使ってました。
景色を2枚、望遠で寄せて見ました。向こうに見えるのは、京セラドームです。
たまには、こんな写真も良いかな?と思いまして、仕事の合間に短時間で撮影して帰りました。
<歴史の概要>*ウィキぺディア参照
- 明治24年(1891年) - 大阪府が「渡船営業規則」を定める
- 明治40年(1907年) - 安治川、尻無川及び淀川筋の29渡船場が市営事業に
- 大正9年(1920年) - 旧道路法の施行により無料に
- 昭和7年(1932年) - 請負制を改め、ほとんどが市の直営方式に
- 昭和10年(1935年)頃 - 渡船場31箇所、保有船舶数69隻(機械船32隻、手漕ぎ船37隻)
- 昭和11年(1936年) - 源八渡し(北区天満橋筋(現・天満橋)-北区(現・都島区区域)中野町)廃止(源八橋の開通による)
- 昭和20年(1945年)頃 - 戦災により多くを失う
- 昭和23年(1948年) - 渡船場15箇所で再開
- 昭和45年(1970年) - 平田の渡し(東淀川区豊里-旭区太子橋)廃止(豊里大橋の開通による)
- 昭和57年(1982年) - 富島渡し(福島区野田-港区川口)・難波島渡し(大正区三軒家東-浪速区木津川)廃止
- 平成元年(1989年) - 中渡し(大正区泉尾-港区南市岡)・三丁目渡し(此花区西九条-港区波除)廃止…現段階で最後の廃止航路
- 平成20年(2008年)5月1日-大阪市の財政難を理由に落合上渡船場を一本松汽船に民間委託運航
今日も訪問有難うございます。
*このブログ「情熱親父の心晴天Part2」の写真・文章・記事全ての無断転載・コピーは、一切、固く禁じます。ブログのサブタイトルにもありますように著作権は管理人にすべてあります。御理解、ご了承くださいませ。
にほんブログ村 元気の源。ランキングに参加してます。応援ポチ3つ押して頂けますと更新の励みになります。宜しくお願い致します。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ