愉快な企画展名につられて行ってきました。
『百鬼園先生、日銀金庫に入る』という特別展が、ルネスホール金庫棟で開催されました。
ここが、会場のある旧日本銀行岡山支店だったルネスホールです。市内中央の繁華街近くにあります。現在の日本銀行岡山支店はここから北方約500mの所に新築されています。
この本館裏手にある金庫棟。この中で開催されています。ボクもこのルネスホールには何度か来ましたが、金庫棟に入るのは今回が初めてでした。
これが今回の特別展、案内看板です。
ところで、この百鬼園先生ってご存知でしょうか。読書好きの方ならご存知でしょう。そうです、当地岡山出身の文筆家「内田百間」です。
特別展に入る前に少々寄り道をして、内田百間について少しご案内しましょう。
[松濱軒(熊本県八代市)の門前で車を待つ百間](昭和32年・68歳)
岡山市古京町の「志保屋」という造り酒屋の長男として、明治22年(1889)に生まれた内田百間は、名は栄造、後ほど、百鬼園とも号しました。
現在、生家は当時の面影は残らず、親族の方のお住まいとなっているようです。写真右手の住宅が生家の造り酒屋「志保屋」のあった所です。右端の大きな古木は当時からの樹のようでしたが・・・。
(なお、寄り道ついでですが、この道路沿いのすぐ近所に現在の人気女流作家、小川洋子さんの実家もありますよ)
この民家の塀には、内田百間生家跡という小さな標識と 、牛の鋳物がうえにのった石碑があります。この石碑には『木蓮や塀の外吹く俄風』と百間の句が彫られています。
牛年生まれの栄造のために中島から牛を連れてきて牛小屋を作ったということから、この像があるそうです。それと、この生家前の溝蓋は当時岡山では当たり前の御影石ですが、僅かばかり現存しています(写真溝蓋手前部分)。
栄造と名付けられた少年は、気丈な祖母、商売熱心な父、のんびりした母に見守られ、物心両面に恵まれた暮らしの中で成長します。しかし、百間が県立岡山中学校時代に生家の造り酒屋が廃業したため、後継ぎの必要がなくなり、好きな道を選ぶことが出来るようになります。
この写真は旧制岡山中学校、現在の県立岡山朝日高校正門です。ここは岡山でも有数の進学校として知られています。
その後、岡山にあった旧制第六高等学校に進みます。ここは現在は新制の岡山大学です。六高一部丙類に入学した内田はここでドイツ語を学び、「百間」と号し、俳句に夢中になったようです。1910年(明治43年)東京帝国大学に入学、文学科でドイツ文学を専攻し、在学中に夏目漱石を訪ね、門下生となっています。卒業後は士官学校や法政大学のドイツ語教師として勤めます。
前置きが長くなりましたが、この辺で特別展会場に入りましょう。
会場は旧日本銀行岡山支店第一金庫室です。
以下、(その2)に続く。
※百間のケンの字がブログ画面にはうまく出てこないので止むなく「間」の字を使用していますが本当は門の中の「日」は「月」の字が使われています。
内田百って黒澤監督の映画「まあだだよ」のモデルになった人ですよね。
私が高校時代読んだ本によると彼は、作家らしく気難しかったけど、100円の金を借りるのに200円の電車賃を使って知人の家まで行くという憎めない一面もあったそうです。
続きも楽しみにしています♪
そうですね、百の作品を読めば、おっしゃる
ような場面があちこちに出て来ますね。
借金の名手と言われていたそうですね。
だから貧しい暮らしだったかと言うと決して
そうじゃなくどちらかと言えば贅沢な暮し
をしていたようです。
裕福な家庭で育ったということもあるので
しょうが現代的に云えば、金銭感覚に疎い
ひとだったのでしょう。そこがまた作品に
反映されて愉快な点でもありますね。
コメントありがとう
日銀の金庫室の中に入りましたよ。でもこの
展示会場内は写真撮影禁止になっていたので
全然面白くありません。
その辺を工夫しようと思って会場に入る所で
今回は〆ました。続き、考え中です(笑)
コメントありがとう
はじめてのお方だと思いますが、
興味深く拝見させていただいております。
詩の世界はお詳しいですが、小説の世界も
愉しいですよ。
内田百、どちらかと言えば男性向きの作品
が多いかな~。
後半で、少しばかりご紹介させて頂きますね。
この作家、「俳句」はなかなかのもの
なんですよ。作詩という雰囲気はチョット・・
でしょうね。
コメントありがとう