老いの坂道(パピー)

楽しい心で歳を取り、働きたいけど休み、喋りたいけど黙る。
そんな気持ちで送る趣味を中心に日々の一端を書き留めています。

心の故郷を求めて〚3〛岡山市 玉井宮東照宮

2020-09-21 | 神社仏閣の旅

長文です。お暇な折にどうぞ

シリーズ3回目は市内中心部に近い「玉井宮東照宮」を参拝。

岡山駅から市内電車で終点「東山駅」へ。

駅のすぐ東に「東山公園」があります。

この公園を奥へと進むと石の鳥居と阿牛の狛犬が参拝者をお迎え。

【神社勉強一回目】=「鳥居」

鳥居は神聖な場所である神域への「門」です。神域と俗界を分ける

結界にもあたるもので、地図でも神社を表す記号として使われる

ことがあります。鳥居が複数設けられている場合、最も大きい鳥居が

神域全体の門として参道入り口にあり、「一の鳥居」と呼ばれます。

そして、本殿に近づき聖域が高まる段階ごとに鳥居が設けられます。

鳥居の語源は「通り入る」がなまったものとか、日本最古の歴史書

「古事記」によるものなど、さまざまな説があります。

「古事記」説は、天照大御神が天石屋戸にお隠れになった際に、

八百万の神々が鳥を木にとまらせ鳴かせて天照大御神のお出まし

を願いましたが、このときの鳥の止まり木を鳥居の起源とする

ものです。また、外国からの渡来説もあるようです。

*     *     *

さて、左右の狛犬を見て、入り口の鳥居をくぐり奥にある石段を

登ります。以前はこんな石段、なっともなかったのに・・・

近頃は少々くたびれます

登り切った左手に「二の鳥居」があります。

ここが神社参道の正面になります。    

中に入ってみるとズラッと石灯籠が並んでその先に随身門が

建っています。

この随身門には、左右に神を守る者として安置された二体の

随身(護衛のようなもの)が入っています。

(ガラスが入っていて反射して随身の写真撮れなかった)

随身門をくぐって中に入ってみると右手にお神籤やご祈祷を

受け付ける社務所があり正面に見えるのが拝殿です。

ご朱印もこの社務所で頂くようです。先にお参りします。

ここが拝殿でした。

そんなに大きくないですね。小ぶりでいい感じ。

やっぱり人影見えませんね。

*     *     *

さて、拝殿にてお賽銭を入れて二礼二拍手一礼の参拝しました。

どなたも人影が見えないので思い切って拝殿の中を拝見(笑)

意味のよく解らないいろんなものが沢山ありますね。

そして拝殿奥にはやっぱり丸い大きな鏡がありました。

全てかどうか知らないけど神社には「鏡」があります。

神社の拝殿にあるこの鏡は何を意味するのだろうか???

また、後日勉強しましよう。

*     *     *

長く生きてきて何度となく神社参拝をしていたけど今回

改めて神社参拝のブログを書くにあたって多くの疑問が

湧き出てきました。たとえば先ほどの「二礼二拝一礼」とは?

鏡の横に垂れ下がっている布は?

グニャグニャとした白い紙片(笑)は?

見れば見るほど不思議なものが沢山あります。

高齢者のお勉強には面白い対象がこの神社仏閣の旅には

沢山出現しそうですね・・・

*     *     *

さて、参拝を終え拝殿の後ろに回ってみると、

「岡山県重要文化財」として指定されている本殿があります。

周りの樹が茂ってちょっと見えにくいですね。

本殿の正面に回ろうとしたけど「立入禁止」になっていました。

この本殿は岡山県の重要文化財に指定(平成12年)されています。

建物前の解説板から引用します(玉井宮東照宮本殿)

構造・規模:三間社、 桁行3間(5.4m) 梁間3間(3.6m)

      銅板葺き 入母屋造り 平入 向拝1間

建築年代:正保元年(1644年)

特徴:柱や壁など全面的に漆を塗って彩色を施している。

   軒の出が極めて大きく雄壮な印象を与える建物。 

   基礎は犬島産花崗岩、周囲の玉垣は香川県産豊島石である。

この玉井宮東照宮本殿は、岡山藩主池田光政が、徳川家康を祭神とする

東照宮を勧請して建てた建物で、正保元年(1644年)に落成し、同2年

2月17日に遷宮が行われた。

それで玉井宮東照宮と言われるのだな、と理解できた。

東照宮といえば家康公を御祭神にした日光の東照宮を

思い浮かびますよね。繋がりが今回初めて解った(笑)

ブログ作成も勉強になりますね・・・

*     *     *

境内にはいろいろな神々が祀られています。

先ずは「三勲神社」です。

以前この向かいの操山に鎮座されていた神社。

明治8年に藩主池田公の意思により佐々木亀次郎氏・野崎武吉郎氏・

和気辰巳氏等によって創建された。祭神は備前の国の生んだ忠臣

和気清麿公・児島高徳公と藩公の近祖にあたる忠臣楠正行公の三柱です。

だから「三勲」というんだな。

*    *    *

次に「小宮社」です。

この社は当神社の代々の宮司と神社の維持に功労のあった

人々を祀った社だそうです。

*     *     *

次は「天満宮」です。

このお社の祭神は菅原道真公です。

学問の神様としてあがめられ、昔から絵馬を捧げ祈願すると

勉学の道が開けると広く崇敬されています。

受験生必拝のお社ですね。

*     *     *

次に「坂中荒神社」です。

坂中荒神社は一千年以上の昔(玉井宮がこの地に遷座された以前)から

当境内に祀られていました。

末社とはいえ維新前には藩主の崇敬篤く今日でも広く崇敬されています。

荒神は竈(かまど)・火の神として古くから信仰されています。

*     *     *

続いて「白龍神」です。

玉井宮の祭神豊玉比売命玉依比売命は龍神界を統括される神です。

白龍神はその下で眷属としてお働きになります。

この白龍神は昭和28年頃までは山向の操山に祀られていましたが

有志のご芳志もありここに再興しました。

白龍神は人の目にふれる時は一尺位の白蛇となって現れるとの事です。

実際に玉井宮の縁故地には白蛇が現れているそうです。

「御神徳」:厄除・交通安全・病気平癒などにお働きになります。

*     *     *

最後に控えし(笑)は「金龍神」です。

この金龍神は江戸時代に当地に祭祀されました。

大変神気の強い力のある龍神で代々崇敬者が絶えず大勢の方が

御神徳を頂いておられます。

「御神徳」:金運・事業運・方除け等にお働きになられます。

 (しっかり参拝して金運いただきたいと願いました!)

 ※社務所に龍神の玉のお守りがあるとのこと、買って帰ろうと

  思っていたのに・・・忘れてた

*     *     *

最後に社務所に行って「ご朱印」を頂きました。

社務所には若い神主さん(?)がひとりで務めておられました。

神主さんもやっぱりマスクしておられました。

ちょっとだけお話しましたがやっぱりコロナの影響か

「昨年よりはお参りの方はすこし少ないようですね」なんて

言われてました。

神社といえどもコロナ退治は無理なのかな・・・なんて思いながら

玉井宮を後にしました。

**************************************************************************

先日植えた「ポットマム」の蕾が膨らみ開花近しのようです。

 では、今回はこの辺で。ご訪問(人''▽`)ありがとう☆

□この日のウオーキング歩数:5298歩

□台風12号が本土目指してるようです、気をつけましょうね。

 では、また。近日中に(笑)・・・

 

 

 

 

 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 洗濯機で帽子を洗う | トップ | 読書日記『プラテーロとわたし』 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
パピーさんへ (わか)
2020-09-22 18:59:59
パピーさんこんばんは!
いつまでも知的好奇心を忘れないパピーさんは
素敵ですね。
まだまだ暑いと感じますがパピーさんは疲れは
出ていませんか?

お寺の記事勉強になります。二礼二拍手一礼も
この前まで知らなかったのです。
高校で病気をしてしまい、社会をやっていない
のです。

ポットマムのお花癒されますね^^
台風ひどくなりませんように。
返信する
Unknown (パピー)
2020-09-23 14:09:18
わかちゃん こんにちは

コメント(人''▽`)ありがとう☆
好奇心といえば聞こえがいいですが・・・
残り少ない人生を少々あせってるのかな、なんて
自分で思います。ありがたいことにまだ自分で
動けるのでいろんな風景に接したいと思ってます。

わかちゃん、読書もステキな趣味だけど体を動かす
趣味も欲しいですね。散歩もいいし小さな旅も
また素敵な発見があると思います。
頑張ってくださいね。

台風それて良かったね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

神社仏閣の旅」カテゴリの最新記事