goo blog サービス終了のお知らせ 

かすみ草のしおり

いつでも遊びにきてください。なかなか眠れない夜の私と、会話してみませんか。

#3 作文が得意なこども

2022-01-09 07:16:00 | 日記
おはようございます。
眠れない夜に、がコンセプトのブログですが、アウトプットのリハビリの目的を立てて、書く量の方を選んでみることにしました。
もしかしたら、今からお休みの方もいらっしゃるかもしれません。

誰かに語りかけるスタンスをとっていますが、基本的に私のことしか記述できない気もします。

私は昔から作文が好きな子供でした。
作文が好き、というより、特に困ったことがないので得意だという自負があった、という方が正確かもしれません。
今では恥ずかしい思い出ですが、小学生の頃はいかに早く、いかに多く書くか、を競っていました。しかもひとりで。特にその場ではあまり価値のないことだったのですが。
3、4年生ののころ、400字詰めの原稿用紙に、5枚ほどの作文を書くこともありました。2枚は超えてね、という先生からのお達しに困ったことはありませんでした。
読んでくださっている方はお気づきかと思いますが、おそらく今も昔も文章に脈絡がなかったためです。
次々言葉は降りてくるし、文章を組み立てることも苦手ではないけれど、話がどんどん飛躍して、収集がつかなくなっていく。それを、なんとか帳尻を合わせつつ記述していく。そんなことをしていたのかもしれません。

昔書いた作文は、今こうしていつか見返したいなと思って書いているブログと違って、あまり読み返したくありません。
子供の頃に書いているから、というのもあり、気恥ずかしさが勝ちます。
しかも、大抵の作文って、自分の主義や立場を明らかにして、ないし感想を、心の中をさらけ出すスタンスをとって書くものが多い。
最近秘匿主義な私にとって、明け透けな文章は「わ〜恥ずかしい!」の対象になってしまっています。

なぜ文章の組み立てが得意だと思ったのか、実は謎です。
本の虫だったわけではないですし、言葉が大好きで強いこだわりを持っていたわけでもありません。
逆に、もしかしたらそれがよかったのかも。
思いついた書きたいことに、小さなこだわりだけ持って接して、文章を組み立てる。
こだわってこだわって、こだわり抜いた個性の文とはやっぱり速さが違ったことと思います。
どちらがよりよいかという問題ではないとも思います。

書いていてひとつ思い出したのですが、そういえば私は、国語の教科書に載っている、物語文が大好きでした。
新学期新しい教科書をもらって、すぐに全部の物語文を読み切ってしまうほど。
先に全部内容を読んでしまうので、授業で扱う頃には久々の対面となることも多くありました。
中学生の時も、多分高校生の時もそうしていました。本編が長くて、抜粋で掲載になっていたものは、自分で本編を探して読んだりもしていました。夏目漱石の「夢十夜」を読んで、…たしか第一夜と第六夜が掲載されていたと思います…、あまりに素敵なので青空文庫ですべてを読み、その難解さにがっかりしたのを覚えています。
勝手な話ですね。私の読解力不足のせいです。
また、わかりやすく、高校生にとって面白い話を抜き出している教科書の編纂者の方々のお力に納得したことも覚えています。これもまた失礼な話ですね。

そんなふうにして物語が好きだったから、ある意味心のままに書いてよい読書感想文など、小学校や中学校でよく書く作文が得意だったのかもしれません。
正直、自分の感想をあまり書いてはいけない小論文などは苦手です。書きながら、「いや、これは私の感想だし…」などとうんうんしながら練習したのを覚えています。それでもやっぱり、書くことさえ決まってしまえば文章の組み立てはスピード感があったので、入試の際など本当に役に立ちました。

私の知らぬところで、何かきっかけがあったのでしょうか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿