またまた間が空いてしまいました。
書くことがないわけじゃないのです。とにかくPCに触らなくなった。ノートPCがダメになってからデスクトップが私のメインマシンとなり、これをまた今回移動して、ますます普段いることの多いキッチンから遠ざけてしまったのが敗因。ちょっとのことならFacebookで家族にシェアして済んでしまうようになりました。モバイルネット生活に浸かってしまうと、本どころかPCにさえじっくり向かう時間はなくなるものなのだと改めて驚いてしまいます。でもブログにはブログの良さがある。やっぱり細々と続けていこうと思います。
さてさて、久々の書き込みでいきなりの親ばか自慢をお許し下さい。ブーフーウーのウー、通称「れ」こと、我が家の末っ子大学生が、JLPT(Japanese Proficiency Test = 日本語能力試験)のN1(最高レベル)にまさかの満点で合格を果たしました。
これは、日本語を母語としない人の日本語能力を認定するための試験で、国際交流基金が1980年代に始めたものです。詳しくはコチラをどうぞ。私の生徒さんたちも、世界中の受験者と同じく毎年12月が来るのを戦々恐々と心待ちにして勉強に励んでいます。(日本国内では年に2回、国外では年に1度開催される)
「日本語を母語としない」というところが若干微妙ではありますが、とにかく「れ」が、日本の学校教育を小学1年生の1学期しか受けていない、という、まだカタカナも習っていない状態で渡米してきたことを思うと、やっぱりこれは大したもんだ~!と日本語教師の親ばかは感心してしまうのです。
引っ越してきたとき、すでに夏休みは終わり新学期が始まったところだったのですが、7月生まれの彼は学年でほぼ一番年下、そして英語がまったくわからない状態で、1年生を経験しないまま2年生に放り込まれたのでした。この頃のアレコレは、ずいぶん後からブログに書きました。→ウー初めてのスクールランチ事件
今見ると、バックパックの大きさが泣けます
なぁーんにもわからず毎日みんなに着いていくのも大変だった頃
1年後、ようやく表情に少しだけ余裕が。
当時の、我が家の裏庭です。のどかだった~。
あれから15年。
毎週土曜日の日本語補習校は、ほとんど訳の分からないまま半年でドロップアウト(日本で通っていた学校と進度があまりにも違いました。)学校にも地域にも他に日本人がいなかったウーの日本語は、ほぼ家族内の会話と、日本から祖父に送ってもらっていた学研の「科学と学習」で培われました。福武のちゃれんじは続かなかったな~。そしてその後、更に知識を深めてくれたのは主にマンガやゲーム…。
基本は理系のエンジニアですが、バイトは社会学のリサーチヘルパーで、学内唯一の日英バイリンガル(イナカの大学ですから…)として働き、言語系にも強く英語の成績も上々、我が家で唯一学業バランスが取れた人です。なにしろオットとブーは完全理系、私とウーは超文系。なのに、ウーは微積分のクラスなんかも取りながら、時に日本語教師並みに日本語を分析していたりして我が子ながらちょっと尊敬。N1満点は見事でした。
参考までに、JLPTの問題例はこちらにあります。興味のある方はどうぞ。
書くことがないわけじゃないのです。とにかくPCに触らなくなった。ノートPCがダメになってからデスクトップが私のメインマシンとなり、これをまた今回移動して、ますます普段いることの多いキッチンから遠ざけてしまったのが敗因。ちょっとのことならFacebookで家族にシェアして済んでしまうようになりました。モバイルネット生活に浸かってしまうと、本どころかPCにさえじっくり向かう時間はなくなるものなのだと改めて驚いてしまいます。でもブログにはブログの良さがある。やっぱり細々と続けていこうと思います。
さてさて、久々の書き込みでいきなりの親ばか自慢をお許し下さい。ブーフーウーのウー、通称「れ」こと、我が家の末っ子大学生が、JLPT(Japanese Proficiency Test = 日本語能力試験)のN1(最高レベル)にまさかの満点で合格を果たしました。
これは、日本語を母語としない人の日本語能力を認定するための試験で、国際交流基金が1980年代に始めたものです。詳しくはコチラをどうぞ。私の生徒さんたちも、世界中の受験者と同じく毎年12月が来るのを戦々恐々と心待ちにして勉強に励んでいます。(日本国内では年に2回、国外では年に1度開催される)
「日本語を母語としない」というところが若干微妙ではありますが、とにかく「れ」が、日本の学校教育を小学1年生の1学期しか受けていない、という、まだカタカナも習っていない状態で渡米してきたことを思うと、やっぱりこれは大したもんだ~!と日本語教師の親ばかは感心してしまうのです。
引っ越してきたとき、すでに夏休みは終わり新学期が始まったところだったのですが、7月生まれの彼は学年でほぼ一番年下、そして英語がまったくわからない状態で、1年生を経験しないまま2年生に放り込まれたのでした。この頃のアレコレは、ずいぶん後からブログに書きました。→ウー初めてのスクールランチ事件
今見ると、バックパックの大きさが泣けます
なぁーんにもわからず毎日みんなに着いていくのも大変だった頃
1年後、ようやく表情に少しだけ余裕が。
当時の、我が家の裏庭です。のどかだった~。
あれから15年。
毎週土曜日の日本語補習校は、ほとんど訳の分からないまま半年でドロップアウト(日本で通っていた学校と進度があまりにも違いました。)学校にも地域にも他に日本人がいなかったウーの日本語は、ほぼ家族内の会話と、日本から祖父に送ってもらっていた学研の「科学と学習」で培われました。福武のちゃれんじは続かなかったな~。そしてその後、更に知識を深めてくれたのは主にマンガやゲーム…。
基本は理系のエンジニアですが、バイトは社会学のリサーチヘルパーで、学内唯一の日英バイリンガル(イナカの大学ですから…)として働き、言語系にも強く英語の成績も上々、我が家で唯一学業バランスが取れた人です。なにしろオットとブーは完全理系、私とウーは超文系。なのに、ウーは微積分のクラスなんかも取りながら、時に日本語教師並みに日本語を分析していたりして我が子ながらちょっと尊敬。N1満点は見事でした。
参考までに、JLPTの問題例はこちらにあります。興味のある方はどうぞ。