子どもたちが英語を習得するまでの続きです。連載第1回から読んでくださる方はコチラからどうぞ。
昨日とは打って変わって
夕方以降の嵐が予報に反して大したことなかったのでくまさんも水没してませんでした。よかったねえ>くまさん
さて。ずーーーーーーーーーーーーーっと長いこと気にかかっておりました、連載モノ「家族が生活に馴染むまで」シリーズ。中でも「子どもたちが英語を習得するまで」の連載は、続きを書かなくちゃ書かなくちゃと思いつつ、1年以上も放置してしまいました。
実は書けないのには理由がある。
みなさんにもありませんか、たった今、とっても怖ろしい何かに追いかけられて逃げに逃げた記憶はあるものの、それが一体何だったのか、何故逃げることになったのか、思い出せない、そういう悪夢。
そう、悪夢から目覚めた瞬間には、その記憶はまるで指のすき間から水が漏れるようにスルスルと記憶から抜け落ちていってしまう…断片を無理矢理思い出そうとするも、つじつまがどうにも合わない、ああ、もどかしい…
ということで、つまり…平たく言うとですね、
忘れちゃいました。
ごめんなさい。
ほんとにもう。悪夢だったことは覚えているんです。子どもたちが、言葉のわからないストレスでおかしくなっていったこと、私自身も思うように伸びない自分の英語力に苦しんで毎日無理矢理英語の環境に浸ろうと努力していたこと、そんな中で起きたいろいろな事件、悔しい思い、辛かったこと…カケラカケラは覚えているものの、記憶が繋がらないのです。
そんなわけで、この連載、どうやら尻切れトンボになりそうで、申し訳ありません。(「ええーっ!?」と思われた方、ご安心ください。最近オーストラリアへ移住されたパセリさんの「アデレード ライフ」にて、リアルタイムで移住記が読めます。私たち家族が通ってきた道と同じようにご家族が奮闘していらっしゃって、「ああ、こうだったなあ」としみじみ読ませて頂いています。)
ただ、そんな中にも一つ二つ、断片ながらもとどめておきたいことがあります。
一つには、こちらに来て半年くらいだったかな、ちょうど同じ頃に日本からいらした駐在の奥様にお目にかかったことがあったのです。彼女が何気なく他の人に言った一言で私はものすごいショックを受けてしまったことがありました。それは、
「うちの子、半年ですっかり英語が話せるようになっちゃって。もうペラペラなの。子どもって本当に早いのね。」
ものすごくショックでした。それは私が毎日自分に言い聞かせていた、
「”子どもはすぐペラペラ”なんて神話!ウソ!」(余談ですが、日本語で言うとところの○○神話(3歳児神話とか…)は英語でもmyth(神話)と言います。というか、英語の表現をそのまま翻訳したのかな?)
という信念を真っ向から覆すものだったから。これには悩みました。ウチの子どもたちが特殊なんだろうか、環境が悪いのだろうか、もしかしたら何かとんでもない間違いを犯したのではないか…。今思えばまったく可哀想なことですが、黙っていられなくて、家に帰って子どもたちにまで
「同じ頃に来てもう英語がペラペラになっちゃった子もいるんだって」
などとますます追いつめるようなことを言ってしまったり。本当にひどいことをしてしまいました。
でもこれ、結論から言うと単なる言葉の行き違いだったんです。
その「すっかり英語がペラペラ」という子の英語を聞く機会がそれからずいぶん後にあって、その時にわかったのですが、要するに私の想像する「すっかりペラペラ」のレベルとそのお母さんが言った「すっかりペラペラ」のレベルが全く違った、ということ。その子がペラペラならウチの子どもたちもとっくにペラペラと言ってよかったのかもしれません。でも私にはとてもとてもそんなふうに思えなかったんです。
この連載の最初のころにチラッと書き、連載その1とその2あたりでいただいたコメントを通しても確信していったのですが、
「英語がペラペラって何?」
とというのが今の私にとって最大の疑問です。当時はまだ生々しくてハッキリと書けませんでしたが、英語がペラペラっていう言葉、ちょっと誤解されていませんか?
辞書に寄れば、「外国語を母国語のように使いこなすさま」というのが”ペラペラ”の定義のようです。私もそういう認識でいました。じゃあ、そのお母さんは渡米半年の自分の子どものことを本当に「母国語並みに英語が話せるようになった」と思っていたのかしらん???それはわかりませんが。
うっすらと思うに、親が全く英語を話さない親だと子どもの英語のレベルがわからず、実際は必要な英語力の1割くらいしかできていなくても
「わー、うちの子、ペラペラ」って思ってしまう。それが「子どもは早い」という事実に拍車をかけ、誤解となって広まっていくのじゃないかなあ。
確かに子どもが、「大人と比べて英語の習得が早い」のは事実だと思うのです。でもそれは、決して数ヶ月やらでネイティブレベルになる、ということではなく、
「3~4年かけてそのレベルまで達する可能性がある」
ことだと私は考えています。大人だったら3~4年でネイティブレベルなんてあり得ないですから。確かに子どもは早い。事実です。
でも、ここに大きなポイントが。
実は、そうやって親に「うちの子はすごい!もう英語がペラペラなの!」って思われている子どもはそれが大きな自信となって、実際どんどん上達していくらしいんです。逆に、ちゃんと学校の授業についていけている我が子たちをネイティブの子たちと比べて「うちはまだまだだね」なんて思いこんでいる私のような親をもつと、子どもは自信を無くしてしまうらしい。
ごもっともです。まったくもって気の毒なことをウチの子どもたちにしてしまいました。あれから4年が過ぎて、うちの家族はまだとても「英語を母国語のように使いこなす」レベルには至っていませんが、英語でものすごく困るということはもうなくなっています。「石の上にも3年」っていう言葉は伊達じゃないんだなあとしみじみ思います。昔の人は偉かったね。
覚えている断片の一つ、こちらに来て最初のスクールイヤーが終わった夏だったか次の夏だったのか、家で、フーはハリーポッターの原書を手にしました。日本では1巻が発売された年1年生か2年生の頃、2巻が出るまでに十数回も読み通したハリーポッター。その時の原書が4巻だったのか5巻だったのかも定かではないけれど、フーはなんとその分厚い原書を読み通しました。後から言うことには(何しろその時期はほとんど私たちと口を利かなかったので)
「良く最後まで読んだと思うけど、全くと言っていいほど意味はわからなかったよ。でもあれで自信がついたような気がする。」
そして、新学期から新しい学校へ通い始めた彼女はめきめきと頭角を現し、元気になってきたのでした。
なんだか尻切れトンボになってしまった連載ですが、私が一番言いたかったのは、
子どもはすぐにペラペラよね。
っていう神話に腹が立ってるぞー!ってことだったんですよ。私がここでいくら叫んだところで何も変わらないかもしれないけど、でもね。やっぱりこういうプレッシャーって当人たちとその親にはたまらないものですよ。
「ペラペラ」に至る長い道のりには落とし穴もつまずく石ころもたくさんたくさんあるし、険しくて大変なもの。それは大人だけじゃなく、子どもにとっても同じなんです、ということを少しでもわかってもらえたらこんなに嬉しいことはありません。
”ペラペラ”になる日が来るかどうかはわからないけれど、今や学校を代表する優等生に名前を連ねているブーやフーはもちろん、ちょっと出遅れていたウーも、近頃では成績表にA以外の文字を見ることが少なくなってきました。それでも、授業内容はわかるのに、その中で先生の飛ばすジョークやテレビ番組、タレントの話題、そういうものにはついていけず、やっぱりちょっと大変な思いをしているのには変わりないらしい。そんな中で本当によくがんばっていると、つくづく子どもたちを尊敬してしまう今日この頃なのです。
母?母も先日、ようやく英語の本(大人向け)を一冊、初めて最初から最後まで読み終えて階段を一段上がったなあ、と一息ついております。いつのまにかすっかり子どもたちには抜かされちゃったけど、まだまだボキャブラリーでは負けませんよー。がんばらなくちゃね。
かあさまもたいへんだったのねー。わたしもこのいえにきたときはたいへんだったのよー。いまではちゃんといばらきべんがはなせるのよー。
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昨日とは打って変わって
夕方以降の嵐が予報に反して大したことなかったのでくまさんも水没してませんでした。よかったねえ>くまさん
さて。ずーーーーーーーーーーーーーっと長いこと気にかかっておりました、連載モノ「家族が生活に馴染むまで」シリーズ。中でも「子どもたちが英語を習得するまで」の連載は、続きを書かなくちゃ書かなくちゃと思いつつ、1年以上も放置してしまいました。
実は書けないのには理由がある。
みなさんにもありませんか、たった今、とっても怖ろしい何かに追いかけられて逃げに逃げた記憶はあるものの、それが一体何だったのか、何故逃げることになったのか、思い出せない、そういう悪夢。
そう、悪夢から目覚めた瞬間には、その記憶はまるで指のすき間から水が漏れるようにスルスルと記憶から抜け落ちていってしまう…断片を無理矢理思い出そうとするも、つじつまがどうにも合わない、ああ、もどかしい…
ということで、つまり…平たく言うとですね、
忘れちゃいました。
ごめんなさい。
ほんとにもう。悪夢だったことは覚えているんです。子どもたちが、言葉のわからないストレスでおかしくなっていったこと、私自身も思うように伸びない自分の英語力に苦しんで毎日無理矢理英語の環境に浸ろうと努力していたこと、そんな中で起きたいろいろな事件、悔しい思い、辛かったこと…カケラカケラは覚えているものの、記憶が繋がらないのです。
そんなわけで、この連載、どうやら尻切れトンボになりそうで、申し訳ありません。(「ええーっ!?」と思われた方、ご安心ください。最近オーストラリアへ移住されたパセリさんの「アデレード ライフ」にて、リアルタイムで移住記が読めます。私たち家族が通ってきた道と同じようにご家族が奮闘していらっしゃって、「ああ、こうだったなあ」としみじみ読ませて頂いています。)
ただ、そんな中にも一つ二つ、断片ながらもとどめておきたいことがあります。
一つには、こちらに来て半年くらいだったかな、ちょうど同じ頃に日本からいらした駐在の奥様にお目にかかったことがあったのです。彼女が何気なく他の人に言った一言で私はものすごいショックを受けてしまったことがありました。それは、
「うちの子、半年ですっかり英語が話せるようになっちゃって。もうペラペラなの。子どもって本当に早いのね。」
ものすごくショックでした。それは私が毎日自分に言い聞かせていた、
「”子どもはすぐペラペラ”なんて神話!ウソ!」(余談ですが、日本語で言うとところの○○神話(3歳児神話とか…)は英語でもmyth(神話)と言います。というか、英語の表現をそのまま翻訳したのかな?)
という信念を真っ向から覆すものだったから。これには悩みました。ウチの子どもたちが特殊なんだろうか、環境が悪いのだろうか、もしかしたら何かとんでもない間違いを犯したのではないか…。今思えばまったく可哀想なことですが、黙っていられなくて、家に帰って子どもたちにまで
「同じ頃に来てもう英語がペラペラになっちゃった子もいるんだって」
などとますます追いつめるようなことを言ってしまったり。本当にひどいことをしてしまいました。
でもこれ、結論から言うと単なる言葉の行き違いだったんです。
その「すっかり英語がペラペラ」という子の英語を聞く機会がそれからずいぶん後にあって、その時にわかったのですが、要するに私の想像する「すっかりペラペラ」のレベルとそのお母さんが言った「すっかりペラペラ」のレベルが全く違った、ということ。その子がペラペラならウチの子どもたちもとっくにペラペラと言ってよかったのかもしれません。でも私にはとてもとてもそんなふうに思えなかったんです。
この連載の最初のころにチラッと書き、連載その1とその2あたりでいただいたコメントを通しても確信していったのですが、
「英語がペラペラって何?」
とというのが今の私にとって最大の疑問です。当時はまだ生々しくてハッキリと書けませんでしたが、英語がペラペラっていう言葉、ちょっと誤解されていませんか?
辞書に寄れば、「外国語を母国語のように使いこなすさま」というのが”ペラペラ”の定義のようです。私もそういう認識でいました。じゃあ、そのお母さんは渡米半年の自分の子どものことを本当に「母国語並みに英語が話せるようになった」と思っていたのかしらん???それはわかりませんが。
うっすらと思うに、親が全く英語を話さない親だと子どもの英語のレベルがわからず、実際は必要な英語力の1割くらいしかできていなくても
「わー、うちの子、ペラペラ」って思ってしまう。それが「子どもは早い」という事実に拍車をかけ、誤解となって広まっていくのじゃないかなあ。
確かに子どもが、「大人と比べて英語の習得が早い」のは事実だと思うのです。でもそれは、決して数ヶ月やらでネイティブレベルになる、ということではなく、
「3~4年かけてそのレベルまで達する可能性がある」
ことだと私は考えています。大人だったら3~4年でネイティブレベルなんてあり得ないですから。確かに子どもは早い。事実です。
でも、ここに大きなポイントが。
実は、そうやって親に「うちの子はすごい!もう英語がペラペラなの!」って思われている子どもはそれが大きな自信となって、実際どんどん上達していくらしいんです。逆に、ちゃんと学校の授業についていけている我が子たちをネイティブの子たちと比べて「うちはまだまだだね」なんて思いこんでいる私のような親をもつと、子どもは自信を無くしてしまうらしい。
ごもっともです。まったくもって気の毒なことをウチの子どもたちにしてしまいました。あれから4年が過ぎて、うちの家族はまだとても「英語を母国語のように使いこなす」レベルには至っていませんが、英語でものすごく困るということはもうなくなっています。「石の上にも3年」っていう言葉は伊達じゃないんだなあとしみじみ思います。昔の人は偉かったね。
覚えている断片の一つ、こちらに来て最初のスクールイヤーが終わった夏だったか次の夏だったのか、家で、フーはハリーポッターの原書を手にしました。日本では1巻が発売された年1年生か2年生の頃、2巻が出るまでに十数回も読み通したハリーポッター。その時の原書が4巻だったのか5巻だったのかも定かではないけれど、フーはなんとその分厚い原書を読み通しました。後から言うことには(何しろその時期はほとんど私たちと口を利かなかったので)
「良く最後まで読んだと思うけど、全くと言っていいほど意味はわからなかったよ。でもあれで自信がついたような気がする。」
そして、新学期から新しい学校へ通い始めた彼女はめきめきと頭角を現し、元気になってきたのでした。
なんだか尻切れトンボになってしまった連載ですが、私が一番言いたかったのは、
子どもはすぐにペラペラよね。
っていう神話に腹が立ってるぞー!ってことだったんですよ。私がここでいくら叫んだところで何も変わらないかもしれないけど、でもね。やっぱりこういうプレッシャーって当人たちとその親にはたまらないものですよ。
「ペラペラ」に至る長い道のりには落とし穴もつまずく石ころもたくさんたくさんあるし、険しくて大変なもの。それは大人だけじゃなく、子どもにとっても同じなんです、ということを少しでもわかってもらえたらこんなに嬉しいことはありません。
”ペラペラ”になる日が来るかどうかはわからないけれど、今や学校を代表する優等生に名前を連ねているブーやフーはもちろん、ちょっと出遅れていたウーも、近頃では成績表にA以外の文字を見ることが少なくなってきました。それでも、授業内容はわかるのに、その中で先生の飛ばすジョークやテレビ番組、タレントの話題、そういうものにはついていけず、やっぱりちょっと大変な思いをしているのには変わりないらしい。そんな中で本当によくがんばっていると、つくづく子どもたちを尊敬してしまう今日この頃なのです。
母?母も先日、ようやく英語の本(大人向け)を一冊、初めて最初から最後まで読み終えて階段を一段上がったなあ、と一息ついております。いつのまにかすっかり子どもたちには抜かされちゃったけど、まだまだボキャブラリーでは負けませんよー。がんばらなくちゃね。
かあさまもたいへんだったのねー。わたしもこのいえにきたときはたいへんだったのよー。いまではちゃんといばらきべんがはなせるのよー。
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