大好きなコミックエッセイ「日本人の知らない日本語」(一人別名:日本語教師あるある本)の4巻が発売になりましたね。って、いまさらですが、こちらで身内・知人に頼んでgetできるのはちょっと遅くなっちゃうんです。
毎度のことながら面白すぎる。
早速ネタを一つ使ってみました。日本語学習レベル上級者(JLPT N1を受験)との会話。
「このおりがみ、息子が作ったんですが、もらってあげてくれますか?」
もう、期待通り抱腹絶倒のリアクションをしてくれまして。ジェスチャー付きで大げさに
(両手のひらを上に向けて遠くから自分の方へ抱え込み)「もらって~」
(その両手を私の方へ戻しながら)「あげて~」
(その手を自信なさゲに自分の方へ戻しながら)「くれます~……か?」
「・・・・・・はい
?」
だって。「ちょっとまって!私は、もらいますか?あげますか?誰がくれますか?何を?」
やりもらい(みんなの日本語L.7)自体が混乱しやすいのに、動作のやりもらい(L.24)がコンビネーションになっているんだから大変です。本来なら「もらってやってくださいますか?」って更に敬語まで入ってくるんだから、本当に日本語って大変です。活用とモダリティが多すぎ~。これを何の意識もせずに使えるのが母語というもの。第二言語が第一言語を越えることはないだろうなあ、と実感します。

「こんなボクなんでちけど、もらってやってくれまちか。ちなみに、この『まちか』の活用も非ネイティブには難しいでちよ。」
毎度のことながら面白すぎる。
早速ネタを一つ使ってみました。日本語学習レベル上級者(JLPT N1を受験)との会話。
「このおりがみ、息子が作ったんですが、もらってあげてくれますか?」
もう、期待通り抱腹絶倒のリアクションをしてくれまして。ジェスチャー付きで大げさに
(両手のひらを上に向けて遠くから自分の方へ抱え込み)「もらって~」
(その両手を私の方へ戻しながら)「あげて~」
(その手を自信なさゲに自分の方へ戻しながら)「くれます~……か?」
「・・・・・・はい

だって。「ちょっとまって!私は、もらいますか?あげますか?誰がくれますか?何を?」
やりもらい(みんなの日本語L.7)自体が混乱しやすいのに、動作のやりもらい(L.24)がコンビネーションになっているんだから大変です。本来なら「もらってやってくださいますか?」って更に敬語まで入ってくるんだから、本当に日本語って大変です。活用とモダリティが多すぎ~。これを何の意識もせずに使えるのが母語というもの。第二言語が第一言語を越えることはないだろうなあ、と実感します。

「こんなボクなんでちけど、もらってやってくれまちか。ちなみに、この『まちか』の活用も非ネイティブには難しいでちよ。」
いきなり聞くと「へ?」ですが、シュチュエーションを聞くと一発で理解できますね。
冷静に考えると、確かにこの日本語は難解ですね。
こういうのをサラッと使えるのが「母語」なのかもしれませんね…。
鼻血ブーレベルのかわゆさ♪堪りません!
これってアレでちか?やっぱり背中にI BITE!I BITE!I BITE!って書いてあるんでちか?(うそ)
自分は、貰ってやって下さ~い。と、相手にお伺いを立てる事もなく、押し付けていた事が判明∑(-口ー;)母国語ですのに・・・。
“息子の折り紙”だと”もらってやってくれますか?”
”お友達のお子さんの折り紙”だと”もらってあげてくれますか?”
の方が自然かなあな~んて違いもありますよねえ。難しい@@
この漫画、TAMAさんからのオススメで読み始めて親子で楽しんでます(*^。^*)
4巻ももちろん片隅家よりずっと早く、発売と同時に買いましたよ!(^^)! オススメありがとうございます。
母語レベルではであってもネイティブスピーカーと同じレベルであるには、やはりその文化にどっぷり使って育たないとダメな気がします。うちの子供達の英語は母語レベルではあっても、やはり幼児の頃から家庭でそのコトバを使って育っていないので、限界があるようです。もっとも、そんな限界レベルが要求されることはまずないのですが。
一体どうなさいました!?フランケン脱出と共にポチでつか?
こんなの光速保存して一体何に使…あ!もしかして魔除け?
ここ最近の話だと思うのですが、なんと、「コドモ」や「イヌ」や「植物」に「あげる」も、正しい日本語として認められたらしいです(出典要確認)これで一つハードルが下がったとはいえ、何やら日本語がどんどんシンプルに簡単になっていく時代の流れにちょっとさみしいものも感じます。←この「~もの」の使い方もちょっと前まで☓でしたよね~。
「コドモ」や「イヌ」や「植物」に「あげる」が間違いだというのは大人になった頃、一般常識を学習する上で知りました。
(要するに日常生活では学べなかった。若ぶるというか単にもの知らず?)
逆にお花に水を”やる”なんてちょっと乱暴ない方だなあと思っていたくらいです。
最近は”あげる”も正しいとしましょう、という記事を読んで(去年位じゃなかったですか?)やっぱりねえ~、と思った次第です。
ただ、自分がこどもに”あげる”のは構わないのですが、他人に自分の子供に関して頼む場合はちょこっと違和感ありますね。
たとえば子供に“夕食を作ってあげるね”はOK
(以前は間違いとされていた言い方ですが違和感なし)、
自分の友人に子分の子供の分の夕食を作ってもらう場合は“作ってあげてね”、はなんというかちょっと、という感じです。
なーんて、今の若い子たちはこれにも違和感覚えないのでしょうね。
そしてこんなちょこっとの違い、、、母語じゃなきゃわかんないですよね(*^。^*)
“子分の子供”じゃなくて“自分の子供”です(T_T)
そうそうそうそう!!感覚、わかります。私も同じ。自分の子に自分が「作ってあげる」のは違和感なし。でも、他人に自分の子を面倒診てもらうとき「作ってあげてね」は、あまりにもへりくだり感がなさすぎな感じですよね。そもそも、西洋文化の人々に「へりくだり」という概念をわかってもらうのが難しいので、やはり言葉は文化だなあと思いますね。
実は数年前に、古いカルピス名画劇場(だっけ?)の名犬ラッシーを見たんですが、みんなイヌや子どもにたいして「やる」とか「おまえ」とかいうコトバを使っていますね。エリザベス・テーラーが子役で出ていたラッシーでも、あの鈴のような美しい声で話される[you]は、字幕で「おまえ」と訳されていたような気がします。
時代って案外すごいスピードで変わっていくのですねー。