最近観た映画の感想
(以下、色々とネタバレを含む。)
アイ,ロボット(原題:I, Robot) : ☆☆
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
この「ロボット三原則」で有名な小説『I, Robot』を原典とした作品。
ただ、残念な事に、本作品の監督や脚本家にとって「ロボット三原則」は少々難し過ぎたらしい。
『I, Robot』はSF小説でありながら、ロボットが起こす事件に対して、三原則がありながらどうしてそんな問題が起きたのかを論理的に解き明かすというミステリ小説としての側面を併せ持っている。
そこで重要となるのが「ロボット三原則は絶対である」という前提である。もしも、この前提がなかったなら、あらゆる問題は「ロボットの故障」の一言で片付いてしまうだろう。
しかし、この映画『アイ,ロボット』では、冒頭で三原則について言及しておきながら、まるでゾンビ映画の様にロボットが人間に襲い掛かって来る。
これをどう説明するのかと思えば、人工知能が「人類はロボットに管理・保護されなければ生存出来ない」という結論に至り、他のロボットたちを操っていた……って、ハァ?
作品の序盤では「三原則は回路に物理的に結線され変更不可能」だと説明されてたのに、いつの間に外部からのコントロールが三原則よりも優先される設定に変わったんだよ。
そもそも、VIKIが「人類」は「人間」よりも優先されるとする「第零法則」と同じ結論に至ったのは分からなくもないが、それでも「第一条」を無視出来るのは他に代替手段がない場合に限ってだろうに。
ロボットのサニーが、人間の博士を殺せた理由も酷かった。
先ず頼みを聞くよう誓わされ、その上で殺せと言われたから……って、理由になってねーよ。
分かったから、お前はもう一度、三原則を読み直せ……。
ここまで蔑ろにするなら、最初からロボット三原則なんて持ち出さなければ良かったのに。
僕がこれまで積極的に映画を観ようとしなかったのは、原作を読めばそれで十分だからというのが理由の一つだが、この映画は正にそういうタイプの作品だった。
原典を忘れ、人間とロボットが戦う単純娯楽映画として観ても、やっぱり微妙……。
ゴジラ : ☆☆
有名な作品ではあるが、これまで実際に観た事はなかった。
ちょっと前に話題になっていたので、興味を持って観てみる事に。
『ゴジラ』って、1954年に公開された映画で、白黒だったんだね。
感想としては……、あらゆる意味でショボい。
話の大半は、ゴジラが暴れ、市民が悲鳴を上げて逃げるだけ。
ラストは、架空の怪獣ゴジラを架空の兵器ニクトカースで殺しておしまい。
いや、昔の映画だから仕方ないし、当時としては斬新だったんだろうけど。
ただ、ゴジラが恐竜だというのは知らなかったので、ちょっと驚いた。
てっきり、核実験の結果、突然変異とかで奇跡的に生まれた怪獣なのかと。
でも、恐竜を水爆実験に巻き込んだところで、口から怪光線吐く様にはならんだろ(笑)。
それに、普段は海底に棲んでいるのなら、そんな能力を得ても半分持ち腐れの様な。
あと、何故かジュラ紀が200万年前だと説明されているのは、ツッコむところ?
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2(原題:Back to the Future PartⅡ) : ☆☆☆
バック・トゥ・ザ・フューチャーの続編。
物語は前作のラストシーンからスタート。
将来、主人公たちの子供が起こす事件解決のため、今度は30年後の未来へ。
作中の「30年後の未来」は、奇しくも現在と同じ2015年。
残念ながら空飛ぶ車はまだ一般的じゃないけど、中には現実の方が上を行っている技術もあるね。
さて、本作では未来が舞台になるのかと思いきや、子供たちの問題はアッサリと解決。
だが、新たに発生した問題解決のため、主人公たちは再び1955年へ行く事になる。
正直、1955年に戻ってからの話は、前作の焼き直しを見せられている様で退屈だった。
スポーツ年鑑を奪うくらい、タイムマシンを活用すれば、もっとスマートに出来るだろうに。
時間設定装置の不調も、未来の世界で直してから、この時代に戻って来れば済む話の様な。
無事に目的を達成したかと思えば、今度はドクが落雷によって過去へと飛ばされてしまう。
他にも未解決のまま残った問題があり、何とも消化不良といった印象。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3(原題:Back to the Future PartⅢ) : ☆☆☆☆☆
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 の続編にして、シリーズ完結編。
PART2のラストで消えたドクを救うため、今度は1885年の西部開拓時代へ。
PART3は、1作目と同様に「未来に帰る」とテーマがハッキリしているところが良いね。
それでいて、ドクの恋人クララの存在が、先の展開を容易には読めなくしていて面白い。
ラストで、ドクが未来から持って来たFAX用紙に絡めて言った「人間の未来はすべて白紙だっていう事さ!」というセリフは、シリーズの締め括るに相応しい。
PART2で張られた伏線も綺麗に回収され、非の打ち所が無い神作だった。
(以下、色々とネタバレを含む。)
アイ,ロボット(原題:I, Robot) : ☆☆
第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
この「ロボット三原則」で有名な小説『I, Robot』を原典とした作品。
ただ、残念な事に、本作品の監督や脚本家にとって「ロボット三原則」は少々難し過ぎたらしい。
『I, Robot』はSF小説でありながら、ロボットが起こす事件に対して、三原則がありながらどうしてそんな問題が起きたのかを論理的に解き明かすというミステリ小説としての側面を併せ持っている。
そこで重要となるのが「ロボット三原則は絶対である」という前提である。もしも、この前提がなかったなら、あらゆる問題は「ロボットの故障」の一言で片付いてしまうだろう。
しかし、この映画『アイ,ロボット』では、冒頭で三原則について言及しておきながら、まるでゾンビ映画の様にロボットが人間に襲い掛かって来る。
これをどう説明するのかと思えば、人工知能が「人類はロボットに管理・保護されなければ生存出来ない」という結論に至り、他のロボットたちを操っていた……って、ハァ?
作品の序盤では「三原則は回路に物理的に結線され変更不可能」だと説明されてたのに、いつの間に外部からのコントロールが三原則よりも優先される設定に変わったんだよ。
そもそも、VIKIが「人類」は「人間」よりも優先されるとする「第零法則」と同じ結論に至ったのは分からなくもないが、それでも「第一条」を無視出来るのは他に代替手段がない場合に限ってだろうに。
ロボットのサニーが、人間の博士を殺せた理由も酷かった。
先ず頼みを聞くよう誓わされ、その上で殺せと言われたから……って、理由になってねーよ。
分かったから、お前はもう一度、三原則を読み直せ……。
ここまで蔑ろにするなら、最初からロボット三原則なんて持ち出さなければ良かったのに。
僕がこれまで積極的に映画を観ようとしなかったのは、原作を読めばそれで十分だからというのが理由の一つだが、この映画は正にそういうタイプの作品だった。
原典を忘れ、人間とロボットが戦う単純娯楽映画として観ても、やっぱり微妙……。
ゴジラ : ☆☆
有名な作品ではあるが、これまで実際に観た事はなかった。
ちょっと前に話題になっていたので、興味を持って観てみる事に。
『ゴジラ』って、1954年に公開された映画で、白黒だったんだね。
感想としては……、あらゆる意味でショボい。
話の大半は、ゴジラが暴れ、市民が悲鳴を上げて逃げるだけ。
ラストは、架空の怪獣ゴジラを架空の兵器ニクトカースで殺しておしまい。
いや、昔の映画だから仕方ないし、当時としては斬新だったんだろうけど。
ただ、ゴジラが恐竜だというのは知らなかったので、ちょっと驚いた。
てっきり、核実験の結果、突然変異とかで奇跡的に生まれた怪獣なのかと。
でも、恐竜を水爆実験に巻き込んだところで、口から怪光線吐く様にはならんだろ(笑)。
それに、普段は海底に棲んでいるのなら、そんな能力を得ても半分持ち腐れの様な。
あと、何故かジュラ紀が200万年前だと説明されているのは、ツッコむところ?
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2(原題:Back to the Future PartⅡ) : ☆☆☆
バック・トゥ・ザ・フューチャーの続編。
物語は前作のラストシーンからスタート。
将来、主人公たちの子供が起こす事件解決のため、今度は30年後の未来へ。
作中の「30年後の未来」は、奇しくも現在と同じ2015年。
残念ながら空飛ぶ車はまだ一般的じゃないけど、中には現実の方が上を行っている技術もあるね。
さて、本作では未来が舞台になるのかと思いきや、子供たちの問題はアッサリと解決。
だが、新たに発生した問題解決のため、主人公たちは再び1955年へ行く事になる。
正直、1955年に戻ってからの話は、前作の焼き直しを見せられている様で退屈だった。
スポーツ年鑑を奪うくらい、タイムマシンを活用すれば、もっとスマートに出来るだろうに。
時間設定装置の不調も、未来の世界で直してから、この時代に戻って来れば済む話の様な。
無事に目的を達成したかと思えば、今度はドクが落雷によって過去へと飛ばされてしまう。
他にも未解決のまま残った問題があり、何とも消化不良といった印象。
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3(原題:Back to the Future PartⅢ) : ☆☆☆☆☆
バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 の続編にして、シリーズ完結編。
PART2のラストで消えたドクを救うため、今度は1885年の西部開拓時代へ。
PART3は、1作目と同様に「未来に帰る」とテーマがハッキリしているところが良いね。
それでいて、ドクの恋人クララの存在が、先の展開を容易には読めなくしていて面白い。
ラストで、ドクが未来から持って来たFAX用紙に絡めて言った「人間の未来はすべて白紙だっていう事さ!」というセリフは、シリーズの締め括るに相応しい。
PART2で張られた伏線も綺麗に回収され、非の打ち所が無い神作だった。
当時の脚本作成者が大雑把すぎる知識(いわゆる無知?)で「大昔」を説明したことが原因・・・だったけかなぁ・・・。
地球や宇宙の年代は発見や測定方法の進化によって変わってきてはいるんですけどね。
昨年ハリウッドで再映画化されましたね、「ゴジラ」。
映像的にはもちろんチャチくないし、一見ストーリーも面白い、と思ってしまったんですが・・・
もともと水爆実験がゴジラという悪夢を誕生させた、という核兵器反対の視点があると思うのですが、新作は水爆実験はゴジラを倒すために行われた・・・って、意図的に水爆実験を肯定している内容に・・・
前回のハリウッド化のようなトカゲみたいなトンデモゴジラじゃないのはよかったのですがね。