上は重文「玉若酢命神社の随紳門」
隠岐諸島には茅葺の民家は残っていないようで、金属カバーを被った民家を一棟見かけただけだった。
隠岐の島と言えば「牛突き」の行事も有名だが、島内各地に牛突き場がある。
県道44で都万の山地を走行中に「牛突き場」の矢印を見つけ、林道風の道を登って行くが途中の標識を見誤り下りに入ってしまう。やっと現れた民家の前でお年寄りに聞いてみる。
牛突きの日は、山道を多数の登る人下る人で、家の前には砂埃が上がらないように水を撒くほどだった。
「なぜ山奥の高い何もない場所でやるの?」と尋ねると「岐前、岐後(と聞こえた?)の境があの場所で、両者で勝負をしたのだ」との事。
今は車時代だから私の上がった方の道が登り、間違えて下った方を下る一方通行だそうだ。
島前、島後等と隠岐の国では、前と後を良く使うのだと謎のままだ。
重文「億岐家住宅」
重文「佐々木家」屋根は杉皮葺 代々の庄屋で多くの古文書も残っていたとの事。
移築保存されている都万目の古民家
移築保存されている都万目の古民家
隠岐諸島には茅葺の民家は残っていないようで、金属カバーを被った民家を一棟見かけただけだった。
隠岐の島と言えば「牛突き」の行事も有名だが、島内各地に牛突き場がある。
県道44で都万の山地を走行中に「牛突き場」の矢印を見つけ、林道風の道を登って行くが途中の標識を見誤り下りに入ってしまう。やっと現れた民家の前でお年寄りに聞いてみる。
牛突きの日は、山道を多数の登る人下る人で、家の前には砂埃が上がらないように水を撒くほどだった。
「なぜ山奥の高い何もない場所でやるの?」と尋ねると「岐前、岐後(と聞こえた?)の境があの場所で、両者で勝負をしたのだ」との事。
今は車時代だから私の上がった方の道が登り、間違えて下った方を下る一方通行だそうだ。
島前、島後等と隠岐の国では、前と後を良く使うのだと謎のままだ。