手づくりオーディオで聴く JAZZ

1960年代の後半、BEATLESがまだ現役だった頃に、初めてアンプを作った。ときどき火がつく。

レコードプレーヤー修理

2020年11月06日 23時26分55秒 | LP_CDP

レコードプレーヤー修理

先日、地元の映画館(電気館)で「マイルス・デイヴィス クールの誕生」を観た。
なぜか今日レコードを聴きたくなった。

引っぱり出してみると、新品みたいだ。たぶん数回しか聴いていない。

ところで、私のJazzの聴き始めは、ウェス・モンゴメリーだった。
高校1年の終わり頃にエレキ・ギターを買い、同級生とバンドを組んだ。
当時はギターを持てばグループ・サウンズかベンチャースの時代だった。
あまりベンチャーズには興味がなかった。中学の頃はラジオでPPMやブラザース・フォーなどのフォークを聴いていた。歌ものが好きだったようだ。
もちろんビートルズも知ってはいたが、凄さがまだわからなかった。
高校2年のときに校内の音楽会みたいなのがあって、そこで初めて人前で演奏した。
なぜ出れたかというと、私達のバンドのドラムは高校1年だったが、やたらとうまかった。
ベンチャーズの「キャラバン」のソロができた。
その彼は後にプロになっていた。
その後、高校3年のときは文化祭に出た。そして解散した。
大学進学組ではなかったので、別のバンドに顔を出したりしていた。
あるとき遊び場の音楽室からJazzらしき演奏が聴こえてきた。
覗いてみると同級生のY君と元のバンドのドラムだったY君と2年生でブラス・バンド部でトロンボーンを吹いていたI君(この人も後にプロのピアニストになった。現在も活躍中)ら3人がJazzの練習をしていた。
高校3年の冬休みの頃、別の高校の友人が「すごくギターのうまい奴がいる」と言って紹介してくれた。下宿に行くと、サウスポーでウェス・モンゴメリーのレコードを聴きながら曲をコピーしていた。かの有名なオクターブ奏法だ。「花はどこへ行った」だった。
この人もプロになっていた。10年ほど前に、お互いの知人を介して会ったが、彼は私のことを覚えていなかった。私が東京へ行くときに「もうバンドをやることもないだろう」と手持ちのYAMAHAのストラト・モデルを彼に譲ったのだけど、、、。
 ということで、身近にすごい人がいたおかげで自分の実力を客観視でき、道を外すことがなかった。感謝!!

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 昔ばなしは、これくらいにして、
プレーヤーの覆いを取ってみるとターンテーブルを回すための糸(正確には魚釣り用のハリス)が切れていた。そう2-3ケ月前に切れたのを忘れていた。
フロロカーボン製の5号を念のために切れないように二重にして使ってみた。
ところがなぜか、暫く使うとスリップして外れてしまう。
それでは細い方がいいのかもと、1号を一重で使ってみた。

するとすぐに結び目から切れた。ターンテーブルに防振用のステンレスの円盤(2Kg)を追加しているので、さすがに重さに耐えきれなかったようだ。
3号ほどのハリスがなかったので、5号を一重で使うことにした。
これは一応成功した。ただし、モーター軸をハリスの結び目が通過するときにかすかに「コツッ」というノイズがスピーカーから出る。
でも、久しぶりにちゃんとマイルス・デイヴィスの曲を聴くといいなと感じた。

動画リンク

 

プレーヤー修理

MICROのRX5000のターンテーブルを使っている重量級糸ドライブプレーヤーを修理してみた。

youtube#video

 

 

https://youtu.be/jGo3sEPeqpw


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