おはようございます☀
今日は、ヨブの16章から学びます
たとえ私が語っても、
私の痛みは抑えられません。
たとえ私が忍んでも、
どれだけ私からそれが去るでしょう。
ヨブ記16章6節
私たちは辛い時、隠れたい。逃げたい。と思います。
でも、神様はどこにでもいる。
わたしは近くにいれば、神なのか。
──主のことば──
遠くにいれば、神ではないのか。
人が隠れ場に身を隠したら、
わたしはその人を見ることができないのか。
──主のことば──
天にも地にも、わたしは満ちているではないか。
──主のことば。
エレミヤ書23章23~24節聖書
新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
神様から逃げるのではなくて、
神様に逃げましょう。
神様は守ってくださいます
私の救いと栄光はただ神にある。
私の力の岩と避け所は神のうちにある。
民よどんなときにも神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。
神はわれらの避け所である。
セラ
詩篇62篇7~8節聖書
新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
キリストを見つけました!!!
今でも、天には私の証人がおられます。
私の保証人が、高い所に。
私の友は私を嘲る者たち。
しかし、私の目は神に向かって涙を流します。
その方が、人のために神にとりなしてくださいますように。人の子がその友のためにするように。
数年もたてば、私は帰らぬ旅路につくのですから。
ヨブ記16章19~22節聖書
新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
保証人とは、イエスのことです。
とりなしとは、仲裁という意味です。
保証人が人のために神様に仲裁そしてくださりますように。
私を嘲る者たち、罪人にも。
帰らぬ旅路につくのですから
ヨブは、人の子イエスが、罪人の仲裁者になるために地上に来る事を知っていたようですね。