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EigenWolf

今度の東北大震災がきっかけでBlogを始めました.

コロナ終息への道筋

2021年04月02日 22時01分14秒 | 報道/ニュース

先週、第一陣ということでワクチン接種を受けてきた。ワクチンはファイザーの「コミナティ筋注」である。注射そのものは痛みもなく、15分の経過観察も問題なく、無事に終えた。翌日に「経験した事のない様な激しい咳」に襲われた。喘息発作の様な激しい咳き込みに恐怖をおぼえたが、5分ほどで収まった。その後同じ症状は出ていない。この症状がワクチンのせいかどうかは証明出来ないが、これまで同様の発作を一度も経験した事がないので、ワクチンの副作用の一つかもしれない。

さて、4月1日現在、日本の感染状況は極めて悲観的である。全ての責任は「たび重なる専門家の警鐘にも耳を貸さず、Go to…を強行し、会食宴会を重ね、コロナを軽視した」政府にあるが、東京都の責任も同じ程度に重い。自分たちだけでやれるという錯覚があったのかも知れない。感染を抑えるためには「強い危機感」を国民と共有しなければならないが、対策は全くなされていない。国民を如何に導き、如何に協力させるかという視点からの真剣勝負の議論が政府内部でなされているようには見えない。これは医学というよりも政治の問題なのである。専門家は、医学や統計学の知識はあっても、政治の能力があるわけではない。我々が今頼るべき指導者は優れた政治能力の人物である。

ここまで書いて、昔学生時代に読んだドイツの宣伝相ゲッペルスの「総力戦演説」の一節を思い出した。「諸君は国民の一部である。諸君を通じて国民の意思決定が世界の前に宣言される」。ゲッペルスの訴えは演出されたものではあったが、「敗色濃い」ドイツ国民から熱狂的な「ヤー!」の歓呼で迎えられたのである。

コロナを抑えるためには真剣勝負をしなければならない。政府がこの問題を深刻にとらえているという態度を国民に示すことが最重要である。自民党内にもこの難題に最適な有能な人物がいるはずである。

もうすぐ、大型連休の季節がやって来る。過密を避けるために、連休の日程を職場・企業毎にずらすというのはどうだろうか? もともと入院患者を抱える病院職員には連休などというものはないし、盆も正月もない。勿論、五月の連休もない。公務員も連休を返上するくらいの覚悟があった方がよい。「全員が一斉に休めるわけではない」ということになれば緊張感も持続出来、過密も避けられる。可能な職場から休みに間隔をもうけるというのは悪いアイデアではないと思う。なにより政府が真剣にやっているという思いが国民に伝わるはずである。

空港からの陽性者の垂れ流しとも思える入国を見ていると政府の本気度に疑問が持たれる。終息という考え方はもう無理かも知れない。しかし、政府の最後の最後の本当の本当の「覚悟」を見せてもらいたい。


コロナ要警戒

2020年10月19日 21時44分38秒 | 報道/ニュース

8月の爆発から落ち着いたように見えるコロナ感染状況であるが、大変危険な状況である事をお伝えしたいと思う。

人口一億といった大集団を扱う場合の統計学的一般則というものがある。世相が激しく変化しているにもかかわらず、平均寿命は、数年のオーダーで見ると、約80歳(男)で変わらない。80歳に到達すると同級生の約半数が亡くなる。高齢者はこの事を肌で感じ統計学の怖さを実感しているはずである。さて出生年が同じ集団(cohort)に着目し、その人口の年齢変化をとってみるときれいな釣り鐘(正規分布)型曲線になる事がわかる。つまりcohort人口の減少速度が80歳でピークになるということである。この正規分布型曲線というのが重要な点である。多くの世の中の現象は正規分布型曲線で近似出来るのである。

以上の予備知識を基に、コロナ感染者の推移を見てみよう。

現在の感染動向は下図の太い赤線で示したようになっている。9月の終わり頃から10月にかけて丁度富士の宝永山のごとく盛り上がりが観測される。点線は最悪の事態の予想であるが、もうすこしゆっくりと増大してゆくかも知れない。これを上で述べた「世の中の現象は正規分布型曲線で近似出来る」という一般則に当てはめて考えると、10月にかけての盛り上がりの部分は8月の爆発曲線(青色)と新たな感染爆発曲線(灰色)の重なりによると考えるのが合理的である。現在の状況は落ち着いた定常状態などではなく、新たな爆発の前兆であるという予測が成り立つのである。更に悪い事に、一般に爆発の大きさは過去のものに比べてより大きさを増してゆくのである。新たな対策がとられない場合、この予測が現実となる可能性が高い。

 


「go to ...」とインパール作戦

2020年09月20日 13時43分58秒 | 報道/ニュース

「go to travel」、「go to eat」は無謀に見える。「感染者の横ばい状態」を期待してのことかも知れないが、コロナ再爆発の危機が迫っている。横ばい状態は物理学でいうところの鞍点に似ている。峰は終息であり、谷は感染爆発に対応する。鞍点から峰(終息)に進むためには国民の新たな団結のエネルギーが必須であるが、谷底(パンデミック)へ落ちるのは容易である。鞍点は安定状態ではない。「横ばい状態」を維持するには国民の絶え間ない努力と犠牲が必要であり、それはまさにendlessである。

コロナを制すれば経済も成功する。しかし、経済を優先すればコロナで失敗し、経済も失敗する。どちらの道がより賢いのか小学生でもわかる簡単な命題である。まずコロナを制し、その後経済に力を入れる、というわかりやすい道を何故かたくなに拒否するのであろうか。世界がパンデミックに苦しみ、抜け出せずにいる中で、日本が世界の手本となり日本の知性を証明するまたとないチャンスである。コロナ制覇は日本国民への敬意につながり、日本製品への信頼の向上にもつながるはずである。これに勝る宣伝広告は考えられない。

感染爆発の犠牲は全て国民が負うことになる。「go to...」作戦は、インパール作戦の失敗を彷彿とさせる。自信過剰で傲慢な軍部がもたらした大災厄であった。指導部のミスはそのまま国民の負債となって跳ね返ってくるという事実を忘れてはいけない。4月の感染爆発を制していれば、我々はとっくにマスクの不要な、安全な生活を手に入れることが出来ているはずである。しかもそれは確実に出来たはずのことである。「インフルエンザよりも死亡者が少ない」などという理屈が通るわけもない。病気になりたい人などどこにもいない。それが生命体の本質だからである。

次の感染爆発は制御不能になる可能性がある。「social distance」の手段では到底抑えきれない爆発である。理由は簡単である。どこの社会にも集団の行動に反する何割かの「super spreader」が必ず存在する。感染者が少ない段階では、これらの「super spreader」の行動は「social distance」の効力に圧倒されて無視することができた(※)。しかし、例えば一日一万人を越えるようなパンデミックになると、それらの「super spreader」だけでネットワークを形成してしまい、制御ができなくなるのである。興味深い事に、この制御不能のパンデミック状態は政府が期待するところの「横ばい状態」にそっくりなのではあるが。

※:「super spreader」が少数に止まる範囲では、感染者の自然消滅が起きる。分岐過程の消滅確率が関係している。家系の断絶も同じ現象である。

 

 


コロナ蔓延と「social distance」

2020年08月14日 10時07分37秒 | 報道/ニュース

国内のコロナ蔓延はどうやら抑え切ったようである。回復者数が新規感染者を上回った事がそのサインである。下の図はepidemicにおける新規感染者と回復者をヒストグラム形式に示したものである。横軸は時間軸(weeks)を、縦軸は数を百分率で表しているが、数値は任意であって、代表的な傾向を表していると思っていただければ良い。重要な事は回復者数が新規感染者数を追い越す交点に差し掛かったという事実である(図の矢印)。これは今後コロナが急速に終息に向かうことを示唆するマイルスートーンなのである。国民の「social distance」の努力がようやく実を結びつつあるということである。 国民の一致団結の成果で、ウイルスが新たな「未感染者に」乗り移り、増殖するチャンスを失いつつある状況である。

注意すべき事は、この状況は国民の微妙な努力の均衡の上に成り立っており、僅かな油断又は努力で、マイナスにもプラスにも大きく変化しうる微妙なバランスの上にあるという認識が必須である。同じ努力が維持出来ればまもなく終息へと向かうと思われる。しかし最後まで決して手を抜かない事である。まずは感染者0を目標とし、その後残存するスプレッダーを囲い込み数週間の監視を怠らなければ、コロナは必ず撲滅出来るはずである。

政府は国民の努力と協力に感謝する必要がある。緊張感を高めつつ、ナイーブな国民の気のゆるみを引き起こす様な失言やシグナルを最後まで決して発しないことである。

※ 専門家の方々に一言。下の図は筆者が今回のコロナ危機に当たって「social distance」の概念を導入し急遽作り上げた数理モデルに従いシミュレートしたものである。回復者数の計算に力点を置き、従来のSIRモデルの拡張になっているが、カーブの形態は結果的にSIRモデルと等価である。

 


コロナについて一言

2020年07月09日 08時54分13秒 | 報道/ニュース
今のところ、なんとかパンデミックは避けられているようだが不安定な感染状況が続いている。筆者の住んでいる三重県でも、新規感染者はゼロの日が続いているものの、東京近辺からの来訪者が怖くてマスクは外せない。誰もがなんとかならないのかと考えている状況である。

実は、何とかなったはずなのである。チャンスは二度あった。3月20前後と、5月中旬である。この日は緊急事態宣言解除の日と重なっている。新規感染者数が急激に減ってきたので、政府も「安全圏に入った」と判断したのかもしれない。地方から見ていると、専門家、マスコミを含めどうも一つの思考に固定されている様に思えてならない。「新規感染者数」の上下に一喜一憂し、「医療崩壊」を憂える。これらが重要な指標である事は同意せざるを得ない。しかし、一つの視点が欠落している様な気がする。

「新規感染者数」が増えれば、パンデミックに繋がる。しかし、逆もまた真なのである。新規感染者(コーホート)は何週間か後に必ず急速に消滅するのである。治癒又は死亡という形を通してである。怖れるべきものは現存する正味の「スプレッダー」の数である。これは「回復」という視点を通してのみ見積れる数値である。「回復者」と「新規感染者」の二つの視点でデータを見るという点が欠けているようである。「現存する全スプレッダー数」という観点で考えると、5月中旬のヒストグラムはまさにコロナ撲滅の千載一遇のチャンスであったことを示している。しかし、理解しがたい「早過ぎた宣言解除」がこのチャンスを見事に潰してしまった。当時、正味の「スプレッダー」数はものすごい勢いで減少しつつあったのである。宣言解除をあと二週間、六月一日まで延ばしていたらコロナは日本国内において、完全に或はほとんど、根絶されていたと思う。そうすれば、コロナ対策はずっと容易になり、経済活動にも拍車がついていたはずである。専門家委員会はこのことを政府に進言したのであろうか?

もう一つ付け加えておきたい事がある。パンデミックによって「集団免疫」の可能性が叫ばれた時期があった。計算してみると直にわかるが、パンデミックによって感染するのは人口のごく僅かな部分のみである。人口の大部分が既に感染しているのではないかと推測するのは、直感的にはもっともであるが、現実にはごく僅かな一部の感染に停まるのである。「集団免疫」によって感染を防ぐという考え方は、我々の幻想に過ぎない。その理由は、社会の防御対策のおかげで、「新規感染者」に遅れて「回復者」が急速に後を追いかけるからである。

国民が結束し「social distance」に徹すれば、コロナは必ず撲滅出来る、しかし悔やまれる一つの事実は、我々はそのチャンスを二度逃した、という冷たい事実である。