オッキョバとお別れの時がやってきた。
オッキョバとは、大きい伯母のことであり、4姉妹の次女である母の姉である。
高齢者住宅に一人で住む伯母は88歳であるが、毎日のように川崎駅前に出かけたり、雨の日は住宅の4階まで階段の上り下りをして、足腰が弱らないよう心掛けていた。
囲碁の名人であり、若い頃はプロになることを薦められたようだが、当時は女流などいない時代だったので、お断りしたらしい。
伯母を知る爺の会社の先輩社員は「あの人には一度も勝てなかったよ」と頭をポリポリかきながら話をしていたことを思い出した。
毎日新聞を読み、新聞に掲載されている難解パズルやクロスワードパズルが好きで、答えが分からないと爺に電話をかけてくることもあった。
コロナ前は、爺と女房と伯母で宿泊旅行にいったり、日帰りバスツアーに参加したりしていた。
11月7日に会った時は、帯状疱疹がお腹と背中に出て、痛痒くてたまらないと言っていたが、それ以外はまったく元気そのものだった。
コロナも落ち着いてきたから、帯状疱疹が治まったら、食事に行ったり、旅行に行こうね、と別れてきた。
12月6日、兄からメールが来た。
「オッキョが亡くなった」
絶句である。あんなに元気だった伯母が・・・
5日に、2番目の孫のお食い初めをした日、孫を一目見せようとオッキョに電話をしたのだが、電話に出なかった。
天気も良いので、また川崎駅前に出かけたかな、と思っていた。女房殿も娘もそう思っていた。
が、その時はすでに亡くなっていた。
6日朝、新聞がポストに溜まっていたので、新聞配達の人が高齢者住宅管理者に連絡して、亡くなっていることが確認された。
どうやら、4日に亡くなったようだ。
その前日は、別の叔母が食事を共にしたと言い、その時は背中が痛いと言っていたが、いつものように笑顔で会話をしていたと言う。
体調があまり良くない母親にそのことを告げると、やはり絶句し、最後のお別れに行けないことが不甲斐ないと涙を流した。
本日、お別れ会を執り行い、オッキョは天国へと旅立っていった。
長い間お疲れ様でした。今まで本当にありがとう。
そう自分に言い聞かせているが、あまりにも突然の出来事であり、しばらくは、このお別れを受け入れられないかもしれない。
笑点を見に行った時、チラ見してるかも。