ケイの闘病や介護録

病気の記録や家族の介護の記録など

咳は甲状腺がんの予兆?

2023年05月29日 | 甲状腺がん

私は2008年と2009年に甲状腺腫瘍の摘出手術を受けています。

2008年に何気なく受けた脳ドックがきっかけで腫瘍が発覚しました。

亡き母が脳動脈瘤を持っていた事や夫が小脳梗塞になった事で

私も一度、脳の血管を診てもらっていた方が安心かと検査を受けましたが

その病院では頸動脈から脳までの血管を調べてくれたのです。

そして、頸動脈を診るためのエコーで

何かありそうなのでもう少し詳しく検査をしましょうと言う事になりました。

検査をする度にもう少し詳しい検査を・・・で、CT→MRI→細胞診

結果、がん細胞が出て大学病院で摘出手術を受けました。

 

突然、「がんです」と言われてもピンと来ませんでした。

自覚症状が何もなくて健康そのもので、ケアマネとしてバリバリ働いていた頃でしたから。

腫瘍は1cm程度で「飲み込む時に違和感がなかった?」と、先生から尋ねられましたが

そんな事を感じた事は一度もなかったし

検査に関わった何人もの先生が「普通、喉を触ると指に触れるんだけどなぁ?」

何て不思議そうに私の喉を触診されていたくらい、何も変わった事はありませんでした。

 

でも、腫瘍の摘出手術を終えて半年くらいしてから

ふと思ったのですが、手術後、今まで出ていた咳が出なくなっていたのです。

若い頃から花粉症があったのですが、この手術を受ける7年前くらいから

花粉症の季節から10月頃まで咳も出るようになっていました。

喋ろうとすると咳が出るのですが静かにしている時は出ないのです。

仕事柄、咳が出ると失礼だし、風邪だと思われて嫌がられると困るので

色んな病院に行ったのですが、風邪薬や咳止めでは治まらずに

吸引式の気管支拡張剤を使用していました。

また、本当に風邪をひいた時、そんなにひどい風邪でもないのに

声が枯れたりして「セクシーでしょ」なんて面白がっていたのですが

後で思えば、あれって腫瘍の影響だったのかと思うのです。

原因不明の咳が続く、そんな時は甲状腺腫瘍も疑ってみた方が良いかも知れない

家族にはそうアドバイスしています。

 

私の場合、一度目の手術で甲状腺の半分を摘出し

次の年にまた腫瘍があると、さらに半分を摘出しました

手術中に検査した結果、摘出した甲状腺からは、がん細胞が出なかったので

全摘せずにすみ、4分の1は残っていますが

その残り少ない甲状腺にも腫瘍があり今も定期検査を受けています。

甲状腺から出るホルモンは正常値で、頑張って機能してくれているので

服薬なしで日常生活を過ごせている状態です。

私の場合、がんの転移もなく「ヨウ素131」の必要はなかったのですが

今回の薬不足の新聞記事を読んで、とても他人事とは思えませんでした。

一日も早く、安心して治療が受けられるようになって欲しいと祈るばかりです。


甲状腺がん

2023年05月29日 | 甲状腺がん

先日新聞に「甲状腺がん薬不足」の記事が二日間に渡って出ていました。

「ヨウ素131」を製造する海外の原子炉で稼働停止が重なったために

治療の延期を余儀なくされる患者が出ているそう。

治療の延期で死亡リスク増。

肺や骨に転移があるなど再発のおそれが高い患者が

甲状腺の摘出術後3~4か月後に服用する事が多い。

服用が6か月以上だと6か月未満の場合より死亡リスクが

4.2倍高まるとする研究報告があるとのこと。

このヨウ素131は全量を輸入に頼っているそうで

国産化も視野に入れ、安定供給の戦略を考える必要性があるみたいです。

 

「要素131」

服用すると甲状腺から別の臓器に転移したがん細胞などに集まり

細胞を破壊する。国内では年間4000人の甲状腺がん患者が服用している。

・・・・・・読売新聞記事より抜粋・・・・

 

私は2008年と2009年に甲状腺腫瘍の摘出手術を受けています。

乳頭がんでしたがリンパや他臓器への転移は見らなかった為

ヨウ素131は服用していませんが

がんが発覚し、ネットで情報収集していた時

この治療を受けた方が数人おられました。

今、服用を延期されている患者さんやご家族の気持ちを思うと胸が痛くなります。

助かるはずの命が危険にさらされているなんて・・・

 

私の甲状腺がんは何気なく受けた脳ドックで見つかりましたが

後で思うと、予兆はあった感じでした。

何方かのお役に立てばと、その時の様子を次の記事にさせて頂きます。m(__)m


ご近所さんのスロープ

2022年09月08日 | ケアマネだった私の思うこと

久し振りに記事を書きます。(^^;

このカテゴリー「ケアマネだった私の思うこと」では

ケアマネジャーの経験から感じたこと、思うこと等を書いてみたいと思います。

 

ご近所さんが敷地内の建物を取り壊したついでにと色々改修されました。

玄関アプローチにもスロープを増設されたのですが

結果は「坂が急すぎて歩きづらい」「階段の方が早い」と言う事で

「作るんじゃなかった」と話しておられました。

 

元々あった階段の幅を広げるとか

階段の両側に手すりを設置した方が役立ったのにと、密かに思う私です。

大金を払って使い物にならない、それどころか邪魔になるって残念な結果ですね。

 

このスロープって階段の上り下りが辛くなった時に使う為とか車椅子を使用する時に役立つから・・・

そんな理由から施工業者さんに勧められて設置されたそうなんですが

そもそも、この方一人暮らしなので車椅子が必要になった時って

もうこのお家に住むのは難しくないですか?

それに、このスロープ道路から玄関に入るまでに3回も方向転換が必要で

2回目の方向転換には車椅子では広さが足りないですケド。(^^;

 

歩行が困難になった場合って、階段より急斜面のスロープを歩く方が大変なんです。

自分のペースで休み休み階段を使う方が良いって、高齢者の皆さんがおっしゃいます。

ふらつきが出て転倒の危険を感じるようなら手すりがあれば安心。

階段の幅が広ければ介助者が横について転倒予防も出来ます。

 

ご近所さんの場合、以前からある階段は幅が狭くて

一人でしか上り下りが出来ないし手すりもない状態です。

私が思うには階段の幅を広げて両側に手すりを設置してもらうのが良かったかと・・・

事前に相談を受けていれば、そうアドバイスさせて頂いたのですが。(^^;

 

リフォーム会社や施工業社さんでも、介護保険での住宅改修の資格をお持ちでなければ

高齢者にとって本当に必要なことが何なのか御存知ない方が多いなぁと思います。

 

ちなみに我が家の2階に上がる階段(屋内)に設置されている手すりですが

上る一段目と下り初めの一段目の間にしか手すりがありません。

歩行が不安定になった場合は上る手前からと下り始める前から手すりがないと危険です。

階段を上がる前に両足で立った状態で手すりを持って

階段を上り切った時、両足で立った状態でも手すりがある。

こうして階段部分だけでなく踊り場まで手すりがなければバランスを崩す恐れがあります。

なので、私かハゲリンの歩行が不安定になった場合は手すりを増設する必要があります。

 

介護保険制度では住宅改修を補助してくれる制度があります。

施工前に市に申請書を提出し承認を受けてから施工し、施工後の書類も提出しますが

その申請書を書けるのがケアマネか福祉住環境コーディネーターの資格を持った者に限られています。

知識とすればもちろんケアマネより福祉住環境コーディネーターの資格を持った方のほうが豊富だと思います。

高齢になってからや高齢者が同居する中でのリフォームには専門家のアドバイスがあるといいですね。

 

 

 


兄を見送る 20

2022年03月19日 | 兄の介護

食事摂取が中止され水分補給の点滴だけとなった兄。

その頃、コロナが蔓延しており家族と職員さんとの接触も減らす為に

洗濯物も施設対応になり面会の回数も減らされていました。

 

兄の意識は徐々に朦朧としている様子でしたが

夫が「俺、誰だかわかるか」と聞くと、ちゃんと名前を言っていました。

そのうち、父の名前が突然でてきて驚いたことがあります。

父は夫が小学1年生の夏、突然他界していますが

兄の障がいのことも不憫に思っていたようで

「〇〇の嫁さんは俺が見つけて来てやるからな」と言っていたそうです。

そのことを夫がよく覚えていて話してくれました。

普段、母の名前を言うことがあっても父の名前を兄が口にすることはなく

夫は「父さんが心配して、兄貴を迎えに来ているのかも知れない」と言っていました。

 

点滴だけになってから2ヶ月

その頃は面会も中止されており、兄にも中々会えなくなっていました。

主治医から「この年末年始に急変する心配がありますので連絡しました」と電話がありました。

その時の正月は心ここにあらずで、どう過ごしたのか二人とも記憶にありません。

兄は結局それから4か月頑張って4月17日に他界しました。

入所して2年3か月でした。

主治医から連絡を受けて施設に二人で行くと

兄は穏やかな顔をしていましたが、さらにやせ細っていました。

 

思うように面会できずにいたこと、夫は辛かったでしょうが

兄が飲まず食わずで痩せて行く姿をずーっと見ていたらもっと苦しかったと思います。

面会したくても出来ない状態だったのは神様の配慮だったのかと・・

神や仏を強く信じているわけではありませんが、不思議に思うのです。

 

障がい福祉サービスの利用から介護保険に切り替えて様々な支援を受け

家族として悲しい気持ちになったり憤ったりと色々ありましたが

最後は心のこもった介護を受けながら看取って頂けて感謝の気持ちで一杯でした。

 

兄の葬儀は夫と私の二人だけで見送りましたが

静かでゆったりと穏やかな気持で兄を送ることができました。

実は母が他界した時、普通の葬儀を行ったのですが夫と二人で悲しむ間もなく

対応に大忙しで、それが四十九日まで続き、体も心もクタクタになり

今後は家族だけでひっそりと葬儀を行うと決めていたのです。

この辺りはまだまだ古いしきたりが残っていて変人扱いされるかも知れませんが

ひと様に迷惑をかけることでなければ、自分達の気持ちに沿って行動したいと思っていました。

 

長々と兄の介護記録を書きましたが、最後までご覧下さった皆様に感謝いたします。

記事の中の何処か一部分でも、何方かのお役に立てれば幸いです。m(__)m

 

夫は自分が生まれた時から障がい者の兄がいると言う環境で育ちましたが

兄を嫌うこともなく環境を恨むこともせず、優しい気持ちのまま大人になったようです。

妻の私が言うものおかしな話ですが、この御時世には貴重な存在ですね。

最後に夫が兄に送った手紙を記載させて頂きます。

 

(兄の棺に入れた手紙です)

よ!兄貴! 64年間の人生、お疲れ様でした!

今年は新型コロナウイルスの影響で最後の一ヶ月間、兄貴に会えなかったけど、忘れた事は一日たりともなかったぞ。

毎日、御先祖様、父ちゃん母ちゃんに兄貴を守ってやってくれってお祈りしていた。

エライ弟だべ(笑)

どうだ?父ちゃん母ちゃんに会えたか?

両親がいるとこに行けたんだから兄貴も寂しくないよな?

今頃みんなでニコニコしながらこちらの世界を見てるんだろうな。

兄貴とは喧嘩も沢山したけど兄貴を思っての事だから悪く思うなよな。

お互いに毎日楽しく暮らせたと思ってるんだけど、

兄貴も楽しく暮らせたと思ってるか?

つまんなかったとか言うなよな、贅沢言うもんじゃないぞ。(笑)

こっちはまだまだ生きなくちゃならないから

俺とケイちゃんの事を「あの世」から見守っていてくれ。

俺がピンチの時は御先祖様、父ちゃん母ちゃんと力を合わせて助けてくれよな。

結構期待してるぞ。(笑)

それじゃまたな。また会える日を楽しみにしてるよ。でもまだ迎えに来るなよな。(笑)

御先祖様、父ちゃん母ちゃんにもよろしくお伝え下さい。

60年間(俺の年齢)ありがとさん。

     兄貴の可愛い弟  〇〇より


食事摂取の中止 19

2022年03月18日 | 兄の介護

兄が介護老人保健施設に入所して1年半は体調も安定していましたが

徐々に嚥下状態が悪化して誤嚥性肺炎を繰り返すようになりました。

キザミ食からミキサー食になり、それもでもむせる・・

肺炎になる度に嚥下は増々悪くなり、食事摂取量も減り

栄養を補助する為に高カロリーのゼリーを食べるようになりました。

太り気味だった兄が見るたびに痩せて行くのが分かります。

車椅子にも座れず寝たきりになりました。

 

そのような状態が半年程続いた頃にはゼリーだけで栄養を摂っていたけれど

そのゼリーでもむせるようになって来て

主治医からゼリー中止の相談を私が受けました。

丁度、洗濯物を届けに行った時の事です。

入所当時から延命治療についても確認があり

胃漏はつくらないと希望は伝えていましたので

その確認を含めてのお話でした。

 

以前から夫とは自分達や兄の終末期についてよく話し合っており

理解できていましたので

「わかりました。それでお願いします。夫には私から話しておきます」と伝えると

主治医は「途中で意見が変わってもいいですよ。その時はまた検討しまししょう」と言って下さいました。

 

帰宅して夫に主治医の話を伝えると

「もう何も食べさせてもらえないのか・・・」と愕然としていました。

食べない・・それは死を意味するのですから

恐らく夫の頭の中は ”摂取中止=餓死” となっていたのでしょう。

それを家族が決断する。

とても辛いことだったでしょう。残酷です。

 

兄は食べる事だけが楽しみでミキサー食も栄養ゼリーも

「うまい、うまい」と言っていましたから。

「胃漏はいらない。口から物が食べられなくなると言う事は寿命だと思うからそれを受けれたい」

自分のことはそう思えても夫は兄に対して

それを決断するのは本当に苦しそうでため息ばかりついていました。

 

私はやはり他人だからでしょうか、淡々としていられる自分に対して

何だか悲しいような寂しいような気持ちになりならが夫にあれこれ話をしました。

福祉職で長く勤めた経験から、胃漏の辛さや延命に対しての実例などを。

 

結論としては、主治医の提案通り、この時から食摂取を中止し

水分補給としての点滴のみとなりました。

 

この記事を書いている時、夫は「兄貴は俺が作った料理をいつも

うまい!うまい!と言ってもりもり食べていた、

その頃の事が走馬灯のように浮かんできて・・・

もう兄貴が食べることが出来ないと思うとあの時は辛かった」と話していました。