食事摂取が中止され水分補給の点滴だけとなった兄。
その頃、コロナが蔓延しており家族と職員さんとの接触も減らす為に
洗濯物も施設対応になり面会の回数も減らされていました。
兄の意識は徐々に朦朧としている様子でしたが
夫が「俺、誰だかわかるか」と聞くと、ちゃんと名前を言っていました。
そのうち、父の名前が突然でてきて驚いたことがあります。
父は夫が小学1年生の夏、突然他界していますが
兄の障がいのことも不憫に思っていたようで
「〇〇の嫁さんは俺が見つけて来てやるからな」と言っていたそうです。
そのことを夫がよく覚えていて話してくれました。
普段、母の名前を言うことがあっても父の名前を兄が口にすることはなく
夫は「父さんが心配して、兄貴を迎えに来ているのかも知れない」と言っていました。
点滴だけになってから2ヶ月
その頃は面会も中止されており、兄にも中々会えなくなっていました。
主治医から「この年末年始に急変する心配がありますので連絡しました」と電話がありました。
その時の正月は心ここにあらずで、どう過ごしたのか二人とも記憶にありません。
兄は結局それから4か月頑張って4月17日に他界しました。
入所して2年3か月でした。
主治医から連絡を受けて施設に二人で行くと
兄は穏やかな顔をしていましたが、さらにやせ細っていました。
思うように面会できずにいたこと、夫は辛かったでしょうが
兄が飲まず食わずで痩せて行く姿をずーっと見ていたらもっと苦しかったと思います。
面会したくても出来ない状態だったのは神様の配慮だったのかと・・
神や仏を強く信じているわけではありませんが、不思議に思うのです。
障がい福祉サービスの利用から介護保険に切り替えて様々な支援を受け
家族として悲しい気持ちになったり憤ったりと色々ありましたが
最後は心のこもった介護を受けながら看取って頂けて感謝の気持ちで一杯でした。
兄の葬儀は夫と私の二人だけで見送りましたが
静かでゆったりと穏やかな気持で兄を送ることができました。
実は母が他界した時、普通の葬儀を行ったのですが夫と二人で悲しむ間もなく
対応に大忙しで、それが四十九日まで続き、体も心もクタクタになり
今後は家族だけでひっそりと葬儀を行うと決めていたのです。
この辺りはまだまだ古いしきたりが残っていて変人扱いされるかも知れませんが
ひと様に迷惑をかけることでなければ、自分達の気持ちに沿って行動したいと思っていました。
長々と兄の介護記録を書きましたが、最後までご覧下さった皆様に感謝いたします。
記事の中の何処か一部分でも、何方かのお役に立てれば幸いです。m(__)m
夫は自分が生まれた時から障がい者の兄がいると言う環境で育ちましたが
兄を嫌うこともなく環境を恨むこともせず、優しい気持ちのまま大人になったようです。
妻の私が言うものおかしな話ですが、この御時世には貴重な存在ですね。
最後に夫が兄に送った手紙を記載させて頂きます。
(兄の棺に入れた手紙です)
よ!兄貴! 64年間の人生、お疲れ様でした!
今年は新型コロナウイルスの影響で最後の一ヶ月間、兄貴に会えなかったけど、忘れた事は一日たりともなかったぞ。
毎日、御先祖様、父ちゃん母ちゃんに兄貴を守ってやってくれってお祈りしていた。
エライ弟だべ(笑)
どうだ?父ちゃん母ちゃんに会えたか?
両親がいるとこに行けたんだから兄貴も寂しくないよな?
今頃みんなでニコニコしながらこちらの世界を見てるんだろうな。
兄貴とは喧嘩も沢山したけど兄貴を思っての事だから悪く思うなよな。
お互いに毎日楽しく暮らせたと思ってるんだけど、
兄貴も楽しく暮らせたと思ってるか?
つまんなかったとか言うなよな、贅沢言うもんじゃないぞ。(笑)
こっちはまだまだ生きなくちゃならないから
俺とケイちゃんの事を「あの世」から見守っていてくれ。
俺がピンチの時は御先祖様、父ちゃん母ちゃんと力を合わせて助けてくれよな。
結構期待してるぞ。(笑)
それじゃまたな。また会える日を楽しみにしてるよ。でもまだ迎えに来るなよな。(笑)
御先祖様、父ちゃん母ちゃんにもよろしくお伝え下さい。
60年間(俺の年齢)ありがとさん。
兄貴の可愛い弟 〇〇より