ケイの闘病や介護録

病気の記録や家族の介護の記録など

兄を見送る 20

2022年03月19日 | 兄の介護

食事摂取が中止され水分補給の点滴だけとなった兄。

その頃、コロナが蔓延しており家族と職員さんとの接触も減らす為に

洗濯物も施設対応になり面会の回数も減らされていました。

 

兄の意識は徐々に朦朧としている様子でしたが

夫が「俺、誰だかわかるか」と聞くと、ちゃんと名前を言っていました。

そのうち、父の名前が突然でてきて驚いたことがあります。

父は夫が小学1年生の夏、突然他界していますが

兄の障がいのことも不憫に思っていたようで

「〇〇の嫁さんは俺が見つけて来てやるからな」と言っていたそうです。

そのことを夫がよく覚えていて話してくれました。

普段、母の名前を言うことがあっても父の名前を兄が口にすることはなく

夫は「父さんが心配して、兄貴を迎えに来ているのかも知れない」と言っていました。

 

点滴だけになってから2ヶ月

その頃は面会も中止されており、兄にも中々会えなくなっていました。

主治医から「この年末年始に急変する心配がありますので連絡しました」と電話がありました。

その時の正月は心ここにあらずで、どう過ごしたのか二人とも記憶にありません。

兄は結局それから4か月頑張って4月17日に他界しました。

入所して2年3か月でした。

主治医から連絡を受けて施設に二人で行くと

兄は穏やかな顔をしていましたが、さらにやせ細っていました。

 

思うように面会できずにいたこと、夫は辛かったでしょうが

兄が飲まず食わずで痩せて行く姿をずーっと見ていたらもっと苦しかったと思います。

面会したくても出来ない状態だったのは神様の配慮だったのかと・・

神や仏を強く信じているわけではありませんが、不思議に思うのです。

 

障がい福祉サービスの利用から介護保険に切り替えて様々な支援を受け

家族として悲しい気持ちになったり憤ったりと色々ありましたが

最後は心のこもった介護を受けながら看取って頂けて感謝の気持ちで一杯でした。

 

兄の葬儀は夫と私の二人だけで見送りましたが

静かでゆったりと穏やかな気持で兄を送ることができました。

実は母が他界した時、普通の葬儀を行ったのですが夫と二人で悲しむ間もなく

対応に大忙しで、それが四十九日まで続き、体も心もクタクタになり

今後は家族だけでひっそりと葬儀を行うと決めていたのです。

この辺りはまだまだ古いしきたりが残っていて変人扱いされるかも知れませんが

ひと様に迷惑をかけることでなければ、自分達の気持ちに沿って行動したいと思っていました。

 

長々と兄の介護記録を書きましたが、最後までご覧下さった皆様に感謝いたします。

記事の中の何処か一部分でも、何方かのお役に立てれば幸いです。m(__)m

 

夫は自分が生まれた時から障がい者の兄がいると言う環境で育ちましたが

兄を嫌うこともなく環境を恨むこともせず、優しい気持ちのまま大人になったようです。

妻の私が言うものおかしな話ですが、この御時世には貴重な存在ですね。

最後に夫が兄に送った手紙を記載させて頂きます。

 

(兄の棺に入れた手紙です)

よ!兄貴! 64年間の人生、お疲れ様でした!

今年は新型コロナウイルスの影響で最後の一ヶ月間、兄貴に会えなかったけど、忘れた事は一日たりともなかったぞ。

毎日、御先祖様、父ちゃん母ちゃんに兄貴を守ってやってくれってお祈りしていた。

エライ弟だべ(笑)

どうだ?父ちゃん母ちゃんに会えたか?

両親がいるとこに行けたんだから兄貴も寂しくないよな?

今頃みんなでニコニコしながらこちらの世界を見てるんだろうな。

兄貴とは喧嘩も沢山したけど兄貴を思っての事だから悪く思うなよな。

お互いに毎日楽しく暮らせたと思ってるんだけど、

兄貴も楽しく暮らせたと思ってるか?

つまんなかったとか言うなよな、贅沢言うもんじゃないぞ。(笑)

こっちはまだまだ生きなくちゃならないから

俺とケイちゃんの事を「あの世」から見守っていてくれ。

俺がピンチの時は御先祖様、父ちゃん母ちゃんと力を合わせて助けてくれよな。

結構期待してるぞ。(笑)

それじゃまたな。また会える日を楽しみにしてるよ。でもまだ迎えに来るなよな。(笑)

御先祖様、父ちゃん母ちゃんにもよろしくお伝え下さい。

60年間(俺の年齢)ありがとさん。

     兄貴の可愛い弟  〇〇より


食事摂取の中止 19

2022年03月18日 | 兄の介護

兄が介護老人保健施設に入所して1年半は体調も安定していましたが

徐々に嚥下状態が悪化して誤嚥性肺炎を繰り返すようになりました。

キザミ食からミキサー食になり、それもでもむせる・・

肺炎になる度に嚥下は増々悪くなり、食事摂取量も減り

栄養を補助する為に高カロリーのゼリーを食べるようになりました。

太り気味だった兄が見るたびに痩せて行くのが分かります。

車椅子にも座れず寝たきりになりました。

 

そのような状態が半年程続いた頃にはゼリーだけで栄養を摂っていたけれど

そのゼリーでもむせるようになって来て

主治医からゼリー中止の相談を私が受けました。

丁度、洗濯物を届けに行った時の事です。

入所当時から延命治療についても確認があり

胃漏はつくらないと希望は伝えていましたので

その確認を含めてのお話でした。

 

以前から夫とは自分達や兄の終末期についてよく話し合っており

理解できていましたので

「わかりました。それでお願いします。夫には私から話しておきます」と伝えると

主治医は「途中で意見が変わってもいいですよ。その時はまた検討しまししょう」と言って下さいました。

 

帰宅して夫に主治医の話を伝えると

「もう何も食べさせてもらえないのか・・・」と愕然としていました。

食べない・・それは死を意味するのですから

恐らく夫の頭の中は ”摂取中止=餓死” となっていたのでしょう。

それを家族が決断する。

とても辛いことだったでしょう。残酷です。

 

兄は食べる事だけが楽しみでミキサー食も栄養ゼリーも

「うまい、うまい」と言っていましたから。

「胃漏はいらない。口から物が食べられなくなると言う事は寿命だと思うからそれを受けれたい」

自分のことはそう思えても夫は兄に対して

それを決断するのは本当に苦しそうでため息ばかりついていました。

 

私はやはり他人だからでしょうか、淡々としていられる自分に対して

何だか悲しいような寂しいような気持ちになりならが夫にあれこれ話をしました。

福祉職で長く勤めた経験から、胃漏の辛さや延命に対しての実例などを。

 

結論としては、主治医の提案通り、この時から食摂取を中止し

水分補給としての点滴のみとなりました。

 

この記事を書いている時、夫は「兄貴は俺が作った料理をいつも

うまい!うまい!と言ってもりもり食べていた、

その頃の事が走馬灯のように浮かんできて・・・

もう兄貴が食べることが出来ないと思うとあの時は辛かった」と話していました。


入所中の減薬 18

2022年03月16日 | 兄の介護

兄は介護老人保健施設の認知症専門棟に入所する事ができました。

介護老人保健施設には常駐の医師がおり

その医師が主治医になり、今までかかっていた病院からは離れます。

診察料も薬の料金も施設の利用料に含まれます。

(余談ですが、値段の高い薬が必要な人は施設側の負担が増えて儲けがへる為

 敬遠されやすいと言う話を聞いたことがあります)

 

入所して間もなく、兄の尿の出がまた悪くなりバルーンカテーテルを入れましたが

他の入所者さんが誤って引っ張らないようにと短い管にして

オムツの中で吸い取るようにしていました。

一人で歩行するには転倒の危険もあり車椅子での生活になっていましたが

落ち着いて過ごしている様子でした。

 

暫くすると、主治医から薬を減らしてみたいと話がありました。

「こんなに沢山の薬を飲んでいると、重い鎧を付けて体をがんじがらめにしているのと同じで

 気の毒だから、薬を減らして体の動きを楽にしてあげたい」と、おっしゃる。

家族としては、薬を減らすと兄の感情の起伏が激しくなり時には暴力的になるし

職員さんに迷惑をかけることになると説明しましたが

主治医は「職員は大丈夫です。慣れっこですし。それが仕事ですから」と。

結局は主治医にお任せすることにしました。

3週間後、主治医から「いや~さすがに専門の先生が調整しただけのことはありますね。

 挑戦してみましたが、薬を戻させてもらいました」と言われましたが

兄のことを思って試して下さったわけですから

「お手数をおかけしました。ありがとうございました。」と伝えました。

 

面会は週に2回、一度は私が一人で行き、もう一度は夫と二人で行きました。

洗濯物は家族対応を希望し面会の時に自宅で洗った物と交換です。

(施設での洗濯は別料金になります)

兄も安定した生活が入所から1年半続きました。


障がい者ゆえの介護難民 17

2022年03月15日 | 兄の介護

兄の入所申し込みをした施設は

認知症専門棟のある介護老人保健施設2か所と

普通の介護老人保健施設2か所の合計4施設でした。

申し込みに行った時、既往歴や現在の介護状態や身体機能レベル、

認知機能レベルなどを用紙に記入し提出。

相談員さんがさらに聞き取りならが追記されていました。

全ての施設で同じ対応でした。

この時、私が入所の可能性を感じられたのは

認知証専門棟のある老人保健施設と普通の老人保健施設、それぞれ1施設づつ。

認知証専門棟のある施設は「受け入れできるか検討してみます」

もう一つの施設は「早くて1ヶ月、2か月もあれば入所可能です」との事。

後の2施設は「空きが出るのがいつか分からないので、またこちらから連絡します」

そう言われましたが、お断りって事です。

念の為に私が「認定結果が出たら介護度をお知らせした方が良いですよね」

と、尋ねると「いえ、いいです」と言われましたから。(^^;

 

申し込み後に要介護4の認定結果が出たので

入所の可能性を感じた2施設に介護度を伝えました。

しばらくして認知症専門棟のある施設の相談員さんから

「うちでは対応が難しいと思うのです」と、やんわりお断りの電話。

慌てて、1~2か月で入所可能と言っていた施設に電話すると

「いつ空きが出るかわかりません」と手のひら返し・・やられたって感じです。

これが噂の介護難民!!

明かに精神障がい者ゆえの介護難民でした。

 

障がい者の施設から追い出され、介護保険施設からはじかれて

先が見えない状態に不安で一杯でした。

他の施設を当たっても答えは同じでしょうから。

ここは何とか頑張ってお願いしてみるしかないと藁をもすがる気持ちで

一度は真摯に検討して下さった認知症専門棟のある施設に再度相談。

障がい者施設でも介護保険施設でも受け入れてもらえない状況も説明しました。

相談員さんはしっかり話を聞いてくれて「医師に相談してみます」と言ってくれました。

(書き忘れましたが介護老人保健施設には専属の医師がいます)

それから二日後に直接先生(医師)から電話があり

「以前、精神障がいの人を受け入れた事があるのですが、対応が難しくて

ダメだったんですよ、専門の所でみてもらった方が良いですよ」とおっしゃるので

兄が高齢になっている事と身体機能レベルが低下している事で障がい者の施設も出されて

受け入れてもらえないことや他の介護施設からも断られたことを説明し

「兄が何処にも受け入れてもらえなくて困っているんです」と訴えました。

先生は「しばらく職員と相談させて下さい」と、話が終わりました。

そして次の日、相談員さんから入所可能の連絡を頂きました。

ありがたくて、ありがたくて、感謝してもしきれない程の気持ちでした。

 

私が兄の介護記録をブログに書こうと思ったのは

今年の2月21日の読売新聞の記事に

”グループホーム障害者高齢化” の記事を目にした事がきっかけです。

”「体力の低下」「通院が増えた」「介護の必要が増した」などの問題点から

住環境を改善したり職員がケアの専門性を身に着ける事が重要。” 

と記載されていましたが、私からすると何故?と疑問でした。

それって介護保険での対応でしょ?それを障がい福祉で行うの?

入所先を替わるのは本人も家族も負担だけれど

若い人から高齢者までを看るのは大変過ぎると思う・・

オールマイティーな職員さんを求めるには無理があると思う・・

(これは、私の個人的な意見で色々な考えがあることは承知しています)

 

また、この新聞記事の最後にこう書かれていました。

”障害者のグループホームで介護サービスを使えることを十分に理解してない所もある。

介護事業所側も受け入れを門前払いする傾向が強いと言う”

 

私は「障がい者が介護保険を利用できると知らない?」

「グループホームの職員さんが?」・・・と、知識不足に驚きました。

まだまだこんな状況なんだ・・・と、がっかりすると同時に

私達の体験が何方かのお役に立てばとの思いからブログを書き始めた次第です。

私達が陥った介護難民が一人でも少なくなるようにと願いながら・・・

 

兄の介護記録はあと少し続きます。


障がい福祉から介護保険へ 16

2022年03月14日 | 兄の介護

兄が障がい福祉施設に入所できなくなり

担当の相談支援専門員さんに相談しました。

近くに施設はないし仮に遠くで施設が見つかったとしても

65才になると介護保険への切り替えで4年後にはまた

施設探しをしなければならないと言う問題があります。

それに、遠くの障がい福祉施設に入所すると

兄が体調不良で入院になった場合

その施設の近くの病院に入院する事になる可能性が高く

家族が対応するにも負担が大きくなります。

この頃、私はうつ病でまだ辛い時期だったので

遠くの施設や病院・・・と想像するだけで不安が募りました。

 

兄の精神科の主治医は判断力の低下について

「精神疾患と言うよりに認知証と言うべきかも知れませんね」

と、言っていました。

介護保険は特定疾病であれば40才~64才でも認定を受ける事が出来ます。

主治医の話からすると兄は特定疾病の中の

”初老期における認知症” に該当し申請可能はずです。

そこで主治医に相談し承諾が得られれば

これを機に介護保険の申請を行い

介護保険施設の入所を検討した方が良いと言う結論になりました。

 

病院のケースワーカーさんに状況報告と介護保険認定申請について

相談した所「その方がいいですね」と同意して下さり

主治医にはケースワーカーさんから先に説明して頂けることになりました。

後日、私が主治医に合った時にはすぐに認定に必要な意見書を

”初老期における認知症” として書いて下さったので

すぐに市役所で認定申請手続きを行いました。

 

病院で認定調査を受け、結果が出るまでに施設を駆け巡り

状況説明し入所申し込みを行いました。

兄の入所先に選んだのは認知症専門棟のある介護老人保健施設です。

老人保健施設は病院から在宅に向けての中間施設となっている為に

本来の入所期間は3か月です。

実際は特別養護老人ホーム待ちで利用している方が多く

2~3か所の老人保健施設を転々とするケースが殆どですが

認知症専門棟では生活の場所が変わる事で症状が悪化する事を防止する為に

入所から看取りまで行います。

なので第一希望は認知症専門棟の老人保健施設

第二希望は普通の老人保健施設でした。

3か月でローテーションしているので早く空きが出て

入所が期待できますから。

入所しておいて特別養護老人ホーム待ちと言う予定です。

とにかく早く入所先を決める事が先決なので

グループホームと特別養護老人ホームは今回、除外でした。