合気道 真風会のブログ

合気道の当身技。

稽古開始前、小学生のI君にマンツーマンで受身などを一通り練習させた後、I君が少し飽きてきたようなので、趣向を変えて、I君が好きなパンチやキック主体の日本拳法道式の突き蹴りを教えてみました。

基本の構え、フォーム、力の抜き方、入れ方などを簡単に教え、左右の、突き、直蹴り、中段回し蹴りを数十本ずつ反復練習させたのち、私のボディー相手に打たせてみると、子供でも結構威力があります。

今のうちから練習させたら中々良くなりそうです。

合気道と当身技(あてみわざ)は、別物のようですが、そうではありません。(*注意 当身技=打撃技の事)

合気道の開祖、植芝盛平翁先生は「実戦における合気道は、当身が七分、投げが三分。」と言っておられ,当身技を重要視されていたそうです。

また、実戦合気道として名高い、養神館合気道の創始者、塩田剛三先生も著書”合気道修行”の中で次のように述べられています。

「(実戦は当身七分に対して)
私の体験から言っても、まさにそのとおりだと思います。
それなら、関節技はどうなるのか、と問い返されそうですが、たとえば酔っ払いにからまれたとかいう場合なら、関節技で制圧した方がいいケースもあるでしょう。
しかし、死ぬか生きるかというような状況に身をさらした場合や、多勢を相手にした場合などは、一瞬の勝負になりますので、当身や瞬間的な投げじゃないと身を守り切れません。
逆に言えば合気道の本質はそういうギリギリの闘いにおいて発揮されると言ってもいいでしょう。
さて、当身といっても、合気道の場合は拳や蹴りなどにこだわりません。
体中いたるところが当身の武器になります。
演武会で、私がよく、突進してくる相手を背中で弾き返したり、すれ違いざまに肩で相手を吹っ飛ばしたりするのをごらんになった方もいるかと思います。
ああいうふうに、触れたところがそのまま当身となるわけです。
これは、相手の攻撃をよけてから反撃するのではなく、逆にその攻撃の中に入っていくことによって可能となる技です。
といっても、ただやみくもに体を相手にぶつければいいのではなく、そこに体全体から発する力を集中させなければなりません。
体中どこにでも自在にこの力(集中力)を発揮させることによって、合気道本来の完全に自由な闘い方が可能になるわけです。
また、こういった瞬間の攻撃の場合、もはや当身とも投げとも区別できないようになることがあります。
しかし、そんなことはどうでもいいのであって、とにかく相手が崩れればそれでいいわけです。
形をいくら区別してもしようがありません。
         塩田剛三先生著”合気道修行”より引用」

このように、合気道の当身について説かれています。


また、少し古い本ですが、日本伝合気柔術の鶴山晃瑞先生著”図解コーチ 合気道”(昭和50年発行)では次のような記述があります。

(*注意 柔(やわら)=合気道の前身の柔術のことだと思います。ここでは合気道と同意味にとっても良いでしょう。)

「(”当技について”の項より)
現在の学生合気道のあいだには、「やわら」として当然必要とされる「当身」が付随しない体技が普及している。
「当身」と言っても、柔(やわら)と空手ではその目的と方法論において異なる。
空手は一撃破壊が究極目的の打撃法であることに対し、柔の当身は相手の攻撃意欲を押えることにある。
合気道の当身の目的を掲げてみると、
1 相手の気をそらす為。
2 つかんだ手、腕等の軟骨や筋肉に刺激をあたえる為。
3 相手の機先を制する為。
4 防護体をとる為。
等となる。
合気武道に当身を使わない場合は、武術であることを放棄したものとみて差し支えない。
以下、合気武道の当身についてふれる。

中略
(”合気武道の当身”の項で)
当ては「仮当」と「本当」の二種に分けられる。
一般論としては、当身というと、空手道の当身と混同した解釈がとられている。
とくに古い柔道の解説本には、この当身が特に混同されている。
ところが、「やわら」の「当」と空手道の「当」とは、考え方が根本から違っている。
空手道の「当身」は日本伝統古武術の「仮当」と「本当」の中間を狙ったもので、目的も、狙いもまったく異なっている。
これから合気武道を研究される方は、まず、このことを理解しておく必要がある。

中略
(”当身に使われる各部”の項で)
次項の図は合気武道で当身に使われる主たる使用部分である。
一見この図は、空手と似た形態に見えるが、一撃破壊の空手術とは、合気武道の基本技法は、その使用法が違う。
空手は、「突き」、「打ち」、「当て」、「蹴り」の攻め技が主体となることに対し、合気武道では、「やわら」で極めるまでの崩しが目的となっている。
鶴山晃瑞先生著”図解コーチ 合気道”より引用」

以上の事から、合気武道における当身技のイメージが掴めたかと思います。

武術合気道に当身技は必要不可欠です。

京築合気道研究会は、日本拳法道を応用した合気道における当身技の指導も今後行っていく予定です。

(”京築合気道研究会”は2007年1月13日より、道場名を”合気道 真風会”へ変更致しました。)

 

【ホームページ】

「合気道 真風会 オフィシャルサイト」


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コメント一覧

上土井
>Reおっくんさん
ありがとうございます。
空手道を修行されている方から、このようなコメントいただけて光栄です。
私達はまだまだ未熟ですが、これからも宜しくおねがいします。
おっくん
当身について
当身って日常生活レベルで実用的だと思います。

僕は松濤館流とかいう全然関係ないトコロですが、空間の広さや接地面の状態を考えると、現代社会において空手という体術は物凄く不利です。

もちろん実際喧嘩するわけではないけれど、合気道の当身に代表されるような抜くタイミング、軸、筋肉の使い方等は、松濤館流も見習って然るべきなんじゃないかなぁ。

関節極めてラクして勝ち上がろうみたいな思考回路の方々が、どの体術においても入門者レベルに極めて多いのは事実として在るかと思います。
実際関節なんて極めてる余裕ないですからね。反撃のリスクが潜在しているので極めて危険だと思っていますし、僕なら投げ返します。

そんな中でこの記事!当身の重要性について簡潔に述べられていて、僕のモヤモヤした気持ちが晴れたように感じました。


全然関係ない流派からの投稿、大変失礼いたしました!
ありがとうございます
上土井先生

ありがとうございます。
私の道場の道場長先生も、上土井先生のお考えと近いものをもってらっしゃるようです。

従い、こちらのブログを拝見させて戴くのもとても勉強になります。

また、黒帯研究会も斬新な発想で稽古されており、本当に素晴らしいと思いました。
通常、このような形式の稽古は、単に安易に実践ではどうなのか?といった部分に集中しがちですが、基本理念を忘れずに取り組まれておられて、感銘致しました。

今後も宜しくお願い致します。

敬具
上土井
>Re丁那豪さん
丁那豪さん、お久しぶりです。
大変素晴らしい稽古をされていますね。
私達も、多くの失敗も繰り返しながらですが、思考錯誤を重ねております。
合気道の武術としての強さを追求していきたいと思っています。
これからも共に精進していきましょうね!
丁那豪
本年も宜しくお願い致します。
上土井先生

大変ご無沙汰しております。
本年も宜しくお願い致します。

さて、先日の稽古に於いて、顔面突への呼吸投を稽古しました。
取りが顔面にパンチを打ってくるのを、そのまま手頚を取ると同時に内転換で懐に素早く入り、アゴに下から当て身を当てつつ、瞬時に肘を突き上げて真下に投げを打つものです。

塩田先生の言われた、当て身と投げとの混合的な技であるなと思うと同時に、柔道の一本背負投と比べて、体が密着しないので、とても実践的と感じた次第です。

今年も、当て身の重要性を念頭に置きながら、合気道稽古に精進して参りたいと思います。

敬具
上土井
>Re丁那豪さん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
共感頂けて嬉しいです。
まだまだ未完成ですが、理想の合気道を目指し努力して行きたいと思っています。
ありがとうございました。
丁那豪
当身技の重要性
はじめまして。
今回、偶々当身技を重要視されている先生のお考えを拝見し、素晴らしいと感じました。

昨日、諸手取呼吸法をミッチリ稽古し、その際、道場長先生より、肘を取りの顎に当てるつもりで大きく入る様に指導され非常に納得いくものでした。

日本拳法も、元は柔道の当身を独立させたものと聞いております。

合気道への応用は、非常に興味深く感じます。

敬具

上土井
>Re 合気道さん
コメントありがとうございます。
私は最強については、「何の格闘技・武術」が、と言うよりも、その「人」が、だと思っています。
しかし、植芝盛平翁先生、藤平光一先生、塩田剛三先生など、他武道の人たちからも実力を認められた偉大な合気道家達に合気道ロマンを感じ、日々稽古に励んでいます。
「合気道さん」と、表現の仕方は違いますが、「合気道は奥深い可能性を秘めた、素晴らしい武道です。」と胸を張って言いたい点では同感です。
合気道
合気道こそ最強である。
これを否定するものにまともな論客はいない(障害のありそうな奴が混じっていることさえある)から、まともに相手にする必要はない
上土井
>Re DKさん
http://blog.goo.ne.jp/keitiku_aikidou
”遠当て”は新体道の創始者青木宏之先生をテレビで観たことがあります。以前DKさん、ヒロユキさんと一緒に行った、浦田絋司先生の”空の会”では、受ける側も気持ちの上で抵抗などせずに素直に”相手の意識”を受け止めようとすることが大前提の上に、お互いの意識が同調し、似たような現象が起こることは目の当たりにしました。”遠当て”も同じ現象なのかどうかはわかりません。受ける人が抵抗しても起こる現象なら、別物だと思います。体験してみたいですね。
DK
昔の武術で遠当ての技があったと聞きますが、これは今で言う意識による力なのでしょうか?
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