本当に突然のことで、まだ心の整理がついていないのですが、
2011/08/19に我が家の5男坊、秀吉が虹の橋を渡ってしまいました。
3歳11ヶ月でした。
たった4年足らずで逝ってしまいました。
亡くなる2日前の朝、いつもなら一番最初にご飯を食べ終わる秀吉が、
一番最後までご飯を食べていました。
暑い日が続いていたので、夏バテしたのかなと思っていました。
その日、仕事から帰ると秀吉はご飯を全て吐いていました。
水も補充して行ったハズなのに、空っぽになっていました。
水を補充すると、すさまじい勢いで2リットルのペットボトルを
飲み干しました。
そして全て吐きだしました。
胃腸を落ち着けるため、その晩は絶食しました。
他のワンコ達がご飯を食べているとき、自分だけ食べれないことに
不思議そうな顔をしていましたが、欲しがることはありませんでした。
亡くなる前日も元気がなく、食欲もありませんでした。
木曜日だったので、週末まで体調が悪ければ、病院へ連れて行こうと
思っていました。
その日の夜、私は子供を寝かしつけながら一緒に寝てしまったので、
パパがワンコ達をケージへ入れ、ご飯をあげました。
秀吉は、相変わらず体調が悪かったので、絶食したようです。
次の日の朝、隔離生活中の龍馬のトイレを済ませ、
他のワンコ達をケージから出しました。
秀吉のケージを開けても、秀吉は動きませんでした。
声をかけましたが反応がありません。
秀吉に触れると、秀吉は静かに息を引き取っていました。
パパがワンコ達をケージに入れた1時半過ぎから、
私が起床した5時半過ぎの4時間足らずの間に秀吉は一人で逝ってしまいました。
寝ているのかと見間違うほど、綺麗な顔でした。
秀吉には我慢ばかりさせていました。
我が家へやってきた時から5ワンコの大所帯で、愛情を独り占めしたことは
ありませんでした。
体格が大きいので、他のワンコと同じようにはしゃいでも一人だけ
怒られたり、他のワンコと同じように吠えても一人だけ怒られたりしました。
他のワンコにじゃれていき、体格差から本気で切れられたりしました。
最後の1年は、子供が産まれ、別室生活を強いられました。
もっと早く病院へ連れて行ってあげればよかった。
もっと色々な所へ連れて行ってあげればよかった。
もっと愛情を注いであげればよかった。
うちじゃない方が幸せだったかもしれない。
うちじゃなければもっと長く楽しく生きられたかもしれない。
「たら」「れば」の話をしても仕方がないのですが、
後悔ばかりです。
けど、パソコンの中には、笑顔の秀吉の写真が何十枚と残っていました。
これらの写真の秀吉を見ると、幸せを感じていてくれたのかなと思います。
この笑顔を見ることは、もうできないけれど、虹の橋の向こうで
思う存分走り回ってくれるといいなと感じています。