予め皆様にご案内いたしますが、大抵のあたしのブログは掃きだめみたいなもので、ぶつぶつと独り言を書いているようなものですが、今回のエントリに関してはいろいろとマイナスな言葉が出てくるものと思われます。
つきましては「かようなエントリなど読みたくないわい」とおっしゃる方は、「続きを読む」はクリックなさいませんよう、予めご案内いたしておきます。
といってもそんなに大したことは書いてはいないとは思いますが、ちょっとはマイナスなことも書きますよ、それをご承知の方のみ、「続きを読む」からご覧いただきたく存じます。
え~。
1月もあっという間に15日を迎えてしまいまして、この10日ほどろくすっぽ何が起こったかまるで記憶がない小馬太郎兵衛ですこなさんみんばんは。
ようやくインフルエンザ渦からは抜け出せそうな気がしますが、どうでしょう…。
さて、今年も1月15日。
1999年までは今日が成人の日と制定されており、昭和50年代中盤あたりの皆様は、この日が各地で成人式。
成人式や、今では成人の制定が二十歳ではなく18歳と制定されており、今では各地で「二十歳の集い」などと名前を変えて行われておりますね。
今年の成人の日は1月13日。
これは2000年から制定されたいわゆる「ハッピーマンデー制度」で、一部の祝日を週末にくっつけるように制定させることにより連休を増やし、国内の余暇需要の引き上げを狙った制度が始まったことにより、成人の日が1月第2日曜日、体育の日が10月10日から10月第2月曜日に移動する制度が始まると、海の日やら山の日やら、果ては敬老の日までいろいろと動き、よくわからないカレンダーになって四半世紀が立っているのに、未だに混乱をしているおっさんです(´・ω・`)
さて、2000年から1月第2月曜日と制定された成人の日。
その昔は1月15日。余談ですがこれは10月10日と同じく晴れの特異日と言われていたのは、今や昔ですね。
30年前の1月15日。
1995年1月15日ですね。
実は僕にも成人式があったんですw
あったんですが。
本当にほぼほぼ記憶にございません。
あの頃は、前年1994年10月ころから始まったぜんそくの発作に絡むと思われる体調不良がずーっと尾を引いておりまして11月後半から微熱を出したり戻ったりという体調。
その中で年末12月30日くらいから熱発が納まらず、年越しで熱発したまま。
上がったり下がったりを繰り返したのだとは思いますが、とにかく体調が全く安定しない。
もちろん、年末にも熱発した状態で病院に担ぎ込まれたりはしたのですが、ぜんそくもあまりおさまらず熱も下がらない。
で、あれは1月5日くらいかな。
ようやく病院が一般診療を開始したというところで、朝一番に出かけて、レントゲンを撮って出た結論が、喘息からくる気管支炎だったのでした。
普通、熱が出っぱなしだったら入院の一つでもさせてもらえそうなものだったのですが、当時は19歳、20歳という年齢もあったのでしょう。
投薬と点滴でよくなるということで、そこから成人式まで10日。
当時専門学校生だったのですが、当然通えるわけもなく、始業式から欠席が続いておりました。
こんな状態で、なんとか熱が微熱くらいまで下がって来たのが15日。
とりあえず真っ青な顔をしながらスーツを着込んで、実家は千葉県八千代市だったものですから、真っ青な顔をしながら、なんとかかんとか八千代市民会館の成人式には出向きました。
出向きましたが、こんな病弱な態勢なものですから、「よう!久しぶり!」なんて絡んでこられるのがまた本当に困っちゃう。
ありがたいことに中学校の同級生から酒飲みにいこうやと何人からも誘われたのですが、なにせ病み上がりも病み上がり。
学校が連休明け(1月16日は月曜日で成人の日の振り替え休日だった)17日からなんとか出なけりゃいかん…ということで、宴席も泣く泣く断らざるを得ませんでした。
みんないいなあ。
絶対に熱でなさそうだもんなあ…。
…まあ今だったら「アルコール消毒すっぺ」の一択でしょうがw
晴れ着姿で皆がお祝いムードできゃっぴきゃぴしていたところに背をもたげながら、未だに襲い来る喘息のヒューヒューという発作にメプチンエアーをシューシュー吸いながら帰宅し、明日も休めば1月17日から晴れて登校再開…という、体調的には本当にギリギリの状態でした。
そして来る1月17日から、学校のある高田馬場…というより学習院下までの登校を再開したのですが…。。。
その日の朝に何が発生したかは、申し上げるまでもないと思います。
一生に一度の成人式を全く楽しめなかったのは、今でも正直心の中に傷として残ってますね。
でもこれも運命なのであって、もしかしたらもう少し適正な治療を受けていれば、年越し熱発5日間などということはなかったのではなかったかなと。
もう少し医療に対して向き合ってもよかったのかな。
そうすれば、成人式の頃には回復していたのではないかと思うのです。
なにせ、同窓会なんてそうそう行われるものではありませんから。
若い皆さんは、これからも健康に留意して、病気などをお召しになって、二度とこないイベントを泣く泣くキャンセルなどということがございませんよう、成人式を2回半回ってしまった老兵が言い残します。
思えば、人生をこじらせる原因はもともとはこの頃から既にあったのだと思う他ありませんな。
こんな戯言にお付き合いしてくださいましてありがとうございました。
つきましては「かようなエントリなど読みたくないわい」とおっしゃる方は、「続きを読む」はクリックなさいませんよう、予めご案内いたしておきます。
といってもそんなに大したことは書いてはいないとは思いますが、ちょっとはマイナスなことも書きますよ、それをご承知の方のみ、「続きを読む」からご覧いただきたく存じます。
え~。
1月もあっという間に15日を迎えてしまいまして、この10日ほどろくすっぽ何が起こったかまるで記憶がない小馬太郎兵衛ですこなさんみんばんは。
ようやくインフルエンザ渦からは抜け出せそうな気がしますが、どうでしょう…。
さて、今年も1月15日。
1999年までは今日が成人の日と制定されており、昭和50年代中盤あたりの皆様は、この日が各地で成人式。
成人式や、今では成人の制定が二十歳ではなく18歳と制定されており、今では各地で「二十歳の集い」などと名前を変えて行われておりますね。
今年の成人の日は1月13日。
これは2000年から制定されたいわゆる「ハッピーマンデー制度」で、一部の祝日を週末にくっつけるように制定させることにより連休を増やし、国内の余暇需要の引き上げを狙った制度が始まったことにより、成人の日が1月第2日曜日、体育の日が10月10日から10月第2月曜日に移動する制度が始まると、海の日やら山の日やら、果ては敬老の日までいろいろと動き、よくわからないカレンダーになって四半世紀が立っているのに、未だに混乱をしているおっさんです(´・ω・`)
さて、2000年から1月第2月曜日と制定された成人の日。
その昔は1月15日。余談ですがこれは10月10日と同じく晴れの特異日と言われていたのは、今や昔ですね。
30年前の1月15日。
1995年1月15日ですね。
実は僕にも成人式があったんですw
あったんですが。
本当にほぼほぼ記憶にございません。
あの頃は、前年1994年10月ころから始まったぜんそくの発作に絡むと思われる体調不良がずーっと尾を引いておりまして11月後半から微熱を出したり戻ったりという体調。
その中で年末12月30日くらいから熱発が納まらず、年越しで熱発したまま。
上がったり下がったりを繰り返したのだとは思いますが、とにかく体調が全く安定しない。
もちろん、年末にも熱発した状態で病院に担ぎ込まれたりはしたのですが、ぜんそくもあまりおさまらず熱も下がらない。
で、あれは1月5日くらいかな。
ようやく病院が一般診療を開始したというところで、朝一番に出かけて、レントゲンを撮って出た結論が、喘息からくる気管支炎だったのでした。
普通、熱が出っぱなしだったら入院の一つでもさせてもらえそうなものだったのですが、当時は19歳、20歳という年齢もあったのでしょう。
投薬と点滴でよくなるということで、そこから成人式まで10日。
当時専門学校生だったのですが、当然通えるわけもなく、始業式から欠席が続いておりました。
こんな状態で、なんとか熱が微熱くらいまで下がって来たのが15日。
とりあえず真っ青な顔をしながらスーツを着込んで、実家は千葉県八千代市だったものですから、真っ青な顔をしながら、なんとかかんとか八千代市民会館の成人式には出向きました。
出向きましたが、こんな病弱な態勢なものですから、「よう!久しぶり!」なんて絡んでこられるのがまた本当に困っちゃう。
ありがたいことに中学校の同級生から酒飲みにいこうやと何人からも誘われたのですが、なにせ病み上がりも病み上がり。
学校が連休明け(1月16日は月曜日で成人の日の振り替え休日だった)17日からなんとか出なけりゃいかん…ということで、宴席も泣く泣く断らざるを得ませんでした。
みんないいなあ。
絶対に熱でなさそうだもんなあ…。
…まあ今だったら「アルコール消毒すっぺ」の一択でしょうがw
晴れ着姿で皆がお祝いムードできゃっぴきゃぴしていたところに背をもたげながら、未だに襲い来る喘息のヒューヒューという発作にメプチンエアーをシューシュー吸いながら帰宅し、明日も休めば1月17日から晴れて登校再開…という、体調的には本当にギリギリの状態でした。
そして来る1月17日から、学校のある高田馬場…というより学習院下までの登校を再開したのですが…。。。
その日の朝に何が発生したかは、申し上げるまでもないと思います。
一生に一度の成人式を全く楽しめなかったのは、今でも正直心の中に傷として残ってますね。
でもこれも運命なのであって、もしかしたらもう少し適正な治療を受けていれば、年越し熱発5日間などということはなかったのではなかったかなと。
もう少し医療に対して向き合ってもよかったのかな。
そうすれば、成人式の頃には回復していたのではないかと思うのです。
なにせ、同窓会なんてそうそう行われるものではありませんから。
若い皆さんは、これからも健康に留意して、病気などをお召しになって、二度とこないイベントを泣く泣くキャンセルなどということがございませんよう、成人式を2回半回ってしまった老兵が言い残します。
思えば、人生をこじらせる原因はもともとはこの頃から既にあったのだと思う他ありませんな。
こんな戯言にお付き合いしてくださいましてありがとうございました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます