小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

本日の衝動買い

2008-02-06 01:22:52 | Weblog
阪急電車
有川 浩
幻冬舎

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このタイトルを見ちゃったら、やっぱり買わないとダメでしょ。

いやあ…。
久々に、おいらのど真ん中にストレートに来た本に出会った気分。
どれくらいど真ん中のストレートだったかというと、長州力に「何がやりたいんじゃコラァ!!」といいつつリキラリアットを真っ正面から食らい、「何コラタココラ!!」と叫びつつサソリ固めを食らい、必死にロープに逃れようとするものの、ロープ前30センチで無念のタップをするような感じですか←全然意味わかんねーよ

元宝塚市民、いやさ、元阪急今津線沿線住民としては、この本がど真ん中を貫かないはずがない。うちの読者で今津線沿線の住人というと、指折り数えられるくらいに数が限られてくるが、なんせ今津線沿線が舞台というだけでもうツボですよ。
あとがきで著者が漏らしているのだが、著者自体が阪急今津線沿線、おそらくは小説が売れてかなり稼いでおられるのだろうから、甲東園か小林、或いは逆瀬川の山の手にお住まいのことと勝手に見立てているのだが(笑)、そのせいもあって、とにかく沿線の描写がやたらめったと詳しすぎる!!
各駅の情景が手に取るように描かれており、20年前住んでいたおいらの街が、脳裏にぱーっと脳内のキャンバスに広がった。
そう、阪急今津線は、おいらにとっては第3の故郷へ誘う路線なのだ。

阪急梅田駅から特急で二駅、西宮北口で、6両編成の今津線に乗り換える。
甲東園を過ぎて40パーミルの急勾配を勢いを付けて登って、切り通しを越えて仁川を渡り宝塚市内へ入ると、いつ来ても「帰ってきたな」と思うもの。
仁川からは地元の駅まで一駅。右手には阪神競馬場、左手には住宅街の中に大きな池が現れる。今でこそ建物全体が屋根で覆われている感じの建物になった阪神競馬場も、おいらが住んでいた頃はスタンド改築前で、それでも競馬場のコースとスタンドの存在感は抜群だったが、スタンドは今より小振りな3階建ての吹きっさらしのスタンドだった。
仁川も、その先の逆瀬川駅の先で渡る逆瀬川も、東側で武庫川に注ぐ。
宝塚南口を過ぎると、二つの川の源の武庫川を渡ると左へ急カーブ。左手には宝塚の歌劇場、右手には…、20年前には宝塚ファミリーランドが、家族の歓声をこだまさせていたが、今ではファミリーランドも閉園してしまい、跡地はどうなったのだろう。ファミリーランドが閉園してから、逆瀬川以北の今津線には乗っていないので、生憎とわからない。
歌劇場を過ぎると、すぐに終点の宝塚駅だが、この駅周辺も、20年前とは大きく変わった。
駅前には巨大なマンションがいくつも建ち並び、なにより駅自体が高架化され、大きくなった。

この小説…というか、仕立て自体はショートストーリーの恋愛模様が各駅毎に続くという、これまた面白い形態の恋愛小説なのだが、この小説の冒頭にも出てくる、宝塚から阪急宝塚線で一駅、清荒神駅前にある、宝塚市立図書館(今は分館ができているのかな?)は、おいらも住んでいた頃は、きっちり2週間毎に通っていたものだ。
思えば、あの図書館で「鉄道ジャーナル」と、「種村直樹の汽車旅相談室」に出会っていなかったら、おいらは今頃、こんな人間にはなっていなかっただろう。おいらが今書いているこの文章もそうだけれど、この文章力は、間違いなくこの頃に鉄道ジャーナルや種村直樹の各著書をむさぼり読んで鍛えられた賜物、或いは弊害ともいう(笑)。

宝塚には、小学校5年の冬から中学1年生までしかいなかったから、生憎と、この地で甘いか苦いかも分からぬ恋愛を経験したことはない。まあ、今思えば「それらしいような」動きがなかったとも言えなくもなさそうな気がしないでもないが、小学生時分のませガキに、恋だの愛だのなんて言ったって、分かるはずもないでしょうが。
もしあの地で、一つの恋が成就していたら、おいらは果たしてどこにデートに出かけていたのだろうか。
クルマの免許を持っていたら、やっぱり夜景を眺めに、逆瀬川から西へ進んで六甲山へ登っていただろうか。武庫山おろしは、おいら達に辛く当たったりはしなかっただろうか(笑)。
悔しいかな、関西圏での生活経験はあっても、こうしたデートスポットなどの類には全く縁がない年頃だったから、そうした情報に疎いのは少々悔やまれる。
俺がもし、小説の登場人物のように、十代後半から二十代中盤の頃に彼の地に住んでいたとしたら、どのようなデートコースを組み立てていただろう?

今となっては…?
鋸山か筑波山か?
或いはちょいと湾岸線を走って横浜まで出かけて、ランドマークタワーか港の見える丘公園か?
今はAPAホテルになった幕張プリンスホテルの最上階のバーという手もあるのだが、それは誰あろうニンニン大先生が使った手なのでもう使えないなこりゃ。

思えば宝塚は、今となっては体験しようにも体験しづらい、貴重な経験が出来た土地である。
なにせ、近所の家のクルマがみんなベンツかBMWなんてー生活は、世田谷辺りに住まなければなかなか体験できないことかと。
近所の子の家に遊びに行き、そいつのお母さんだと思って挨拶したら家政婦さんだったなんて、子供心にどれだけショックを受けるやら(笑)。
小学校ではクラスの話題はテレビでもラジオでもなく、専ら進学塾と私立受験の話、私立受験当たり前、ベンツで塾に送り迎え当たり前(これは宝塚より、英語塾に通っていた芦屋が凄かった)の世界にいれば、子供ながらにバランス感覚が狂ってくるのは当たり前で、そんなクラスの話題の中で、友達と阪急ブレーブスに入れ込んだりする俺達が、学校で落ちこぼれるのもむべなるかなとww。

正直、宝塚にはいい思い出より悪い思い出の方が山盛りなのは確かだけれど、たとえネット上とはいえ、20年の時を越えて同窓生とおつきあいが持てるということもあるのだし、おいらの人間形成上、この街の存在は如何とも無視しがたい。
庶民の生活も、ハイソな生活も、両方体験させてくれた街。

おいらは、そんな、♪み~ど~り~の~ま~ちの~ た~か~らづ~か~♪が、大好きです。
出来ることなら一日かけて、もう一度、市内をくまなく歩き回ってみたいです。
クルマで巡ってもいいなあ…。

ちなみに、「恋愛小説」のカテゴリに入る本を読んだのは、これが初めてだということは、ここだけの内緒だww




  

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2 コメント

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亀井京子アナも・・・ (MM723線)
2008-02-06 03:20:48
確かテレビ東京の亀井京子アナは宝塚出身で、通学に今津線を使ってましたね。
また、同大橋美歩アナは神戸線でした。

亀井アナは3月で結婚退社し、ウイニング競馬の後任は繁田美貴(はんだみき~女子プロレスラーにもいましたが)アナになる可能性もあります。
http://ablog.tv-tokyo.co.jp/handa07/index.cgi?pid=1

南下すれば、清水直行投手が住んでいた武庫川団地も・・・(実)
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あの辺は (小馬太郎兵衛)
2008-02-06 10:39:22
ハイソな街並みだけに、有名人も多く住んでいますね。

山本太郎って、宝塚のどこ出身なんでしょうね。
一度中山方面…という話を聞いたような気がしたのですが…?
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