井口のマリーンズ入りが、正式に決定いたしました。
井口、ロッテ入りが正式決定!背番号は『6』(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
↑※リンク先には刺激的なお方の写真がありますので、皆さんのスタンスによってはクリックなさいませんように。
返答期日最終日の今日20日、ようやっと井口のマリーンズ入りが正式に伝えられましたな。
正直なところ、井口を獲得するためにオーティズをクビにしたり、一連のフロントの井口獲得までの流れには正直不信感が拭え去ったわけではまるでないのだけれど、西岡をはじめ、井口にはいろんな選手からラブコールが送られていたこともあるし、マリーンズの一戦士として、あたしゃ割り切って素直に応援させてもらいます。それはたとえどんな選手であっても、昔からまったく変わりはないスタンスですので。
井口が背番号6を背負うことに関しては、心中穏やかならざるものがあるのだけれど、敢えてここは「マリーンズの精神的支柱としての活躍」を期待して、エールを送りたいと思います。
やっぱりねえ…。
背番号6は「それなりの選手」につけてほしいというのが偽らざる心境なんですよ。ファンタジスタであるかどうかは別として(笑)、2005年のシーズンを思い返していただければ、まぶたにベンチ前で選手を迎える初つぁんの姿が巡って来るように、初つぁんがベンチで先頭を切って選手たちを迎え入れていた姿があったからこそ(もちろんそれだけではないけれど)、2005年のアジア1があったと今でも思っているし、だからこそ初つぁんがマリーンズのチームとしての精神的支柱でいたと思うのだ。
「54」という背番号がファンにとっての精神的支柱なら、「6」はチームにとっての精神的支柱であってほしい。やっぱり俺たちにとっての「6」と「54」は、特別な意味があると思うんでやんすよ。「ファンの勝手な思い込み」と言われてしまえばそれまでだけれども、苦しい時期を支えてきた俺たちにとっては、この2つの背番号は、やっぱり簡単なものじゃないんですよね…。
【お断り】時間切れのため、夜にまた追記をいたします。ご了承ください。
【以下追記でやんす】
井口が来るにあたって、根元のファンからは、怨嗟にも似たような声が聞こえてくるのも、まあ宜なるかなという気が致しますが。
でも、井口が入団して、おそらく一番割を食ってある意味かわいそうなのは、塀ちゃんと正人でしょうなあ…。
井口は単にグラウンドに立つ選手としては、やはりマリーズファンたるもの、来るものは決して拒まずという立場で、誠心誠意応援はしたい。
ただ、やっぱりこうした話が付帯事項とはいえついてくるところを見ると、どうしてもフロントと一連の取り巻きに対する不信感は拭えないわけでして。
ロッテ 井口獲得は脱ボビーの象徴 - スポニチアネックス
相変わらずの「機関紙瀬戸山」状態のスポニチだけれども、この記事、裏を返せば、井口の活躍次第では、フロントはもちろん、フロントと一蓮托生の俺たちスポニチも傷を負う覚悟とも受け取れる内容ではある。ここまであからさまなフロント寄りで脱ボビーのフロントの流れに与している機関紙が、万が一フロントがいざ窮地に立ったとき、プロレスのブックも真っ青の手のひら返しを見せるとは到底思えず、当然その覚悟はスポニチとて出来ているだろう。
っつーか、そんな条項は隠しておけばいいのに。
或いはこの条項を示唆することですら、ボビーに対するある種の「意趣返し」なのだろうか。
同じような条項を付けられていたと思われる、ボビー人脈から獲ってきた外人も思い当たることだし…。
まあまあ、この場でフロント批判もなんですしね。
「来るものは拒まず」で、雑音を跳ね返す活躍をして欲しいですな。
井口といえば、おいらも未だに脳裏に強烈に残って離れない試合がある。
1998年7月4日、千葉マリンスタジアムのホークス戦。
日付をご覧頂ければ一目瞭然、この時のマリーンズは連敗が止まらず14連敗中、今日負ければパリーグタイ記録の15連敗に並んでしまう。
9回裏2アウトから、平井が意地の同点打でスタンドは狂喜乱舞、なんとか今日こそ連敗脱出を…との願い。中継ぎも必死に踏ん張り、日頃はさんざんな言われっぷりしかしていなかった近藤芳久にも「近藤~、頼むから押さえてくれよ~!近藤~!!」と、おそらくは近藤がマリーンズに来て以来一番の声援を受けたのは、他ならぬこの日の試合なのではなかったか。
その願いもむなしく延長11回表、とうとう礒が捕まって、井口に勝ち越し2ランを浴びて万事休す。
この時のスタンドのファンのうなだれようは、忘れようにも忘れられるものではない。あの時の光景こそが、損得勘定抜きにして、俺がマリーンズを応援しなきゃ誰がやる!と突き動かされた源の一つと言ってもいい。当時はそれくらいファンの絶対数が少なかったし、少なかったからこそみんなバカになりきって声をからしていたから、最後は試合が終わっても誰も立ち上がれなかった。帰ろうにも立ち上がれないほど、ファンはみんな連敗脱出に賭けていたのだ。
試合時間5時間9分。
終電も、終バスも忘れて声援を送ったファンに突きつけられた、パリーグ連敗タイ記録。
おいらも終バスをなくして幕張本郷に出る手立てをなくし、仕方なくとぼとぼと幕張本郷まで出てタクシーを拾って帰った。
この時、なぜ海浜幕張でタクシーを拾わなかったのかは、分からないorz
おそらく、この頃はまだ幕張駅前に開かずの踏切があり、回送列車などで踏切に引っかかるとつまらないから、ヨレヨレになりながら幕張本郷まで歩いたのだろう。
そして翌日には16連敗。
しかし、金曜日(14連敗)の試合前には「連敗止めろ」「負けは見飽きた」の檄文をスタンドに出し、その前の金沢の試合では球団社長に謝罪されたファンが、日曜日の16連敗が決まったとき、試合終了後2時間も「俺たちの誇り」を歌い続けたのは、マリーンズにとっても、マリーンズファンにとっても、ターニングポイントの試合だったのかもしれない。
思えば人生とは巡り巡るもの。
あの時、スタンドでファンを失意のどん底にたたき落とした選手が、10年半の時を経て、マリーンズに巡ってくるのだから分からない。
しかも、考えてみたら井口とは同じ年。
頑張れ、井口。
くれぐれもロッテ臭にはまみれないで(以下自主規制
井口、ロッテ入りが正式決定!背番号は『6』(サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
米大リーグのフィリーズを自由契約となった井口資仁内野手(34)のロッテ入団が正式に決まった。井口の日本球界復帰は、2004年のダイエー(現ソフトバンク)以来で5年ぶり。背番号は『6』に決定した。ロッテは3年総額6億円規模の契約を提示している。25日に入団会見が行われる予定。
井口はロッテを選んだ理由として「ロッテが一番熱心に誘っていただいたからです。また多くのロッテ在籍の選手からも一緒にプレーをしようという嬉しい言葉をもらい、本当にやりがいを感じました。」と誠心誠意の交渉が決め手となったことを話した。そして「新人に戻るぐらいの気持ちで一から頑張っていきますので、ロッテファンの皆様宜しくお願いします」と活躍を誓った。
ロッテは、今月7日に井口が自主トレを行っている沖縄に瀬戸山隆三球団社長(55)らが出向いて直接交渉。最長で3年、年俸1億8000万円に出来高払いを含めた総額6億円規模の条件を提示した。さらには将来の監督候補とすることも伝えていた。
自主トレ中の井口は「正二塁手として、自分を最も必要としてくれる球団に入りたい」と話してきた。ロッテが二塁の定位置を確約したことで気持ちが固まった。
背番号はすでに球団が提示している『6』となった。このことについて井口は「背番号6という落合さんや初芝さんなどロッテを代表する先輩方が着けていた偉大な番号をいただけて、本当に光栄に思います。」とコメントした。落合博満、初芝清が背負った“ミスター・ロッテ”の象徴。井口がまさに背中で今季のチームを引っ張っていく。
↑※リンク先には刺激的なお方の写真がありますので、皆さんのスタンスによってはクリックなさいませんように。
返答期日最終日の今日20日、ようやっと井口のマリーンズ入りが正式に伝えられましたな。
正直なところ、井口を獲得するためにオーティズをクビにしたり、一連のフロントの井口獲得までの流れには正直不信感が拭え去ったわけではまるでないのだけれど、西岡をはじめ、井口にはいろんな選手からラブコールが送られていたこともあるし、マリーンズの一戦士として、あたしゃ割り切って素直に応援させてもらいます。それはたとえどんな選手であっても、昔からまったく変わりはないスタンスですので。
井口が背番号6を背負うことに関しては、心中穏やかならざるものがあるのだけれど、敢えてここは「マリーンズの精神的支柱としての活躍」を期待して、エールを送りたいと思います。
やっぱりねえ…。
背番号6は「それなりの選手」につけてほしいというのが偽らざる心境なんですよ。ファンタジスタであるかどうかは別として(笑)、2005年のシーズンを思い返していただければ、まぶたにベンチ前で選手を迎える初つぁんの姿が巡って来るように、初つぁんがベンチで先頭を切って選手たちを迎え入れていた姿があったからこそ(もちろんそれだけではないけれど)、2005年のアジア1があったと今でも思っているし、だからこそ初つぁんがマリーンズのチームとしての精神的支柱でいたと思うのだ。
「54」という背番号がファンにとっての精神的支柱なら、「6」はチームにとっての精神的支柱であってほしい。やっぱり俺たちにとっての「6」と「54」は、特別な意味があると思うんでやんすよ。「ファンの勝手な思い込み」と言われてしまえばそれまでだけれども、苦しい時期を支えてきた俺たちにとっては、この2つの背番号は、やっぱり簡単なものじゃないんですよね…。
【お断り】時間切れのため、夜にまた追記をいたします。ご了承ください。
【以下追記でやんす】
井口が来るにあたって、根元のファンからは、怨嗟にも似たような声が聞こえてくるのも、まあ宜なるかなという気が致しますが。
でも、井口が入団して、おそらく一番割を食ってある意味かわいそうなのは、塀ちゃんと正人でしょうなあ…。
井口は単にグラウンドに立つ選手としては、やはりマリーズファンたるもの、来るものは決して拒まずという立場で、誠心誠意応援はしたい。
ただ、やっぱりこうした話が付帯事項とはいえついてくるところを見ると、どうしてもフロントと一連の取り巻きに対する不信感は拭えないわけでして。
ロッテ 井口獲得は脱ボビーの象徴 - スポニチアネックス
ロッテにとって井口獲得は“脱バレンタイン”の象徴的な出来事だ。球団は昨年末、指揮官に今季限りでの契約打ち切りを伝えた時、チーム編成の主導権も奪っている。井口は球団主導で補強した初の大物選手となった。
交渉には旧知の瀬戸山球団社長、石川球団副代表が乗り出し、将来の監督候補の含みまで持たせた。井口が苦慮していた、英語で育った子どもの教育には「学校紹介とか、できることはやる」(同社長)などと球団を挙げて最大級の誠意を示した。これらの過程を踏まえると、当然この補強の成否については球団が責任を負うことになる。
さらに瀬戸山社長はこの日、契約には起用法にかかわる条項があることを認め、それは監督も侵せない“聖域”であると示唆した。井口と守備位置が重なるロッテの二塁には、昨季台頭した根元がいる。実績の差は明らかだが、井口には周囲の雑音を封じるためにも、力の差を見せつけることが求められる。三顧の礼で迎えられた陰には、相応の重圧もある。
相変わらずの「機関紙瀬戸山」状態のスポニチだけれども、この記事、裏を返せば、井口の活躍次第では、フロントはもちろん、フロントと一蓮托生の俺たちスポニチも傷を負う覚悟とも受け取れる内容ではある。ここまであからさまなフロント寄りで脱ボビーのフロントの流れに与している機関紙が、万が一フロントがいざ窮地に立ったとき、プロレスのブックも真っ青の手のひら返しを見せるとは到底思えず、当然その覚悟はスポニチとて出来ているだろう。
っつーか、そんな条項は隠しておけばいいのに。
或いはこの条項を示唆することですら、ボビーに対するある種の「意趣返し」なのだろうか。
同じような条項を付けられていたと思われる、ボビー人脈から獲ってきた外人も思い当たることだし…。
まあまあ、この場でフロント批判もなんですしね。
「来るものは拒まず」で、雑音を跳ね返す活躍をして欲しいですな。
井口といえば、おいらも未だに脳裏に強烈に残って離れない試合がある。
1998年7月4日、千葉マリンスタジアムのホークス戦。
日付をご覧頂ければ一目瞭然、この時のマリーンズは連敗が止まらず14連敗中、今日負ければパリーグタイ記録の15連敗に並んでしまう。
9回裏2アウトから、平井が意地の同点打でスタンドは狂喜乱舞、なんとか今日こそ連敗脱出を…との願い。中継ぎも必死に踏ん張り、日頃はさんざんな言われっぷりしかしていなかった近藤芳久にも「近藤~、頼むから押さえてくれよ~!近藤~!!」と、おそらくは近藤がマリーンズに来て以来一番の声援を受けたのは、他ならぬこの日の試合なのではなかったか。
その願いもむなしく延長11回表、とうとう礒が捕まって、井口に勝ち越し2ランを浴びて万事休す。
この時のスタンドのファンのうなだれようは、忘れようにも忘れられるものではない。あの時の光景こそが、損得勘定抜きにして、俺がマリーンズを応援しなきゃ誰がやる!と突き動かされた源の一つと言ってもいい。当時はそれくらいファンの絶対数が少なかったし、少なかったからこそみんなバカになりきって声をからしていたから、最後は試合が終わっても誰も立ち上がれなかった。帰ろうにも立ち上がれないほど、ファンはみんな連敗脱出に賭けていたのだ。
試合時間5時間9分。
終電も、終バスも忘れて声援を送ったファンに突きつけられた、パリーグ連敗タイ記録。
おいらも終バスをなくして幕張本郷に出る手立てをなくし、仕方なくとぼとぼと幕張本郷まで出てタクシーを拾って帰った。
この時、なぜ海浜幕張でタクシーを拾わなかったのかは、分からないorz
おそらく、この頃はまだ幕張駅前に開かずの踏切があり、回送列車などで踏切に引っかかるとつまらないから、ヨレヨレになりながら幕張本郷まで歩いたのだろう。
そして翌日には16連敗。
しかし、金曜日(14連敗)の試合前には「連敗止めろ」「負けは見飽きた」の檄文をスタンドに出し、その前の金沢の試合では球団社長に謝罪されたファンが、日曜日の16連敗が決まったとき、試合終了後2時間も「俺たちの誇り」を歌い続けたのは、マリーンズにとっても、マリーンズファンにとっても、ターニングポイントの試合だったのかもしれない。
思えば人生とは巡り巡るもの。
あの時、スタンドでファンを失意のどん底にたたき落とした選手が、10年半の時を経て、マリーンズに巡ってくるのだから分からない。
しかも、考えてみたら井口とは同じ年。
頑張れ、井口。
くれぐれもロッテ臭にはまみれないで(以下自主規制
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