首相、サマータイムに前向き 「やってない日本が異例」(朝日新聞) - goo ニュース
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サマータイムねえ…。
余暇時間の増加云々という意味を考えれば、確かに昼間の時間が長いこの時期、時計を1時間前倒しにすれば、例えばプロ野球やサッカーなんてーのは、日が明るいうちにプレーする時間が増えるから、その分照明に使うエネルギーコストをカットできる利点はある。日の差すうちに球を追いながらビールを一杯…ともなれば、仕事終わりに球場に駆けつけることが出来る環境のサラリーマンにとって、こんな楽しみはないだろうねえ…。
事実、実際に余暇時間の増加を目的にサマータイムを導入するという動きは、この時期東京よりも昼間の時間が長い札幌商工会議所で、「北海道サマータイム」の提唱という形である。
…。
屋根付き球場には関係ないよなあ…。
そうでなくったって、仕事帰りに球場に駆けつけ、ビールをあおりつつご贔屓のチームに声援を送る…なんて恵まれた生活を享受できる人が、果たして世の中にどれくらいいるというのか。そりゃおいらも千葉マリンのライトスタンドに出入りする身、環境に恵まれて仕事後に毎試合、或いは仕事を都合よく切り上げて、週や月に何度かは球場に駆けつける…という人はそれなりに知ってはいるが、それだって千葉マリンにいるからそういった話を聞けるのであって、「世間一般」なる物差しにもならないような言葉で強制的に秤にすれば、ごく少数派だろうし、そういった人たちは、そういった仕事選びをしているか、そういった努力をしているか、そういった環境に恵まれた人だろう。
だって、サマータイムだろうと日常だろうと、労働時間が短縮されるわけじゃないもん。
もともと「仕事」にしたって、己の主体性だけである程度はどうにでもなる欧米とは違い(この認識も多分間違っているとは思うがw)、他者との関わりなしには仕事が成立しない日本にとっては、サマータイムなど百害あって一理あるかどうか…とさえ思う。でなければ、「サービス残業」というへんてこな言葉がはびこる世の中にはならないはずだ。
もちろん、仕事を極めようと思えば、労働時間だの残業だの言っていられない局面があるのは否定しないし、それこそが仕事の極意だとは思う。それがビジネスマンであれ板前さんであれアスリートであれ、それは変わりがない。少し前にどこかの社長が「休みたければ辞めればいい」と言って物議を醸した事があるけれど、あの発言だけを切り取れば過激な意見だが、こと「仕事の本質」としての発言と考えると、あの意見は全く正鵠を得ているし、個人事業主で仕事を請けて生計を立てている立場なら、間違いなくその言葉の生活そのものだろう。
問題は、その正論が凶暴化して、世の中が総じて使い捨て社会になっていること。
人件費コストの削減に目が行くばかりに労働条件を切り下げまくった挙げ句に仕事を外注に出した結果、日本の「仕事」は「誇り」を失った。
サマータイムを実施するなら、世の中のサラリーマンが基本的に定時で上がれるようになれる世の中を作ることが前提になるだろうねえ。そうでなければ、サマータイムを作ったところで誰も利益を享受することが出来ないだろう。
しかし政府もそうはしたくないだろうしねえ…。
明らかに現実を無視しているような気がするしねえ…。
まあ、「サマータイムを導入していない日本が異例」だなんていう、おもちゃを買ってくれない親にせがみ倒す幼稚園児のような戯言は、無視したほうがいいかもね。
どんだけ対中対米追従なんだよ…。
福田首相は26日、夏季に時計の針を1時間進めるサマータイム(夏時間)制度の導入について、記者団に「やっていない日本が異例。我が国も制度を入れるべきだとの意見が強くなってきている。特に環境の問題があり、私もサマータイムをやってもいいのではないかと思っている」と述べ、前向きな姿勢を示した。
首相は「かつて日本も戦後一時期(制度を導入)したことがあったが、やめてしまった。今は大体どの国もやっている。党の方でも検討をお願いしている」と語った。
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サマータイムねえ…。
余暇時間の増加云々という意味を考えれば、確かに昼間の時間が長いこの時期、時計を1時間前倒しにすれば、例えばプロ野球やサッカーなんてーのは、日が明るいうちにプレーする時間が増えるから、その分照明に使うエネルギーコストをカットできる利点はある。日の差すうちに球を追いながらビールを一杯…ともなれば、仕事終わりに球場に駆けつけることが出来る環境のサラリーマンにとって、こんな楽しみはないだろうねえ…。
事実、実際に余暇時間の増加を目的にサマータイムを導入するという動きは、この時期東京よりも昼間の時間が長い札幌商工会議所で、「北海道サマータイム」の提唱という形である。
…。
屋根付き球場には関係ないよなあ…。
そうでなくったって、仕事帰りに球場に駆けつけ、ビールをあおりつつご贔屓のチームに声援を送る…なんて恵まれた生活を享受できる人が、果たして世の中にどれくらいいるというのか。そりゃおいらも千葉マリンのライトスタンドに出入りする身、環境に恵まれて仕事後に毎試合、或いは仕事を都合よく切り上げて、週や月に何度かは球場に駆けつける…という人はそれなりに知ってはいるが、それだって千葉マリンにいるからそういった話を聞けるのであって、「世間一般」なる物差しにもならないような言葉で強制的に秤にすれば、ごく少数派だろうし、そういった人たちは、そういった仕事選びをしているか、そういった努力をしているか、そういった環境に恵まれた人だろう。
だって、サマータイムだろうと日常だろうと、労働時間が短縮されるわけじゃないもん。
もともと「仕事」にしたって、己の主体性だけである程度はどうにでもなる欧米とは違い(この認識も多分間違っているとは思うがw)、他者との関わりなしには仕事が成立しない日本にとっては、サマータイムなど百害あって一理あるかどうか…とさえ思う。でなければ、「サービス残業」というへんてこな言葉がはびこる世の中にはならないはずだ。
もちろん、仕事を極めようと思えば、労働時間だの残業だの言っていられない局面があるのは否定しないし、それこそが仕事の極意だとは思う。それがビジネスマンであれ板前さんであれアスリートであれ、それは変わりがない。少し前にどこかの社長が「休みたければ辞めればいい」と言って物議を醸した事があるけれど、あの発言だけを切り取れば過激な意見だが、こと「仕事の本質」としての発言と考えると、あの意見は全く正鵠を得ているし、個人事業主で仕事を請けて生計を立てている立場なら、間違いなくその言葉の生活そのものだろう。
問題は、その正論が凶暴化して、世の中が総じて使い捨て社会になっていること。
人件費コストの削減に目が行くばかりに労働条件を切り下げまくった挙げ句に仕事を外注に出した結果、日本の「仕事」は「誇り」を失った。
サマータイムを実施するなら、世の中のサラリーマンが基本的に定時で上がれるようになれる世の中を作ることが前提になるだろうねえ。そうでなければ、サマータイムを作ったところで誰も利益を享受することが出来ないだろう。
しかし政府もそうはしたくないだろうしねえ…。
明らかに現実を無視しているような気がするしねえ…。
まあ、「サマータイムを導入していない日本が異例」だなんていう、おもちゃを買ってくれない親にせがみ倒す幼稚園児のような戯言は、無視したほうがいいかもね。
どんだけ対中対米追従なんだよ…。
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