いささか時機を逸しましたが、実はブログではこっそり隠してサブローの引退セレモニーが行われた先月9月25日の対バファローズ戦に出かけておりまして。その時のお写真をば少々。
僕がロッテファンに片足を突っ込んでその後沼にはまるきっかけになったのが1996年の春先。
サブローはその前年に入団して、ルーキーイヤーに活躍があったらしいのだけれども、僕が実際にサブローを生で見ることになったのは、1997年3月の対ヤクルト戦の神宮のオープン戦。
なんだかよくわからないけれども、最終回になってサブローは出てくるし、この年が現役最終年だった西村さんも出てくるし、スタンドでは今を時めく前マリーンズ応援団長ジントシオ氏が当時高校生、高校の制服のままスタンドに出入りし、その後18連敗のシーンなどを経て長らくロッテファンの心の支えとなった、いわゆる「俺たちの誇り」の曲がお披露目されて、実際にジン氏指導の歌唱練習も行われた時。
その後しばらくサブローもマリンと浦和を行ったり来たりする日々が続き、初浦和観戦となった1998年夏ごろは、同僚の外野手と、「おれ変化球投げられるようになったぜ」みたいな会話をしながら楽しそうにキャッチボールにいそしんでいたっけなw
まあ、正直、サブローのファンには大変申し訳ないのだけれども、サブロー選手個人のファンに比べれば、僕のサブローの印象度は、実はそれほどでもない。
印象的なのは…、なんだろうなあ。
あれは1999年だったかな。内野安打かなんかでサヨナラヒットになったときがあって、お立ち台で「優勝したい」みたいなことを言ったことがあったっけなかったっけ。
あのシーンはなぜか今でも覚えている。
しかし、サブローの立ち位置を決定的に変えたのが前々監督2次政権の2005年8月の神戸。誰もが目をひん剥いて驚いた「4番サブロー」。
うん。
いい響きですよ。
「4番サブロー」。
既視感というか、どこかで聞いた覚えがあるんですよ。
ファンになりたてのころ、スタンド各所でささやかれていた、「あいつは未来のロッテの4番だ」という声。
そうですね。「4番立川」ですね。
最初はみんなタカをくくっていたんです。そうそう4番なんか務まりやしねえだろうと。
そのチャンスを、神戸の3連戦でしっかりとものにしたのは、ほかでもないサブローの資質なんですよ。
逆に言えば、あれがハマらなければ、サブローの現役生活はもっともっと短いものになっていただろう。
サブローの最終打席。
これまで3三振。
相手は歴戦の抑えの雄平野ですよ。
打ちやがったねえ…。
おっちゃんの涙腺、ここでついに壊れたんよ。
やっぱりな。
おっちゃん、下手にロッテファン歴だけは長いやんか。
やっぱり、サブローは「戦友」なんよ。
苦しい時を乗り越えて栄光をつかんで。
苦しい時に八面六臂のゲッツーに走塁ミスを犯してひどい試合にしてしまった2004年9月15日の対大阪近鉄戦とかね。いろいろ思い出すんよ。
それを越えて栄光をつかみ取ったんよ。サブローは。
最後にはレフトからライトまで守らせてもらって。
レフト→ライトときたら最後はショートとセカンドだろゲフンゲフン(´・ω・`)
おっちゃんな。
涙腺緩いな。
あかんな、こじらせたロッテファンは。
サブローの時にこの名前を出すのはどうかと思うけど、サブローでさえこれくらい来ちゃうのだから、福浦の引退試合なんてどうなるんだろう。
それだけでも想像がつかない(´・ω・`)
このシーンなんかもう正視できないよ。・゚・(ノД`)・゚・。
自分でもわかってはいるつもり。
外野の応援活動からも引退して、ロッテの青春時代はもう終わりにかなり近づいていることをわかっちゃいるんですわ。
でも、できればもう少しだけ、時代を楽しんでいたい。
まだまだ、俺たちの時代を終わらせてほしくはないんだよ、というおっさんのあがき。
寂しいよ。
でもそれが時代なんだな。
さらばサブロー。
本当に、本当にお疲れ様でした。
僕がロッテファンに片足を突っ込んでその後沼にはまるきっかけになったのが1996年の春先。
サブローはその前年に入団して、ルーキーイヤーに活躍があったらしいのだけれども、僕が実際にサブローを生で見ることになったのは、1997年3月の対ヤクルト戦の神宮のオープン戦。
なんだかよくわからないけれども、最終回になってサブローは出てくるし、この年が現役最終年だった西村さんも出てくるし、スタンドでは今を時めく前マリーンズ応援団長ジントシオ氏が当時高校生、高校の制服のままスタンドに出入りし、その後18連敗のシーンなどを経て長らくロッテファンの心の支えとなった、いわゆる「俺たちの誇り」の曲がお披露目されて、実際にジン氏指導の歌唱練習も行われた時。
その後しばらくサブローもマリンと浦和を行ったり来たりする日々が続き、初浦和観戦となった1998年夏ごろは、同僚の外野手と、「おれ変化球投げられるようになったぜ」みたいな会話をしながら楽しそうにキャッチボールにいそしんでいたっけなw
まあ、正直、サブローのファンには大変申し訳ないのだけれども、サブロー選手個人のファンに比べれば、僕のサブローの印象度は、実はそれほどでもない。
印象的なのは…、なんだろうなあ。
あれは1999年だったかな。内野安打かなんかでサヨナラヒットになったときがあって、お立ち台で「優勝したい」みたいなことを言ったことがあったっけなかったっけ。
あのシーンはなぜか今でも覚えている。
しかし、サブローの立ち位置を決定的に変えたのが前々監督2次政権の2005年8月の神戸。誰もが目をひん剥いて驚いた「4番サブロー」。
うん。
いい響きですよ。
「4番サブロー」。
既視感というか、どこかで聞いた覚えがあるんですよ。
ファンになりたてのころ、スタンド各所でささやかれていた、「あいつは未来のロッテの4番だ」という声。
そうですね。「4番立川」ですね。
最初はみんなタカをくくっていたんです。そうそう4番なんか務まりやしねえだろうと。
そのチャンスを、神戸の3連戦でしっかりとものにしたのは、ほかでもないサブローの資質なんですよ。
逆に言えば、あれがハマらなければ、サブローの現役生活はもっともっと短いものになっていただろう。
サブローの最終打席。
これまで3三振。
相手は歴戦の抑えの雄平野ですよ。
打ちやがったねえ…。
おっちゃんの涙腺、ここでついに壊れたんよ。
やっぱりな。
おっちゃん、下手にロッテファン歴だけは長いやんか。
やっぱり、サブローは「戦友」なんよ。
苦しい時を乗り越えて栄光をつかんで。
苦しい時に八面六臂のゲッツーに走塁ミスを犯してひどい試合にしてしまった2004年9月15日の対大阪近鉄戦とかね。いろいろ思い出すんよ。
それを越えて栄光をつかみ取ったんよ。サブローは。
最後にはレフトからライトまで守らせてもらって。
レフト→ライトときたら最後はショートとセカンドだろゲフンゲフン(´・ω・`)
おっちゃんな。
涙腺緩いな。
あかんな、こじらせたロッテファンは。
サブローの時にこの名前を出すのはどうかと思うけど、サブローでさえこれくらい来ちゃうのだから、福浦の引退試合なんてどうなるんだろう。
それだけでも想像がつかない(´・ω・`)
このシーンなんかもう正視できないよ。・゚・(ノД`)・゚・。
自分でもわかってはいるつもり。
外野の応援活動からも引退して、ロッテの青春時代はもう終わりにかなり近づいていることをわかっちゃいるんですわ。
でも、できればもう少しだけ、時代を楽しんでいたい。
まだまだ、俺たちの時代を終わらせてほしくはないんだよ、というおっさんのあがき。
寂しいよ。
でもそれが時代なんだな。
さらばサブロー。
本当に、本当にお疲れ様でした。
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