昨夜。
10対2で読売に大勝した千葉マリンの試合終了後、高橋のぶさんの生ライブが球場内で行われた。
彼は知る人ぞ知るパリーグ連盟歌「白いボールのファンタジー」を歌っていたバンドのボーカルの人である。
照明が落とされた幻想的な雰囲気の中、スタンドに残った多数のファンと共に夜空にこの歌を歌い上げる姿を、感慨深く、一緒に歌いながら眺めていた。
おそらく昨年後半の騒動を知っている人にとってはたまらない歌であるし、またこの球場の夜空にこの歌を歌い上げることができる喜びを噛み締めていた人も多数いたのではないだろうか。
俺も、夜空に歌い上げながら、ちょこっと泣いちゃった。
あれは忘れもしない2004年7月7日。
夜勤明けでキオスクを眺めたら、スポーツ紙にこんな見出しが踊っていた。そんな見出しには踊らされないぞと思いつつも、内心は動揺していた。
もう一つの球団合併はロッテか?
踊らされないぞと思いつつもいても立ってもいられなくなり、仮眠を取って球場入りした。観戦仲間に行くことを知らせてなかったので内野指定席から観戦。いつも外野で金を落としていなかったから、こんな時くらい球団に金を落とさねばという思いで指定席を奮発。
その日の試合は、勝ったか負けたか、カードが何戦であったかは詳しく覚えていない。
ただただ覚えていることは、試合終了後に外野席に紛れ込んだ折、応援団からレクチャーがあり、「俺たちが合併の対象になっているかも知れない。とにかく合併反対、パリーグ存続を訴えよう」とのこと。その後、応援団が吹いた「白いボールのファンタジー」を、夜空を見上げながら、ただただ泣きながら歌い続けたこと。
マリーンズファンにとっては、七夕の夜とは、比較的古いファンほど格別な思いが詰まっている特別な存在。
1998年。七夕の夜。18連敗脱出の願いが、神戸の夜に打ち砕かれたこと。
1999年。七夕の夜。首位に立った時、東京ドームの白黒の屋根に、ほんの一瞬の夢を描いたこと。
そして2004年。七夕の夜。マリンスタジアムの夜空に、もしかしたらもう来年の俺たちの「遊び場」はなくなってしまうのではないかという焦操感に襲われたこと。そして俺たちの遊び場は俺たちで守らねばとの思い。その時、スタンドにいた客の何人もが泣いていた。俺もその一人だった。仲間に「大丈夫だから、大丈夫だから」と言われて慰められても、正直何が大丈夫なものかと思った。あの時点で、大丈夫だという保証など何一つ存在していなかったのである。
それから繰り広げられた祭りには、仕事の関係も相まっていまいち乗り切れなかった。デモ行進とかいうと市民活動の走りみたいな気がして、市民活動に与する気持ちがなかったのもあるけれど、自分ができたことは、せいぜいユザワヤで段ボール紙を買ってきてメッセージを書き殴ったくらいだろう。
一つは、儚い(はかない)という文字に引っかけて、
「人の夢は儚いの?」というもの。これは文字遊びとしては良かったかも知れないが、肝心の「儚い」が読めない人が続出。こいつは失敗だったかも知れん。
もう一つは、友人と共謀して、「合併反対」と書こうとして書いちゃったのが、
「併合反対」。
これはさすがに各方面から多大なる苦情とお叱りを頂戴して日の目を見ることがなかった。いや、親会社があっちの方だから、こっちの方がしっくりくるかなと思ったのだがやっぱりアブなすぎたかな。
それからというもの、球場で球団が「白いボールのファンタジー」を流すこともなくなり、パリーグファン全体が決起して、試合の随所にこの曲を流したりして合併反対、パリーグ存続の機運を盛り上げ、ミサンガ運動、選手会とファンの一体化、果てはストライキと事態はどんどん発展していった。
その中でこの曲は、それまでの、ただ漠然と試合前にパリーグ各球場で流れるBGMにすぎなかった存在が、一気に合併騒動のテーマ曲的な存在にまで上り詰めてしまったのである。少なくとも去年後半からのファンにとっては、合併騒動と「白いボールのファンタジー」は、切っても切れない関係であろう。
合併騒動も自分が病気になってしまった要因の一つであることには間違いなく、今でも、この曲を聴くと涙腺がつい緩んでしまう。
あの頃の苦い思い出。
そして今の盛況。
つい感慨深くなってしまうのである。
最近、老害がまた球界復帰とのこと。
これでまた、球界再編の動きが再燃化することを危惧するのは、少なくとも俺だけではあるまい。
青空に輝くスタジアム
フィールドに浮かぶユニフォーム
子供の頃に夢見た姿は
今も昔も変わらぬままさ
白いボールのファンタジー
流れる雲にこだまする
その名は その名はパシフィック
我らの 我らの パシフィックリーグ
我らの 我らの パシフィックリーグ
10対2で読売に大勝した千葉マリンの試合終了後、高橋のぶさんの生ライブが球場内で行われた。
彼は知る人ぞ知るパリーグ連盟歌「白いボールのファンタジー」を歌っていたバンドのボーカルの人である。
照明が落とされた幻想的な雰囲気の中、スタンドに残った多数のファンと共に夜空にこの歌を歌い上げる姿を、感慨深く、一緒に歌いながら眺めていた。
おそらく昨年後半の騒動を知っている人にとってはたまらない歌であるし、またこの球場の夜空にこの歌を歌い上げることができる喜びを噛み締めていた人も多数いたのではないだろうか。
俺も、夜空に歌い上げながら、ちょこっと泣いちゃった。
あれは忘れもしない2004年7月7日。
夜勤明けでキオスクを眺めたら、スポーツ紙にこんな見出しが踊っていた。そんな見出しには踊らされないぞと思いつつも、内心は動揺していた。
もう一つの球団合併はロッテか?
踊らされないぞと思いつつもいても立ってもいられなくなり、仮眠を取って球場入りした。観戦仲間に行くことを知らせてなかったので内野指定席から観戦。いつも外野で金を落としていなかったから、こんな時くらい球団に金を落とさねばという思いで指定席を奮発。
その日の試合は、勝ったか負けたか、カードが何戦であったかは詳しく覚えていない。
ただただ覚えていることは、試合終了後に外野席に紛れ込んだ折、応援団からレクチャーがあり、「俺たちが合併の対象になっているかも知れない。とにかく合併反対、パリーグ存続を訴えよう」とのこと。その後、応援団が吹いた「白いボールのファンタジー」を、夜空を見上げながら、ただただ泣きながら歌い続けたこと。
マリーンズファンにとっては、七夕の夜とは、比較的古いファンほど格別な思いが詰まっている特別な存在。
1998年。七夕の夜。18連敗脱出の願いが、神戸の夜に打ち砕かれたこと。
1999年。七夕の夜。首位に立った時、東京ドームの白黒の屋根に、ほんの一瞬の夢を描いたこと。
そして2004年。七夕の夜。マリンスタジアムの夜空に、もしかしたらもう来年の俺たちの「遊び場」はなくなってしまうのではないかという焦操感に襲われたこと。そして俺たちの遊び場は俺たちで守らねばとの思い。その時、スタンドにいた客の何人もが泣いていた。俺もその一人だった。仲間に「大丈夫だから、大丈夫だから」と言われて慰められても、正直何が大丈夫なものかと思った。あの時点で、大丈夫だという保証など何一つ存在していなかったのである。
それから繰り広げられた祭りには、仕事の関係も相まっていまいち乗り切れなかった。デモ行進とかいうと市民活動の走りみたいな気がして、市民活動に与する気持ちがなかったのもあるけれど、自分ができたことは、せいぜいユザワヤで段ボール紙を買ってきてメッセージを書き殴ったくらいだろう。
一つは、儚い(はかない)という文字に引っかけて、
「人の夢は儚いの?」というもの。これは文字遊びとしては良かったかも知れないが、肝心の「儚い」が読めない人が続出。こいつは失敗だったかも知れん。
もう一つは、友人と共謀して、「合併反対」と書こうとして書いちゃったのが、
「併合反対」。
これはさすがに各方面から多大なる苦情とお叱りを頂戴して日の目を見ることがなかった。いや、親会社があっちの方だから、こっちの方がしっくりくるかなと思ったのだがやっぱりアブなすぎたかな。
それからというもの、球場で球団が「白いボールのファンタジー」を流すこともなくなり、パリーグファン全体が決起して、試合の随所にこの曲を流したりして合併反対、パリーグ存続の機運を盛り上げ、ミサンガ運動、選手会とファンの一体化、果てはストライキと事態はどんどん発展していった。
その中でこの曲は、それまでの、ただ漠然と試合前にパリーグ各球場で流れるBGMにすぎなかった存在が、一気に合併騒動のテーマ曲的な存在にまで上り詰めてしまったのである。少なくとも去年後半からのファンにとっては、合併騒動と「白いボールのファンタジー」は、切っても切れない関係であろう。
合併騒動も自分が病気になってしまった要因の一つであることには間違いなく、今でも、この曲を聴くと涙腺がつい緩んでしまう。
あの頃の苦い思い出。
そして今の盛況。
つい感慨深くなってしまうのである。
最近、老害がまた球界復帰とのこと。
これでまた、球界再編の動きが再燃化することを危惧するのは、少なくとも俺だけではあるまい。
青空に輝くスタジアム
フィールドに浮かぶユニフォーム
子供の頃に夢見た姿は
今も昔も変わらぬままさ
白いボールのファンタジー
流れる雲にこだまする
その名は その名はパシフィック
我らの 我らの パシフィックリーグ
我らの 我らの パシフィックリーグ
選手会のHPから署名用紙をダウンロードして会社や知り合い、親戚中から署名を集めて、選手会事務局に送ったこと。
「白いボールのファンタジー」のCDを買って、毎日通勤帰宅時の車の中で熱唱したこと。(←途中何度も半泣き状態で運転)
そして今年、マリーンズのHPにあるVOICE26から、球場で「白いボールのファンタジー」を流してくださいとお願いしたこと。
あー昨日マリンに行きたっかたー!
いや、できれば避けて通りたい。
でも、あの歌を聴くと、どうしても昨年の出来事は避けて通れなくて…。