Yahoo!ニュース - 毎日新聞 <自殺予告>止まらぬ連鎖…有効策なし焦り濃く
有効策無し焦り濃くとはまた大仰なもので、、そもそも匿名のオオカミ少年を煽りまくった天下の大マスコミが言う台詞としては、甚だ不適当である。
はっきりと申し上げておく。
報道する側に「いじめた側」の視点が著しく欠けている。
いや、著しく欠けているなどという生やさしいものではなく、全くないに等しいと言い切ってよろしかろう。
現にいじめが報道された時のマスコミの動きを良くご覧じよ。
コメントを取りに行っているのは、必ず被害者親族、若しくは学校関係者だけである。
そこにいじめた側が出てくることはまず100%ありえない。
これも一種の報道被害として、被害者親族はマスコミ各社を訴え出てもいいとさえ思える。
いじめで自殺者が出れば、まずマスコミ各社が赴くのは被害者の遺族。遺族は学校で起きた出来事を先刻承知か与り知らぬかは分からぬが、まずは無難に「学校に真相を聞いてみたい」というようなことを言う。
学校は学校で、我が校でいじめによる自殺者を出せば、学校関係者全員に傷が付くのを恐れ、出来ることなら隠避したい。ここでマスコミは絶対正義を振りかざし、学校を攻撃する。マスコミは取材によって、学校でいじめがあったことは把握しているから、余計によってたかって攻撃しやすい。
結果、学校側が陥落。
関係者は処分。
勝者はいつもマスコミ。
おやおや、この構図に「いじめた子供と親」が一切出てこないというのはなんたることか。誠に由々しき事態であり、ぞっとしない。
毎度毎度思う。いつもいつもこの構図。
マスコミがこぞって攻撃するのは、子供を預かっている学校。
確かに攻撃目標が学校なのは間違ってはいない。実際に学校で起きた事件で自殺者を出しているのだから、学校関係者が管理責任を問われるのは至極当たり前。それ自体はなんら違和感を唱えるべきところではない。
違和感があるのは、マスコミの報道はいつもそこで終わること。子供達にも人権があるのだろうから、仮にいじめた子供の家庭が割れていたとしても、踏み込んで取材をすることはできないのかもしれないが、それにしたって、学校で金品の要求があったとか柔道の技をかけられて意識不明の重体に陥ったなどという事例は、もはやいじめでもなんでもなく、立派な恐喝、傷害罪だろうが。これで死に至れば致死がつく。
結局、現状のような報道体勢ではどのようなことが起こるか。
いじめ得、およびいじめられ損である。
いくらいじめた相手がどうなろうが、いじめた本人および家族に報道機関が迫るようなことはないし、ましてや起訴されてパクられるなんていうこともない。我が子に死なれて憤懣やるかたない遺族、マスコミ及び地域関係各位に多大な突き上げを食らう学校関係者の陰で、いじめた子供とその家族は、実にのうのうと暮らしていけるのである。
このような現状を理不尽とも思わず、大義名分を振りかざして「絶対正義の有効策なし」とは、呆れて反吐が出る。
もちろん、今すぐ死のうとしている奴を止めるのが大前提なのはその通りで、おいらでさえ、まず自殺防止ありきと心得ているので、死ぬなと叫び続けたのだ。
ともすれば、うつ病患者に「頑張れ、負けるな」と声をかけるのと同じように、自殺願望が強い奴らに「死ぬな、まず生きろ」というのはヤボなのかもしれない。ただ、そこで見ず知らずの他人が、「じゃあ死ね、今すぐ死ね、思いっきり死ね」なんて言えますかと。それこそ人として疑わしき行為であろう。
今のいじめ自殺に関する報道は、明らかにおかしい。
いや、いじめ自殺を報道することによる負の連鎖は致し方がない。抑止効果を促すには、結局報道せざるを得ないのだから、この連鎖はいじめ自殺に限らず、どんな事例でも言えること。
問題なのは、死に至るほど追い詰められている奴のそばで、せせら笑っている奴らがいること。そいつらを放っておいて、ひたすら遺族と管理者を報道する体勢は、どう考えても理不尽極まる。加害者は、そこでせせら笑っているのだから。こんなバカな話があるだろうか。
そんなに子供達に「いじめと向き合え」というのなら、まず加害者と親の首をしょっぴいて話をさせるべきではないのか。
一番悪いのは、いじめた奴とその親だという視点が、あまりにも抜けすぎている。だからマスコミ各社も、ネットに押されて求心力が落ちているのだ。そんなごくごく当たり前の事例に一言たりとも触れないのだから。
先日、拙ブログのこの記事について、あまりにも心を打たれたので、同じ世代の子を持つ親の立場として、どうしてもあんたに話しておきたいことがあるという親御さんが、涙ながらに訴えてくれた。
「俺たち親が、人をいじめないような教育をしなければ、いじめは絶対になくならない」と。
おいらもまさか、ブログの記事で泣かれたなんていうのは初めてで、一生懸命親御さんの主張に耳を傾けたことだった。
「俺たち親は、『子供がいじめられなかった』だけで安心しきってはいないだろうか。」
「それじゃダメなんだ。いじめの根源を根絶することから始めないとダメなんだ。だから、『いじめちゃいけない』ってことを教えてやらなきゃいけない。」
「俺たち大人がガス抜きが必要なように、子供達にも、学校だけではない社会を、いざとなったら子供の逃げ場となるような場所を作ってやらないとダメなんだ。」
「あんたは人ん家の子供を叱れるか? 昔はそうやって社会というものを教わったじゃないか。」
「俺だって、人をぶん殴ったことだって数知れず。いじめたこともあった。だけど、殴ったら、殴った奴の拳だって痛えんだ。その痛みを、今の子供達も、大人もわかってない。」
「俺ん家は、『子供のケンカには親が出て行く』って方針だったからな。そのかわり、うちの子供が人として間違ったことをしたら、ひどいよ。」
絵空事と鼻で笑うなら笑い給え。実際に今週日曜日にあった出来事だ。
そこまで子供のことを思う親御さんだっているのだ。
そんな親御さんばかりなら、いじめを苦にして死んでいく奴なんていなくなるだろうし、そもそもいじめ自体が無くなるはずである。
いじめた子供もその親も、マスコミも、そこまで「人」のことを思えるか。
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↑何度でも言ってやる。ストップ! いじめ自殺!!
伊吹文明文部科学相あての「いじめ自殺予告文書」を受けて全国的な警戒が続く中、子どもの自殺が止まらない。文書を公表したものの、相次ぐ予告に戸惑う文科省。教育委員会、各学校も即効性のある対策は打ち出せないままだ。連鎖は食い止められるのか。子どもたちに「命」の大切さをどう伝えるか。過去にも度々社会問題化したいじめ問題の教訓はいつ生かされるのか。【佐藤敬一、吉永磨美】
「連鎖的なものが来ることは覚悟していた」。13日行われた、日本記者クラブ主催の記者会見。招かれた伊吹文科相は苦渋の表情で、自殺予告の手紙が続いていることに言及した。
文科省が「11日に自殺する」との手紙を公表したのは7日未明。各都道府県教委にいじめの正確な把握と報告を求めている手前「情報隠し」はできない事情もあった。伊吹文科相は「(公表してもしなくても)どちらになっても必ず非難を受ける。非難は私が受けるんだと、毅然(きぜん)とした姿勢を示さないと教委、校長がついてこない」と選択の理由を強調した。
しかし、公表の影響は予告手紙が相次いだことで明確になった。自殺の原因や予告手紙との関連性が不明ではあるものの、12日に大阪と埼玉で中学生が命を絶った。大阪の飛び降り自殺の一報が入ったのは「いじめ自殺予告」の警戒中。銭谷真美・初等中等教育局長ら幹部も駆けつけ、省内は緊迫感に包まれた。
1通目の手紙を見た総務課職員が「(手紙の内容が)本当だったら危ないなと思った。かなり緊迫していた」と話していたが、その状態は今も続く。
教育基本法改正の国会審議に加え、タウンミーティングでのやらせ、高校の履修単位不足、いじめの「三重苦」で文科省職員の疲労も色濃い。問題が次々と発生し、いじめ問題に対する抜本的な解決策を検討するいとまもなく、解決策の検討は「お手上げ」(ある幹部)という。
13日、新たに届いた2通の手紙について会見をした児童生徒課の木岡保雅課長は「公表によって救われた子どもも多くいるのでは、と考えている。ですから、一つ一つのケースについてできる限りのことをしてまいりたい」と公表の効果を強調した。しかし、具体的な解決策を示さなければ、マイナスの連鎖が続く可能性も捨てきれない。【高山純二】
◇「連鎖」断ち切るには…
今夏以降、各地でいじめが原因とみられる自殺が問題化している。その「連鎖」を断ち切るにはどのような方法があるのか。
8月17日、愛媛県今治市の中1男子が首つり自殺。遺書には3年間にわたり「貧乏」「泥棒」呼ばわりされ「最近生きていくことが嫌になってきました」と記されていた。
北海道滝川市の小6女児が昨年、教室で自殺を図り、今年1月死亡した事件では、10月になって女児の遺書を市教委が事実上放置していたことが発覚。さらに10月11日には福岡県筑前町の中2男子、23日には岐阜県瑞浪市の中2女子がそれぞれ自殺した。文科省にいじめ自殺の予告手紙が次々に届き、全国各校で問題の再点検など行われる中、12日に大阪府富田林市と埼玉県本庄市で中学生が自ら命を絶った。
多くが同様の手段を選んでおり、先行する事件の影響を指摘する声もある。社会評論家の赤塚行雄さんは「戦前に伊豆大島・三原山で自殺が相次ぎ社会現象になるなど、ある時期に次々と自殺が続くことは昔からある。何か心が傾いていると、解決法として『この手で行こう』と引っ張られる」と分析する。
86年にはアイドルの岡田有希子さんが自殺し、後追い自殺が社会問題化した。警察庁のまとめによると、86年の19歳以下(未成年)の自殺者数は前年比約1.4倍の802人に達した。岡田さんと同じ方法での自殺が多かった。愛知県西尾市の大河内清輝君のいじめ自殺事件が問題化した94年の未成年者の自殺数も580人と前年より多くなっているが、98年以降600人弱から700人超と、より深刻化した。
履修漏れ問題も含め、「校長の自殺」も最近の特徴だ。ジャーナリストの江川紹子さんは「先生にとり良い職場でない学校が、子どもにとって良い学びの場であるわけがない」と教育者の自殺の背景に思いをはせる。その上で「根本的に何が問題か考えなければいけない。1人だと行動しない子どもたちも、集団自殺のように1人じゃないという仲間意識が芽生え、連鎖的に行動するのでは」と指摘する。【森禎行、長野宏美】
(毎日新聞) - 11月14日3時8分更新
有効策無し焦り濃くとはまた大仰なもので、、そもそも匿名のオオカミ少年を煽りまくった天下の大マスコミが言う台詞としては、甚だ不適当である。
はっきりと申し上げておく。
報道する側に「いじめた側」の視点が著しく欠けている。
いや、著しく欠けているなどという生やさしいものではなく、全くないに等しいと言い切ってよろしかろう。
現にいじめが報道された時のマスコミの動きを良くご覧じよ。
コメントを取りに行っているのは、必ず被害者親族、若しくは学校関係者だけである。
そこにいじめた側が出てくることはまず100%ありえない。
これも一種の報道被害として、被害者親族はマスコミ各社を訴え出てもいいとさえ思える。
いじめで自殺者が出れば、まずマスコミ各社が赴くのは被害者の遺族。遺族は学校で起きた出来事を先刻承知か与り知らぬかは分からぬが、まずは無難に「学校に真相を聞いてみたい」というようなことを言う。
学校は学校で、我が校でいじめによる自殺者を出せば、学校関係者全員に傷が付くのを恐れ、出来ることなら隠避したい。ここでマスコミは絶対正義を振りかざし、学校を攻撃する。マスコミは取材によって、学校でいじめがあったことは把握しているから、余計によってたかって攻撃しやすい。
結果、学校側が陥落。
関係者は処分。
勝者はいつもマスコミ。
おやおや、この構図に「いじめた子供と親」が一切出てこないというのはなんたることか。誠に由々しき事態であり、ぞっとしない。
毎度毎度思う。いつもいつもこの構図。
マスコミがこぞって攻撃するのは、子供を預かっている学校。
確かに攻撃目標が学校なのは間違ってはいない。実際に学校で起きた事件で自殺者を出しているのだから、学校関係者が管理責任を問われるのは至極当たり前。それ自体はなんら違和感を唱えるべきところではない。
違和感があるのは、マスコミの報道はいつもそこで終わること。子供達にも人権があるのだろうから、仮にいじめた子供の家庭が割れていたとしても、踏み込んで取材をすることはできないのかもしれないが、それにしたって、学校で金品の要求があったとか柔道の技をかけられて意識不明の重体に陥ったなどという事例は、もはやいじめでもなんでもなく、立派な恐喝、傷害罪だろうが。これで死に至れば致死がつく。
結局、現状のような報道体勢ではどのようなことが起こるか。
いじめ得、およびいじめられ損である。
いくらいじめた相手がどうなろうが、いじめた本人および家族に報道機関が迫るようなことはないし、ましてや起訴されてパクられるなんていうこともない。我が子に死なれて憤懣やるかたない遺族、マスコミ及び地域関係各位に多大な突き上げを食らう学校関係者の陰で、いじめた子供とその家族は、実にのうのうと暮らしていけるのである。
このような現状を理不尽とも思わず、大義名分を振りかざして「絶対正義の有効策なし」とは、呆れて反吐が出る。
もちろん、今すぐ死のうとしている奴を止めるのが大前提なのはその通りで、おいらでさえ、まず自殺防止ありきと心得ているので、死ぬなと叫び続けたのだ。
ともすれば、うつ病患者に「頑張れ、負けるな」と声をかけるのと同じように、自殺願望が強い奴らに「死ぬな、まず生きろ」というのはヤボなのかもしれない。ただ、そこで見ず知らずの他人が、「じゃあ死ね、今すぐ死ね、思いっきり死ね」なんて言えますかと。それこそ人として疑わしき行為であろう。
今のいじめ自殺に関する報道は、明らかにおかしい。
いや、いじめ自殺を報道することによる負の連鎖は致し方がない。抑止効果を促すには、結局報道せざるを得ないのだから、この連鎖はいじめ自殺に限らず、どんな事例でも言えること。
問題なのは、死に至るほど追い詰められている奴のそばで、せせら笑っている奴らがいること。そいつらを放っておいて、ひたすら遺族と管理者を報道する体勢は、どう考えても理不尽極まる。加害者は、そこでせせら笑っているのだから。こんなバカな話があるだろうか。
そんなに子供達に「いじめと向き合え」というのなら、まず加害者と親の首をしょっぴいて話をさせるべきではないのか。
一番悪いのは、いじめた奴とその親だという視点が、あまりにも抜けすぎている。だからマスコミ各社も、ネットに押されて求心力が落ちているのだ。そんなごくごく当たり前の事例に一言たりとも触れないのだから。
先日、拙ブログのこの記事について、あまりにも心を打たれたので、同じ世代の子を持つ親の立場として、どうしてもあんたに話しておきたいことがあるという親御さんが、涙ながらに訴えてくれた。
「俺たち親が、人をいじめないような教育をしなければ、いじめは絶対になくならない」と。
おいらもまさか、ブログの記事で泣かれたなんていうのは初めてで、一生懸命親御さんの主張に耳を傾けたことだった。
「俺たち親は、『子供がいじめられなかった』だけで安心しきってはいないだろうか。」
「それじゃダメなんだ。いじめの根源を根絶することから始めないとダメなんだ。だから、『いじめちゃいけない』ってことを教えてやらなきゃいけない。」
「俺たち大人がガス抜きが必要なように、子供達にも、学校だけではない社会を、いざとなったら子供の逃げ場となるような場所を作ってやらないとダメなんだ。」
「あんたは人ん家の子供を叱れるか? 昔はそうやって社会というものを教わったじゃないか。」
「俺だって、人をぶん殴ったことだって数知れず。いじめたこともあった。だけど、殴ったら、殴った奴の拳だって痛えんだ。その痛みを、今の子供達も、大人もわかってない。」
「俺ん家は、『子供のケンカには親が出て行く』って方針だったからな。そのかわり、うちの子供が人として間違ったことをしたら、ひどいよ。」
絵空事と鼻で笑うなら笑い給え。実際に今週日曜日にあった出来事だ。
そこまで子供のことを思う親御さんだっているのだ。
そんな親御さんばかりなら、いじめを苦にして死んでいく奴なんていなくなるだろうし、そもそもいじめ自体が無くなるはずである。
いじめた子供もその親も、マスコミも、そこまで「人」のことを思えるか。
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↑何度でも言ってやる。ストップ! いじめ自殺!!
といったら不謹慎ですかね。
そうですね、被害者側に重く乗せすぎですね。
加害者のついてマスコミって動いてないですね。
そういえば。
加害者について動けないもんなのですかね?
子供がそうゆう問題で自害をえらんでも、やっぱり一番つらい立場になるのはその親御さんなんでしょうね。
加害者はのうのうとみているんでしょうね。
そっちに動けば減るんじゃないかな?って単純に思ってしまいました。
加害者って守られてるんですね。
結局、加害者が白日の下に晒されるというのは、被害者遺族が訴訟を起こさない限り、あり得ないわけでしょう。被害者と学校関係者はこれだけ晒されているのに。
だから加害者はのうのうと生きていられる。
例え手を下した奴が死んだとしても。
それが学校内で起きたことだから、犯罪にならずに済んでいるだけのことなんです。
犯罪ではないから、加害者もその家族も、罪を償うことなく生きていられるのです。
どう考えても犯罪でしょうよ。
弱い奴を死に至らしめるなんて。