シコースキーの退団発表 巨人がウエーバーを申請 (共同通信) - goo ニュース
シコタンよどこへ行く…。・゜・(ノД`)・゜・。
シコースキーは俺の野球観戦歴において、ターニングポイントとなりうる選手だけに、できればこれを機にマリーンズに帰ってきて欲しいけれど、今の外人勢の布陣じゃ入り込む余地はないだろうなあ…。
なぜ、シコタンが俺の野球観戦歴に於いて重要な役割を占めるのか、単刀直入に解説すると、生まれてはじめて野球選手からサインをもらったのがシコタンだから。
いや、それまでも観戦歴は長いんですよ。マリーンズは96年から見ていたし、その前、小学生の頃は西宮球場に何回か足を運び、阪急ブレーブスに声を嗄らしていた。福本の未だ衰えぬ足、松永、ブーマー、石嶺の3大大砲に、アニマルの色物ぶり(笑)。いや懐かしいねえ。
中学、高校、専門学校時代と中だるみ期間はありながらも、長い間プロ野球を見ていながらも、野球関係でもらったことのあるサインといえば、西宮球場の内野スタンドでもらったブレービーのサインだけという有様。多分、選手にサインを貰おうという執着心がまるっきりなかったのが原因の一つであろう。いや、それまでもサインを貰おうと考えたことはあった。マリーンズがその昔(1999年)、大村巌(日ハムコーチ入りの予定)画伯の書いた小宮山Tシャツを売り出して、そのTシャツに巌と小宮山のサインを貰おうと思ったことはあったけれども、肝心の小宮山がシーズンオフに戦力外通告をされてしまいおじゃん。
あれは忘れもしない2003年5月下旬のこと。2軍戦と1軍戦がそれぞれマリンで行われたときに両方見に行ったことがあって、2軍選手の出待ちをしていた頃にちょうどリック・ショートやミンチーと一緒にタクシーでやってきたシコタン。背中のリュックにはシコタンの刺繍をいれてあるユニフォームが入っている。
こりゃサインを貰わなきゃ絶対後悔するぞ!!
その場にいたたこすけさんもびっくりするくらい嬉々とした顔をして(いたらしい)シコタンの元へ駆け寄り、サインをお願いしたら書いてくれた!!あんたええ男や~。
その時はもう歳のことなど忘れ、まるで子供のように喜んだことを未だに覚えている。その当時で28だったのにそんなに喜ぶなよという感じだが、喜ばずにはおれなかった。
そもそものシコタンとの出会いは、2001年7月11日、千葉マリンの対ホークス戦にまで遡る。
たまたま仕事が休みだったかなんだかで見に行ったその日が、シコタンの日本初登板、初先発だったのだ。
それまでマリーンズが取ってきた投手といえば、鳴り物入りの割にどうしようもない選手ばっかりだった。代表される選手がクベ(ry)とかクベ(ry)とかクベ(ry)とか、近年で成功していたのは、中指を立ててアメリカへ帰っていったウォーレンくらいではなかったか。
その中にあって、シコタンの挙動はとにかく面白かった。マウンドへの行き帰りにはやたら走るし、ランナーは出すものの、とにかく牽制が抜群に上手くって、その試合でもランナーを2度ほど刺している。
こりゃあ面白い選手だな。使えそうだぞ。
その試合では崩れて負けてしまったけれど、とにかく「面白い選手」というイメージが強くて、友達中に「この中途外人は使える!」と吹いて回った記憶が蘇る。
スタンドの客をして「面白い」と思わせたのだから、スタンドの客の反応には敏感なエカが面白いと思わないはずがない。「面白い素材」という理由だけで残留がきまり、その後のマリーンズからジャイアンツへと渡る活躍は、ここに書く必要もないであろう。
やがて、エカ政権が崩れ去ろうとする2003年10月のマリーンズ最終戦のマリンスタジアム。
未確認情報だが、エカ政権を共にしてきた外人組も、ミンチーを除いて多分全員退団するだろうという悪い噂も予感もあった。
試合終了後、シコタンは、まるでチームに別れを告げるがのごとくライトスタンドへやってきて、ホセ君と一緒に愛用品をスタンドへ投げ込んでいた。
もう、涙が止まらずにはいられなかった。
「お前達がいなけりゃ、来年のマリーンズはどうなってしまうんだよ!!!」と、人目をはばからず泣き叫んでいた。
この時期は来年2004年の監督がまだ未定で、飛ばし記事気味にボビーが復帰するなんていう新聞もあったけれど、そんな報道はファンの誰もが信じておらず、マリーンズの来年すら分からぬ状態で、活躍した外人がごっそり全員いなくなる事への不安、そしてなにより、シコタンがチームを去るというボディランゲージ。
泣いた。
人目をはばからずぶっ壊れたまま泣き続けた。
初対面の女の人に抱かれて慰められることもいとわずに泣いた。
仲間内の誰かに「泣くなよ」などと言われようものなら、5、6発はぶん殴らなければ気が済まないくらい錯乱状態に陥っていた。
それこそが、シコタンを日本初登板から応援し続けていたなによりの証左だったから。
翌年、エカの人脈が功を奏してジャイアンツに拾われたシコタン。その後の活躍はもう、ここに記すまでもないであろう。
ジャイアンツ戦を親と見に行くときだって、親にこう言い放ったものだった。
ジャイアンツを見に行くんじゃない。シコタンを見に行くんだ!!その試合じゃ出なかったけどね…ちきしょ~。
あんたがどこへ行こうと、俺はあんたを応援するよ。
日本であろうとどこであろうと…。
来年また会うんだよシコタン。・゜・(ノД`)・゜・。
シコタンよどこへ行く…。・゜・(ノД`)・゜・。
シコースキーは俺の野球観戦歴において、ターニングポイントとなりうる選手だけに、できればこれを機にマリーンズに帰ってきて欲しいけれど、今の外人勢の布陣じゃ入り込む余地はないだろうなあ…。
なぜ、シコタンが俺の野球観戦歴に於いて重要な役割を占めるのか、単刀直入に解説すると、生まれてはじめて野球選手からサインをもらったのがシコタンだから。
いや、それまでも観戦歴は長いんですよ。マリーンズは96年から見ていたし、その前、小学生の頃は西宮球場に何回か足を運び、阪急ブレーブスに声を嗄らしていた。福本の未だ衰えぬ足、松永、ブーマー、石嶺の3大大砲に、アニマルの色物ぶり(笑)。いや懐かしいねえ。
中学、高校、専門学校時代と中だるみ期間はありながらも、長い間プロ野球を見ていながらも、野球関係でもらったことのあるサインといえば、西宮球場の内野スタンドでもらったブレービーのサインだけという有様。多分、選手にサインを貰おうという執着心がまるっきりなかったのが原因の一つであろう。いや、それまでもサインを貰おうと考えたことはあった。マリーンズがその昔(1999年)、大村巌(日ハムコーチ入りの予定)画伯の書いた小宮山Tシャツを売り出して、そのTシャツに巌と小宮山のサインを貰おうと思ったことはあったけれども、肝心の小宮山がシーズンオフに戦力外通告をされてしまいおじゃん。
あれは忘れもしない2003年5月下旬のこと。2軍戦と1軍戦がそれぞれマリンで行われたときに両方見に行ったことがあって、2軍選手の出待ちをしていた頃にちょうどリック・ショートやミンチーと一緒にタクシーでやってきたシコタン。背中のリュックにはシコタンの刺繍をいれてあるユニフォームが入っている。
こりゃサインを貰わなきゃ絶対後悔するぞ!!
その場にいたたこすけさんもびっくりするくらい嬉々とした顔をして(いたらしい)シコタンの元へ駆け寄り、サインをお願いしたら書いてくれた!!あんたええ男や~。
その時はもう歳のことなど忘れ、まるで子供のように喜んだことを未だに覚えている。その当時で28だったのにそんなに喜ぶなよという感じだが、喜ばずにはおれなかった。
そもそものシコタンとの出会いは、2001年7月11日、千葉マリンの対ホークス戦にまで遡る。
たまたま仕事が休みだったかなんだかで見に行ったその日が、シコタンの日本初登板、初先発だったのだ。
それまでマリーンズが取ってきた投手といえば、鳴り物入りの割にどうしようもない選手ばっかりだった。代表される選手がクベ(ry)とかクベ(ry)とかクベ(ry)とか、近年で成功していたのは、中指を立ててアメリカへ帰っていったウォーレンくらいではなかったか。
その中にあって、シコタンの挙動はとにかく面白かった。マウンドへの行き帰りにはやたら走るし、ランナーは出すものの、とにかく牽制が抜群に上手くって、その試合でもランナーを2度ほど刺している。
こりゃあ面白い選手だな。使えそうだぞ。
その試合では崩れて負けてしまったけれど、とにかく「面白い選手」というイメージが強くて、友達中に「この中途外人は使える!」と吹いて回った記憶が蘇る。
スタンドの客をして「面白い」と思わせたのだから、スタンドの客の反応には敏感なエカが面白いと思わないはずがない。「面白い素材」という理由だけで残留がきまり、その後のマリーンズからジャイアンツへと渡る活躍は、ここに書く必要もないであろう。
やがて、エカ政権が崩れ去ろうとする2003年10月のマリーンズ最終戦のマリンスタジアム。
未確認情報だが、エカ政権を共にしてきた外人組も、ミンチーを除いて多分全員退団するだろうという悪い噂も予感もあった。
試合終了後、シコタンは、まるでチームに別れを告げるがのごとくライトスタンドへやってきて、ホセ君と一緒に愛用品をスタンドへ投げ込んでいた。
もう、涙が止まらずにはいられなかった。
「お前達がいなけりゃ、来年のマリーンズはどうなってしまうんだよ!!!」と、人目をはばからず泣き叫んでいた。
この時期は来年2004年の監督がまだ未定で、飛ばし記事気味にボビーが復帰するなんていう新聞もあったけれど、そんな報道はファンの誰もが信じておらず、マリーンズの来年すら分からぬ状態で、活躍した外人がごっそり全員いなくなる事への不安、そしてなにより、シコタンがチームを去るというボディランゲージ。
泣いた。
人目をはばからずぶっ壊れたまま泣き続けた。
初対面の女の人に抱かれて慰められることもいとわずに泣いた。
仲間内の誰かに「泣くなよ」などと言われようものなら、5、6発はぶん殴らなければ気が済まないくらい錯乱状態に陥っていた。
それこそが、シコタンを日本初登板から応援し続けていたなによりの証左だったから。
翌年、エカの人脈が功を奏してジャイアンツに拾われたシコタン。その後の活躍はもう、ここに記すまでもないであろう。
ジャイアンツ戦を親と見に行くときだって、親にこう言い放ったものだった。
ジャイアンツを見に行くんじゃない。シコタンを見に行くんだ!!その試合じゃ出なかったけどね…ちきしょ~。
あんたがどこへ行こうと、俺はあんたを応援するよ。
日本であろうとどこであろうと…。
来年また会うんだよシコタン。・゜・(ノД`)・゜・。
うん、アレと腕をぐるぐるさせただけで一般市民がノックアウトされるのはシコタンしかなしえないでしょ。
来年どこに行くんだろう…。
>タケさん
そういえば、錯乱状態の2003・10・10が、タケさんと初対面の日だったわけで…。
シコタンだけは、チームを越えてこれからも応援したですね。
ワシもブライアンの大ファンなので、このニュースでかなりモチベーション下がってます。
しかし、チームの枠を超えてこれからもブライアンを応援する気持ちには何ら変わりありません!
またブライアンの勇姿を見れることを願って。