Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <山口高専生殺害>男子学生のバイク発見 近くに首つり遺体
うわあ…。
なかなか身柄確保の報道がなされず、もしかしたらこの展開は、被疑者が自ら命を絶っている可能性も十分あるよなあ…、とは思っていたのだが、さすがにそんなことをブログにアップするなんていうことは出来ず、考え得る最悪のシナリオの一つとして考えるにとどめていたのだが…。
別の一報によれば、遺体は死後数日が経過しているとのこと。とすれば、やはり殺してからすぐに自らの命を絶ったのか…。
遺体が見つかった下松市は、周南市(どうもこの自治体の名前はしっくり来ないね。鉄&ギャンブラーとしては「徳山市」のままでいいじゃん…とか思ったり)のお隣ということで、やはりそう遠くへは行っていなかったことと合わせて考えると、犯行に及んでからすぐ命を絶ったのか…と考えるのが自然であろう。
これで事件の真相は藪の中になってしまうわけで、我々としては、提供されている状況を元に事件を語ることしかできないというのがなんとも…。
人を殺めるのも卑怯だが、真相を語ることなく自らをも殺めるのはもっとも卑怯である。残された遺族はもとより、真相を語られることなく死なれた被疑者の両親および親族の心痛たるや、察するに余りある。被疑者の親族は、殺人者の親族として、一生重い十字架を背負っていかなければならないのだから。そしてなにより、何の因果があって娘が殺されなければならなかったのか、被害者の親族は、聞きたくとも、二度と開くことのない口に問い掛けなければならないのだ。この世にはいくら不合理なことがそこらじゅうに転がっているとはいえ、このようなことが果たして許されるべきなのだろうか。
この事件は、週刊新潮の被疑者実名報道にもあるように、少年法の在り方に一石を投じる結果にもなっている。被疑者実名をお知りになりたければ、「探偵ファイル」で調べるとありますのでそちらをご参考に。週刊新潮をお買い求めいただいてもよろしかろう。
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 男子学生の実名、顔写真掲載=高専女子学生殺害で週刊新潮 - 「身柄確保を優先」
そもそも、被害者が実名報道され、被疑者が匿名報道ということ自体がおかしい話ではないか。
もちろん、少年法で守られるべき少年の人権は尊守せねばならないが、このような凶悪犯罪の場合は、実名報道でもよいのではないかと考える。
まあ、週刊新潮も、大義名分に名を借りた商売のために実名報道に踏み切ったのは重々承知しているのだが。
考え得る最悪の結末を迎えたことが、残念でならない。
殺人犯が捕まらないことの憤りを知っているだけに、なおのこと悔しい。←分かる人ry
山口県周南市の徳山工業高等専門学校の研究室で、同校土木建築工学科5年、中谷(なかたに)歩(あゆみ)さん(20)=同県防府市伊佐江=が首を絞められて殺害された事件で、県警の捜査本部が殺人容疑で逮捕状を取り指名手配して行方を追っていた同校の男子学生(19)=周南市=のバイクが7日、同県下松市の山中で見つかった。近くで男性の首つり遺体が見つかり、県警は学生とみて身元を調べている。
調べでは、男子学生は中谷さんの同級生で同じ研究室に所属。男子学生は8月28日午前、同校専門科目棟3階にある研究室で、中谷さんの首をひものようなもので絞めて殺害した疑い。遺体に付着した遺留物などから男子学生を割り出した。司法解剖結果から、死亡推定時刻は28日午前10時半から正午ごろとされている。
男子学生は午前11時よりも早い時間に研究室に1人でいるのを学校関係者に目撃されたのを最後に、行方が分からなくなっていた。男子学生は通学に使っていた青いスポーツタイプのバイクで逃走したとみて、県警は一時、ヘリコプターも飛ばして上空からも捜索したが、男子学生を発見できなかった。
これまでの調べでは、中谷さんは同午前10時ごろ、同級生の女子学生と登校し、いったん別れた。午前11時ごろ、女子学生が研究室に行ったところ、入り口ドアの鍵がかけられ、人の気配もなかった。女子学生は昼食後も携帯電話で連絡がとれなかったため、数人で中谷さんを捜し始め、午後3時ごろ、女性職員が研究室のドアを開け、首にひもが巻いた状態の遺体を見つけた。
事件当時、研究室を管理する担当教官は出張中だったが、所属する5年生の学生には出入りができるように研究室のドアの合鍵をそれぞれに渡していた。
捜査本部は、ドアに鍵がかかっていた研究室の状況などから、中谷さんは女子学生と別れた後、研究室で先に来ていた男子学生と会い、殺害されたとみて、2人の間にトラブルなどがなかったか捜査していた。
うわあ…。
なかなか身柄確保の報道がなされず、もしかしたらこの展開は、被疑者が自ら命を絶っている可能性も十分あるよなあ…、とは思っていたのだが、さすがにそんなことをブログにアップするなんていうことは出来ず、考え得る最悪のシナリオの一つとして考えるにとどめていたのだが…。
別の一報によれば、遺体は死後数日が経過しているとのこと。とすれば、やはり殺してからすぐに自らの命を絶ったのか…。
遺体が見つかった下松市は、周南市(どうもこの自治体の名前はしっくり来ないね。鉄&ギャンブラーとしては「徳山市」のままでいいじゃん…とか思ったり)のお隣ということで、やはりそう遠くへは行っていなかったことと合わせて考えると、犯行に及んでからすぐ命を絶ったのか…と考えるのが自然であろう。
これで事件の真相は藪の中になってしまうわけで、我々としては、提供されている状況を元に事件を語ることしかできないというのがなんとも…。
人を殺めるのも卑怯だが、真相を語ることなく自らをも殺めるのはもっとも卑怯である。残された遺族はもとより、真相を語られることなく死なれた被疑者の両親および親族の心痛たるや、察するに余りある。被疑者の親族は、殺人者の親族として、一生重い十字架を背負っていかなければならないのだから。そしてなにより、何の因果があって娘が殺されなければならなかったのか、被害者の親族は、聞きたくとも、二度と開くことのない口に問い掛けなければならないのだ。この世にはいくら不合理なことがそこらじゅうに転がっているとはいえ、このようなことが果たして許されるべきなのだろうか。
この事件は、週刊新潮の被疑者実名報道にもあるように、少年法の在り方に一石を投じる結果にもなっている。被疑者実名をお知りになりたければ、「探偵ファイル」で調べるとありますのでそちらをご参考に。週刊新潮をお買い求めいただいてもよろしかろう。
Yahoo!ニュース - 時事通信 - 男子学生の実名、顔写真掲載=高専女子学生殺害で週刊新潮 - 「身柄確保を優先」
山口県周南市の徳山工業高等専門学校で同校5年の中谷歩さん(20)が殺害された事件で、県警周南署捜査本部が殺人容疑で逮捕状を取った同級生の男子学生(19)の実名と顔写真が、7日発売の「週刊新潮」(新潮社)に掲載されることが6日、分かった。
同誌は、「徳山高専殺人『19歳容疑者』の隠された『実名と顔写真』」と題する記事で掲載。記事中で「凶悪事件において、犯人の身柄確保以上に優先すべきことがあるはずがない。そのための実名と顔写真の公表は、犯人の『自殺・再犯』の抑止にもつながる」などとしている。
そもそも、被害者が実名報道され、被疑者が匿名報道ということ自体がおかしい話ではないか。
もちろん、少年法で守られるべき少年の人権は尊守せねばならないが、このような凶悪犯罪の場合は、実名報道でもよいのではないかと考える。
まあ、週刊新潮も、大義名分に名を借りた商売のために実名報道に踏み切ったのは重々承知しているのだが。
考え得る最悪の結末を迎えたことが、残念でならない。
殺人犯が捕まらないことの憤りを知っているだけに、なおのこと悔しい。←分かる人ry
いつもお世話になっております。
ご指摘のように、容疑者と思われる男子学生が自殺したことについては、被害者本人の関係者にしてみれば、憤懣やるかたないといった感じでしょう。
まさに、卑怯。そもそも殺人に到る前に、何故言葉で語り、自らの気持ちを伝えられなかったのか?そして殺人した後も、何故言葉で自らの思いを語れなかったのか?
遺書なり、犯行計画書なりが残されていれば、まだなにか分かるかもしれませんが、結局事件の全体は闇の中であります。
また、週刊新潮、確かに問題提起をしたということ、それ自体は良かったと思いますし、拙僧も今回の場合は当初から実名報道すべきだったと思います。しかし、新潮の場合は、結果としてその日に遺体で発見されたということで、今後この一件を記事にする際には、立場的に難しくなったような気もします。場合によっては謝罪記事も必要かもしれません。
後味の悪さだけが残る一件でございました。
やるせなさだけが残る結末になってしまいましたね。
なんの理由も語られることなく突然命を奪われた被害者のご遺族、なんの理由も語られることなく突然我が子を失った被疑者のご遺族。
双方になに一つ残さない結末。
やるせないですねえ…。
週刊新潮の一件は、結局どっちらけになってしまいましたね。刷り上がる前に事件が解決すれば輪転機を止められたのでしょうが、あまりにもタイミングが悪すぎました。
本当に、後味の悪さだけが残る事件になってしまいました。
いくらこういう状況とはいえ、無罪推定の原則を無視して「容疑者」である未成年を実名報道。
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
容疑者本人が出てこなかったことがいけなかったとも言えますが、これからの両御遺族の手枷足枷になっていく事だけは明らかですね・・・
本当に後味の悪い、一連の動きでした。
難しい一面があるのは重々理解していますが、少年の実名報道に対するマスコミの姿勢も、少年法に一石を投じる動きとなり、後々の犯罪報道にかなりの影響を与える事件ともなりそうで、この動きは興味深いですね。
結局、この世に残る者に、仰るとおり手枷足枷しか残さない、なんともやりきれない幕切れとなりました。