50キロの道のりを、友人の助けでなんとか乗り越えた途端、なにかをしようという気力がわいてこなくなってしまったおいらが少々通りますよ…orz
家のあるエリアはライフラインは普通に生きているものの、家の周囲はやはり元が沼地で地盤が緩いこともあるのか、やはり只で済むことはありませんでした。
家の近所の国道沿いにある家具屋の外壁が、強い揺れによって崩れ落ち、家具屋前に止めてあった車2台が下敷きに。建物も一部が傾き、崩れた外壁が3階の非常階段にひっかかって止まっており、一時大変危険な状態に。
昨日から重機、今日からは家具屋に足場が組まれました。
…っていうことは、おそらくは取り壊しになるのでしょう。
家具屋は一帯のランドマークだった場所で、タクシーの運転手に家具屋の名前を言えば連れて行ってくれるし、地元の中学校連中ではこの建物の名前を知らない人はいないくらいだったと思うのですが、地震には勝てそうにありません。
さびしいです…。
他にも近所で火災が一件発生。
家の方はどうやら全員無事だったようですが…。
家の周囲でも、これだけのことがあったことを記しておきます。
家のあるエリアはライフラインは普通に生きているものの、家の周囲はやはり元が沼地で地盤が緩いこともあるのか、やはり只で済むことはありませんでした。
家の近所の国道沿いにある家具屋の外壁が、強い揺れによって崩れ落ち、家具屋前に止めてあった車2台が下敷きに。建物も一部が傾き、崩れた外壁が3階の非常階段にひっかかって止まっており、一時大変危険な状態に。
昨日から重機、今日からは家具屋に足場が組まれました。
…っていうことは、おそらくは取り壊しになるのでしょう。
家具屋は一帯のランドマークだった場所で、タクシーの運転手に家具屋の名前を言えば連れて行ってくれるし、地元の中学校連中ではこの建物の名前を知らない人はいないくらいだったと思うのですが、地震には勝てそうにありません。
さびしいです…。
他にも近所で火災が一件発生。
家の方はどうやら全員無事だったようですが…。
家の周囲でも、これだけのことがあったことを記しておきます。
浦和からの帰宅、大変でしたね。私もあの日は都内からの22kmを5時間かけて帰宅しました。
自宅はグラスとCD数枚が破損した程度で事なきを得ましたが…
あれ以降、被災地の現状を目にするたびに心が痛みます。「がんばろう千葉、がんばろう東北、がんばろう日本」。今はこの言葉に尽きると思います。
22キロを5時間とはハイペースですね…。
無事帰宅して以来、もぬけの殻になっておりました…。
今はまだ復興という言葉までは程遠い現状ですが、やれることをしっかりやっていくことこそが、しっかりした復興への足掛かりになるかと思います。
私も日常生活に戻れれば、しっかり貢献したいと考えています。