小馬太郎兵衛@タコのイカ踊りぃっ!!

ブログの老後をユラユラ楽しむ悦楽ブログって言ったけどさ、もう一発くらい狙ってもいいのかな。やってもいいかな?

ああ、小野晋吾引退【編集完了しました】

2013-09-20 06:41:29 | 千葉ロッテマリーンズ
オノシンゴーレッツゴー!ドンドンドドド!
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「サンデー晋吾」ロッテ小野今季限り引退(日刊スポーツ) - goo ニュース
「サンデー晋吾」の愛称で親しまれたロッテ小野晋吾投手(38)が、今季限りで現役を引退することが18日、分かった。この日までに球団と話し合いを持ち、結論に至ったという。イースタン・リーグ楽天戦(天童)から帰京し「今シーズン、ここまで1軍の戦力になっていないこと。それに、肩づくりの面で、毎年きつい。肉体的な苦労を考え合わせ、現役引退を決意しました」と説明した。

 日本一になった05年に10勝をマークし、チームに貢献したのはもちろん、それ以前の低迷期を支えた功労者だ。00年、日曜日に9連勝し「サンデー晋吾」と呼ばれ、ファンに愛された。プロ20年目の今季は1軍登板はなく、2軍で13試合に登板して0勝2敗、防御率5・18。この日は、山形・天童での2軍戦に3番手で登板。1回を打者3人、無安打1三振無失点に抑えた。「今シーズンをまっとうしたい。今はそれだけを考えて、練習してます。1軍の戦力になりたいんです」と、訴えるように話した。優勝争いを繰り広げる1軍の「力になりたい」と、黙々と練習を行っている。

 球団関係者によると、近日中に引退会見を行う予定だが、引退試合などは未定。それでも、CSも含めれば、背番号「29」が1軍マウンドに上がるチャンスは残っており、完全燃焼するまで闘志は衰えていない。


【ロッテ】小野プロ20年「誇り」一問一答 - 日刊スポーツ
ロッテ小野晋吾投手(38)が20日、QVCマリンで引退会見を行った。

-引退を決めて

 小野 チームの非常に重要な時期にこういう発表をするのはどうかと思ったんですが、今季限りでユニホームを脱ぐという決断をしましたのでご報告させていただきます。まだ戦力になりたいと思って今もやっていますし、シーズンが終わるまでチームの一員として最後までやり遂げたいと思います。

-決断した理由は

 小野 まずここまでチームの戦力になれていないということ。ロッテの背番号29を背負わせてもらっているのに、プレーできていないことに責任を感じていました。20年以上、肩の痛みというか、肩づくりの面で毎年すごく時間がかかってましたし、来年この状態でできるのかと考えた時にしんどいところはありました。

-決めたのはいつ

 小野 上のチームが苦しい時、ファームの試合で、ここをしっかり投げられれば上でも貢献できるんじゃないかという試合が7月にあったんです。そこで初回に9失点して。今まではそういう試合で結果を残せていたのに、これが今の力なのかなという感じがしました。

-背番号29について

 小野 つけた当初は、本当に大変な番号を背負ってしまったなと思って。これは1軍にいないといけない背番号だと思うんです。それがここまで1軍にいないというのは、そういうことなのかなと思いましたし、引退を決める1つの要因になりました。

-ロッテ一筋20年

 小野 ここまでプロ野球選手としてやれると思ってませんでしたし、誇りに思っていいのかなと思います。2度の日本一を経験することができましたし、特に05年の(プレーオフで)優勝を決めた福岡ドームの試合。あれ以上の喜びはまだ感じたことがありません。

-一番印象に残る対戦は

 小野 初勝利した試合(99年、対日本ハム)の初回1死満塁の場面で、ワンスリーから田中幸雄さんに投げた1球です。無我夢中で投げたスライダーで、ボール球だったと思うんですけどゲッツーが取れた。あれが四球にになっていたら初勝利もなかっただろうし、今と全然違っていたと思います。

-日曜9連勝で「サンデー晋吾」と呼ばれて

 小野 日曜日はデーゲームでお客さんも多いですし、そこで名前を覚えてもらえたのがうれしかった。毎試合、野球をやらせてもらえる喜びを感じて投げていました。

-ファンに向けて

 小野 僕がこのチームに入ってから、低迷期というか、弱い時期にも熱い声援をいただいて、優勝を機にそれがもっと大きくなっていって。特にうちのチームはファンのおかげで大きくなったチームだと、20年やってきて感じています。感謝していますし、マリーンズファンの前で投げられたことは自分の誇りです。

-家族の支えについて

 小野 息子と娘がいるんですけど、その2人が、僕が野球をしている姿が分かるまではやりたいと思っていました。もう中1と小4で、十分分かる年です。特に娘が、僕より詳しいんじゃないかと思うくらい野球が大好きで、ファームにいる間も毎晩一緒に野球を見ながら、野球の話ができたことがうれしかった。本当に、家族に支えられてきました。

-20年間を振り返って

 小野 プロに入る時、自信がないからと言ってプロ入りを拒否したことがありまして。スカウトの方に、自信はプロでつけられると言われて決断したんですが、3~4年目までは本当に1軍でやれるなんて思っていなかった。練習で追い込むことで自分を信じられるようになった。ここまでやってこられて、悔いはありません。

-誇れるもの

 小野 速い球を投げるとか、特別特徴のある投手ではありませんでしたけど、けん制であったり、9番目の野手としてのフィールディングであったり、投手としての総合力は皆さんに見てもらえたのではと思います。

-今後について

 小野 まだシーズンも終わってませんし、とにかく今はまだ、チームに貢献したいという気持ちしかないです。シーズンが終わってから、考えればいいと思っています。

 [2013年9月20日18時19分]



小野晋吾引退の報を聞いたのは19日の朝、通勤中の電車の中。
仕事前だし緊張感もあって、「そうか…」くらいの感慨しかわかなかったのだけれど、19日の仕事が終わって、仕事場の最寄り駅で改めて「小野晋吾引退」の報を手にして、ジワジワ来た。
いいようのない寂しさ、悲しさ。
この時期はプロ野球の人事往来の話を聞く季節だからこの手の話はいっぱいあるけれど、それでもやっぱりじわりじわりと寂しさが寄せては返す波のように駅の階段を駆け巡ってきた。
今年は一度も一軍に御呼ばれしなかっただけに、今年でもう…とは思っていたけれど、改めて現実を見ると…ね。

小野晋吾が「サンデー晋吾」として一時代を築いた2000年頃のマリーンズ。
どうしようもなく弱くて弱くて仕方がなかったけれど、あの頃は楽しかったなあ。何が楽しかったのかと言われてもごくごく個人的なことだけに説明しようがないけれど、ごく個人的には今よりも数段球場通いが楽しかった頃。それはおそらく自分の年齢とも関係があるのだろう。では今がつまらないのかと言われると、今は今で別の楽しさがあるけれど、それ以上の何かがあったんですよね。説明しづらいけれど。

サンデー晋吾といえば橋本将。
橋本将は御徒町あたりで靴屋さんを開いたんだっけ。
あの頃のバッテリーの片割れは自営業に転進し、もう片方は20年のキャリアで引退か…。

ブログでは打たれるたびに「自分のせい」と、すべての責任を背負い続け、ファンに人格者としても親しまれた晋吾。

また一つ、あの頃の「同志」がいなくなると思うと、寂しくて仕方ありません。寂しいと思ってもいつかはやってくるのだから、寂しいと言い出すこと自体が野暮なのは百も承知。
それでも、晋吾の背中を外野席から見続けたあの頃の思い出を、そっと封印する時期が近づいてきたのかと思うと、本当に寂しい。

小野晋吾選手、お疲れ様でした…。

引退試合と目下言われている10月6日、行ければ行きたいけど、仕事かなあ…。・゜・(ノД`)・゜・。


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