哲学日記

いつの間にやら幸福が人生の目的になる


いつの間にやら、人間の幸不幸、好き嫌い、よしあしに戻ってしまう。
(禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)




 仏法の核心は、人間の幸不幸、好悪、善悪とは関係ないということ。


多くの「幸福論」が、無駄な苦労を避け、過去の悔恨と未来の憂慮は最小限に止めて、「今」を楽しみなさい。と教えている。

それはいい。もちろん、おれだってそうしている。
だけどそれは、たんなる処世術に過ぎない。
処世術は世渡りのテクニックであって、人生とはなんの関係もないことだ。


 幸福は、こころに余裕を作り、単なる幸福感を超えて、生死を明らめる次のステージに進む力にしてこそ意味をもつ。

幸福というだけで人生の問題が解決することは一切ないからだ。

だが、
いつの間にやら、人間の幸不幸、好き嫌い、よしあしに戻ってしまう。


人間の宿病は容易には治らないということ。


 いや、実際はそれどころじゃない。

人生の意味や世界平和や人類愛などの壮大な哲学的議論をする自分の本心は、なんと同僚の給料が自分より1,000円高いことへの妬みでいっぱいだったりする。

 この眩暈がするほどの落差。
でもこれが大多数の人間の現実だ。

どうせ妬むなら、1,000円ぽっちの差を妬んでないで、前澤友作氏を妬めよ。




 己の半径1㎞圏内のちっぽけな幸福が人生の目的になってしまってる。






 死なないなら、それでもいいかもしれないが…










(おまけ)

懐かしい古い曲を。
トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ。
「ハンキー・パンキー」
(さんま御殿オープニング曲として、耳にはなじんでるだろうけど)

 

 

 

 

 

トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズ。当時おれはシャンデルズって言ってたんだけどな。
もう1曲。「Mony Mony」
youtubeの音があまり良くないけど、これもいい曲だと思う。

 

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