哲学日記

人間は、生病老死 の不安から逃れるために、何をしたか

【ブッダの教え】瞑想でも坐禅でもないブッダの実践法とは?|スマナサーラ長老の初期仏教法話(説法 日本語字幕付き) - YouTube


 

(法話1:10辺りから引用させていただきます)

花がきれいってのは人間の勝手な感情であって、

花はきれいじゃないんです。

だから人間が世間知らないんです。

自分の感情の世界しか知らない。…

それで怖いのは、頭が悪いんだから

自分知ってることが正しいと思うんです。…

で、それからも苦しみが生まれるでしょ?

だから

人間というのはいかに苦しみを

作るのかっていうことしか考えてないんです。

(以上)

 

[これについての感想]

自然に初めからある生病老死

の不安から逃れるために、

人間が何をしてるかというと、

元々ありもしない

くだらないが激しい人工の苦しみを

膨大に捏造して

その苦しみに夢中になることで

生病老死の不安を一時でも忘れる

という不誠実で浅略な狂愚行なのだ。

 

これ以上のあほ対応って考えられる?

 

しかも

捏造したトラブルに意識を忙殺させる

この人間の狂った共同営為を、

文化と呼んで自画自賛してる始末。

 

悲惨なことに

でっちあげトラブルが架空でも、

それにより真の実害が確実に発生する。

 

ショーペンハウアーは

 

この世には真の害悪があり過ぎるほどあるのだから、真の害悪を伴うような架空の害悪を新たに増やすなどという大それたことをすべきでない。
(ショーペンハウアー「幸福について」4 橋本文夫訳)より

 

といってる。

 

質の悪い権力者は、自分への国民の批判意識を逸らすため、わざと外国とのトラブルをでっちあげることがある。
これと同じ不誠実なごまかしを、たいていの人間は自分で自分にたいしてやってるんだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
「ダイナマイトが150屯」
 
 
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