10年前の日記にこう書いている。
『おれにしたらかなり真剣にヴィパッサナー実践を試みた挙句挫折した3年前のある日の日記にこう書いている。
「毎日がむなしく過ぎていく。このまま修行できないならおれの人生には意味と目的の一切がない。修行ができない自分には何の未練もない」
おれはその後、修行できないまま3年近く生き延びた。
社会生活の苦労や努力は修行ではない。
貪瞋痴をそのままにしている限り、ただのくたびれもうけに終わってしまうナンセンスだ。
人間は修行しないなら動く死体だ。
死にたくはないが、修行しないなら確実に破滅してほんとうに死ぬことになる。
そうであるのに、おれのこの危機感のなさはどうだ。
まるで他人事のようだ。
神経が切れているみたいになにも感じない。
不可解きわまる』
13年前。10年前。そして今日。
おれの心の麻痺はますます酷くなっている。
残念がるのにさえも、気力がいるのだと知った。
その気力がほとんど無いのだ。
已矣哉
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在(今・此処)」に気づき続けること。
(My Favorite Songs)
ジョニー・ティロットソン。
「ポエトリー・イン・モーション」